【339号】新聞部長 山下慎一郎~抜擢 令和070612
# 新聞部長 山下慎一郎~抜擢
-> 藤堂俊介
## あらすじ
山下慎一郎、高校生活スタート。たくさん思い出が詰まった三年間の物語。この作品は、慎一郎がなぜ、新聞部に入り、信頼を得て部長までになったのかを描いています。
## 序章 合格発表
=> 1
柔らかな日差しで目がさめた。きょうは三月十六日・・・。そうだ、忠(ただし)と美佐子(みさこ)それに孝浩(たかひろ)君たちと東高(ひがしこう)に行くって約束していた。きのうは、中学校の卒業式。きょうは、いよいよ、東高の入学試験合格発表日。
いつものように制服に着替え、洗顔、歯磨き、そして髪を整えて、両親がいる食卓へと向かう。父はこの街の中心部にある新聞社の記者。母は市役所の総務課で働いている。僕こと山下慎一郎(やましたしんいちろう)は、この家の一人っ子だった。中学二年生なるまでは、この家の隣にある父方の祖父祖母、歩いて三分ほどにある母方の祖父祖母が、母が退勤時間までいてくれていた。残業がある日は、食事を用意してもらうこともあった。今は、《一人でも大丈夫》とのことで、母が戻って来るまで、僕は一人で過ごしている。
父は不規則な勤務、かつ、取材で何日か家をあけることがある。それでも、疲れた様子も見せず、休みがあえば、山や海へ釣りに一緒に行き、趣味のカメラ、それにアマチュア無線などを教わった。免許は、二年生の終わりに取り、父と屋外に遊びに行ったときに、交信を楽しんでいる。
「慎一郎、おはよう」
両親が食卓についていた。僕の主観かも知れないけど、両親はとても今年四十三歳には見えない。三十歳になったばかりのお兄さんやお姉さんに見える。これから合格発表を見に行く県立東高校の卒業生。市役所に取材に行った父が、母に《お久ぶり》と声をかけてから、親しくなり結ばれたと、よく話してもらった。そして二十七の時に僕が生まれ、きのう無事に中学校を卒業した。
「おはよう、合格しているか心配になってきた」
「あれだけ、四人で一生懸命、勉強しているから、合格しているわよ」
「僕も、英語のヒアリング、ちょっと緊張したから、自信が少しないんだ」
そういえば、英語・・・忠が苦手だったから、受験後もいつもの活発でおどけた性格の彼が、いままで見せたことがないような落ち込みようだった。僕より忠の合否が気になる。
「川野君、英語、自信なさそうにしていたけど、慎君や美佐子さん、それに孝浩君が勇気づけたから、きっと受かっている」
母が、僕の思っていた忠の結果を汲み取ったようだ。
「うん、みんな合格していると信じているよ」
忠と呼んでいる彼、姓は川野(かわの)と言う。二階から見えるところに住んでいる。川野さんと僕たちの家族、それに、美佐子と呼んでいる彼女、若野(わかの)さんの一家とも物心ついたときから家族ぐるみのつきあいだった。
他の友人たちには《さん》または《君》とつけて呼ぶ僕だけど、この二人は普段はそれをつけずに、名前だけで呼んでいる。いつからなのかは、忘れてしまった。小学校に入学する頃から言っていた記憶があるから、幼稚園に通っていた頃だったかも知れない。
それぞれの父親が、カメラとアウトドアという趣味かつ、東高校時代は、一緒の野球部だったという。卒業式が終わり、ささやかなお祝いの夕食。父は僕が受験した東高時代の話を始めた。
「俺に、川野それに若野は野球部だったんだ。三年生の甲子園予選、西高(にしこう)と決勝戦が強く記憶に残っているなあ」
「お父さん、確か、投手だったよね」
「そうだ。九回もあと一人だったんだ」
「あれは私も覚えているわ。あなたを一生懸命応援していたから」
母も話に加わった。母はテニス部で総合体育大会でも活躍している。高校時代からよく話しかける間柄だった。
「静子(しずこ)には、きっと甲子園のマウンドで活躍するって誓ったね」
「決勝戦はあなたはとてもかっこよかったわ」
父は、九回裏ツーアウト二塁。すでに二つのストライクで打者を追い込んでいる。双方無得点。延長戦の場面も考えていたそうだ。延長戦で打線が援護することを望んだ。
「渾身(こんしん)の一球。これでアウトを取れば延長に持ち込める。次の瞬間に玉を打つ音がして、サヨナラ負けになったんだ」
「そうなんだ」
野球部にいたことはこれまで何回か話し、僕とキャッチボールをよくしてくれた父。学生時代のころを初めて口にした。
「悔しかったなあ・・・。でも、仲間たちや監督が《よくやった》と励ましたんだ。慎一郎も高校に入ったら、どんな仲間に恵まれるんだろうな」
「うん、きっとすばらしい友人に恵まれると思うよ」
笑顔で両親を見る。今は、忠や美佐子、孝浩君と呼んでいる真田孝浩(さなだたかひろ)君も小学校時代からの幼なじみや、友人たちと信頼しあえる関係になっている。二人も知っているし、よく、遊びに来ている。しかし、僕には、今でも両親には話せない中学時代の出来事がある。
中学時代、入学から二年生の一学期頃までは、僕に取って忌まわしい思い出しかない。入学してからすぐにクラスから無視され、同じ中学校区の《ワル》と呼ばれた、加藤(かとう)と山本(やまもと)をはじめとする素行が悪い生徒から絡まれた。中心的に絡んだ、つまり《いじめた》のは、名前をあげた二人。僕をおもちゃのように扱い、そして、体育祭の練習が終わり、着替えている最中に絡まれ、服をすべて取られて、生徒たちの前で見せ物にされた。孝浩君が気づいて怒鳴り声を上げなかったら、僕は、もっと恥ずかしく恐ろしい目にあっていたかも知れない。彼らは羞恥心(しゅうちしん)を巧みに使って、心まで支配しようとしてくる。
荒れる気持ちで、僕は屋上へ向かった。消えてなくなりたいという考えに強く支配されていた。柵に手をかけようとすると、
「慎一郎君、待って」
の声がして飛びついて来た。普段は笑顔を絶やさず、ダンスや有名なモデルの真似をして、何だか《軽い》言われていた彼。そのときは恐い形相をしていた。忠や美佐子も、彼の知らせで部活を中断して飛んで来た。迷惑をかけたくない一心で。隠し通してきた。
「ごめん」
孝浩君に泣きつく。幼なじみだったのに、それに親友だったのに、気兼ねなく話せる仲間だったのに、どうして・・・。勇気が出なかったんだろう。
「孝浩、ありがとう。慎一郎を思いとどまらせて」
「私からもお礼を言うわ。ありがとう」
「小学校の時からの親友だから当り前だよ」
恐い形相から、いつもの笑顔に孝浩君は戻った。
「何で、俺たちに言ってくれなかったんだ」
小さな僕の体を強く揺さぶり、忠は言った。顔を見ると止めどもなく涙が流れている。彼の泣く姿は覚えている限り初めてだ。
「そうよ、言って欲しかった」
陸上部で活躍し、他の生徒たちの信望が厚い美佐子は顔を覆って泣いている。心配させないはずが、二人を悲しませている。早まったことになっていたとしたら、三人を後悔させている。
沈黙の後、僕は、
「ごめんなさい」
を口にして長い時間、頭を下げていた。
このことをきっかけに、美佐子たちがたびたび教室にやってきた。それと同時に僕への無視が消え去った。《私の彼氏》と、あの二人に聞こえるように言い、回りから歓声が上がると、目を反らし、教室から出て行くこともあった。とっさに出た言葉かも知れない。僕を守ろうという気持ちでうれしかった。
そんな中、生徒会役員選挙があった。僕はなんと抽選で副会長立候補に選ばれてしまった。人前で演説するなどまったく初めてのことで、できるのだろうかと不安になっていると、
「応援演説は任せておけ」
忠がかって出た。しかし、クラスが違うし、彼がいるクラスにも副会長は立候補している。
「大丈夫なの」
「了解もらっているから。記憶に残る名演説するから」
選挙ポスターも同じクラスの生徒から、アイドルと間違えそうな僕の似顔絵を描いてもらった。そして、立会い演説会の日。僕は、《生徒と学校の架け橋になります》ありきたりな演説をしたと思う。
忠が応援の演説をすることになった、開口一番出た言葉が、
「みなさま、こんにちは」
次の瞬間に、爆笑で体育館は響きわたった。いまでも、何であれで受けたんだろうと思っている。
演説が終わると投票。あの演説の影響はとても強烈だった。ゆえに、僕の圧勝だった。他の二年生の候補者は、僕を称えた。その日か話す機会ができ、人間関係の幅が広がった。
《自発的》に活動をしたいとは、最初は考えても見なかった。無視から消極的な性格になっていた僕は、成長するいい機会となった。他の役員の方々も僕に優しく接してもらった。次第に自信を付け、地域との交流活動や、生徒会の会議で発言や提案を積極的するようになった。毎週月曜日の校門前でのあいさつ活動は僕は提案し、通ったものだ。
あの二人、加藤と山本は、近づくこと、いや、僕を避けて通るようになった。
=> 2
時計はまもなく八時になろうとしている。玄関で忠の呼ぶ声がする。
「いってきます」
両親にあいさつをする。
「わかったら、私の携帯電話メールにしておいて」
「うん」
母の言付けに僕はうなづいた。発表はあと一時間ほど、父も母も勤務を始めている頃だ。
「おはよ」
「ドキドキするな。もし受かっていなかったらどうしよう」
忠は心配そうな表情を見せている。苦手な英語。答案用紙には文字をすべて埋めたと言っていた。それでも僕たちには《人生最大の失敗》などと落胆した表情を見せていた。
「大丈夫だよ。美佐子や孝浩君とあんなに勉強したから」
「頭に入りにくかった英単語も、語呂合わせで覚えたからな・・・」
「そうよ、ノートが真っ黒になるほど、英単語書いたから、きっと、合格点に達しているわよ」
東高へ通う道は中学校とは反対側。今までは、美佐子と忠が僕の家に来て、一緒に行くように誘った。きょうは、忠が僕を呼び、美佐子の家を通る道筋となっている。歩いて五分も満たない距離だ。
「慎一郎君、忠君、おはよう」
「おはよ。番号見るまでは、ドキドキするね」
「うん。忠君、どうかしたの顔色悪いわよ」
「もし、受かっていなかったら、どうしようかと、俺、きのうはなかなか寝つけなかったんだ」
こんな忠の姿、初めてだ。いつも活発で野球も得意で、野球大会での堂々とした投手ぶり、僕も真似したいと思うほどだ。得意のカーブを投げ、ストライクが決まるたびに声援を送っている場面を思いだしながら、
「信じようよ。毎日、がんばったから、きっと大丈夫だよ」
「慎一郎君のいう通りだわ。元気をだして」
「ありがとう。不安がいくぶん消えた」
忠は、いつもの表情に戻った。そうでなくっちゃ。
「慎一郎君、おはよう」
校門前で孝浩君。それに和田浩太(わだこうた)君と出会った。和田君は僕より背が高く、体格もいい。中学時代、彼の友人の紹介で、柔道部に入った。体力をつける意味あいと、そう、あの二人から再び絡まれない。つまり、心も体も鍛えて強くなるため。和田君とはすぐに仲良くなり、受け身の練習から始め、投げ技、寝技。掛かり稽古で彼を、たまたま偶然に投げ技が決まってからは、おもしろくなった。
朝と帰宅後、時間を見つけてはダンベルで腕の力を鍛え、家の周囲を走り込みしたり、柔道の本を図書館で借りたり、書店で買い込み、柔道競技などのビデオや番組を視たりもしていた。卒業前には、ほとんどの部員と互角に戦えるように上達した。
「どきどきしているんだ」
孝浩君も結果を心配していた。
「受験の次の日、新聞に問題と模範解答が載るよね。数学の計算問題ががすこし自信がなかったんで、解答をみたら、《あ、やってしまった》と叫んでしまったんだ。一問、落としてしまった・・・」
「・・・孝浩、俺、せっかく、慎一郎や美佐子に勇気をもらったばかりなんだから、信じようぜ」
「そうだよ、川野や、真田がいない高校生活なんてつまらない」
和田君が真顔で言う。孝浩君は、深呼吸をして、あの《軽い》と言われた表情に戻って、
「信じるよ。不安になって、それが現実になったら困るから」
これで、みんな自信をつけて、発表を見に行ける。東高は、校門をくぐると桜並木が続いている。庭園のような中庭には、いくつかベンチがあり、桜の木がある。中庭を通り、校舎入口前で、発表は行なわれる。時計を見るとあと三十分を切っている。購買部と表示されている売店横の自動販売機で飲物を買い、五人は中庭のベンチに座った。受験した生徒それに親たちが集まってきている。
「高校に入ったら、俺、柔道を続けるよ。あこがれの先輩と早く練習できないかな」
和田君が口を開く。東高は文化部をはじめ運動部、つまりスポーツも盛んな学校だ。柔道部は県下一強いと称されていた。
「もちろん、野球部。目標は、もちろん西高を倒して甲子園」
忠も言う。父の学生時代から東高と西高は野球は互角、どちらかが県の代表として出場している。
「私は、新聞部に入って、みんなのかっこいい姿を取材するね」
彼女は陸上で活躍していた。三年生の最後の大会前に膝を痛め、無理して出場した結果、今でも整形外科に通っている。治療の甲斐があり、最近では走ったり跳んだりはできるようにはなった。壁新聞づくりが得意な美佐子の友人の誘いがあり、文化部に決めていた。
「よし、俺たちがんばらないとな」
忠と和田君は笑いながら言った。僕は、どうしよっか・・・。
「慎一郎はどうする」
「うん、ちょっと考えさせて」
「山下が決めることだから、悔いのないように楽しもう」
本当は、和田君は柔道部に入って欲しかったようだ。彼は、入部を勧めたりはしなかった発表を見てからゆっくり考えよう。
「そろそろ行こうか」
発表まで十分を切った。掲示板が立てられる周囲には黒だかりの人。それに父がいる新聞社、地元のテレビ局が取材の準備を始めている。あとは《新聞部》の腕章をした、在校生と思われる人々も。
僕の誘いに、みんなドキドキして、場所へ向かった。
=> 3
発表までの残り一分が、どれだけの時間に感じただろうか。一時間、それとも一日。世界が突然、時間の進みが遅くなったように感じた。掲示板が見えると、静寂に包まれた。カメラのシャッターの乾いた音だけが聞こえる。
ちょうど九時。掲示板が立てかけられ、受験番号票を取り出し番号を追った。僕の番号はすぐに見つかり、そして、美佐子、忠、孝浩君、和田君。ここにいるすべての番号があった。忠は。何度も見返して、間違いないことを確かめると、
「受かった」
大きな声と飛び上がって喜びの表情を見せた。そして、僕と美佐子と孝浩君が抱き合った。ダンスやモデルの格好をするのが好きな孝浩君は、喜びをダンスで現わしている。新聞社、テレビ局のカメラが集まったのを気づくと、《合格しました》とモデルの格好になっている。
「おめでとう。これでみんな、一緒に通えるね」
和田君も輪の中に入ってきた。周囲も飛び上がって喜んでいる。抱き合う姿が見られ、カメラがその姿を追っていた。少し間をおいて、忠に新聞社やテレビ局の記者とカメラが集まった。落ち込んでいた彼が一転、大喜びしたのだ。よっぽどめだったのだろう。
「合格、おめでとうございます。高校に入ったら何をしますか」
記者の問いかけに、忠は、自信あふれる表情で、
「はい、勉学とスポーツ、それに、野球部に入って甲子園を目指します」
と答えた。僕にも質問が回ってきた。
「友人をたくさん作って、勉学に励みます」
そう言って、忠と肩を組んで、拳を握った。テレビ局の人に聞くと、昼の全国ニュースのあとのローカルニュースと夕方のニュースで放送とするとのこと。あとで、それもメールしておこう。
「川野君たら、さっきまでの、不安な表情はなんだったのかしら」
美佐子がおどけて言う。
「美佐子だって不安だっただろう」
「わかっていたんだ。私も、歴史の年号、一つ間違えたと気づいたから」
「みんな同じだね」
孝浩君が言う。受かるまではみんな不安なのだ。ここにいるすべての受験生が共通していることだ。僕は、父と母に掲示板の写真、みんなが掲示板の前に並んだ記念写真を添付し、合格したことをメールした。もちろん、テレビで放送されることも。
周囲を見渡すと、あの加藤と山本がいる。彼らは成績は芳しくなかったと聞いていた。成績も悪く、東高以外の《滑り止め》を受けているとも聞いた。彼らも合格していた。彼らのとりまきと喜びの表情を見せていた。取り巻きたちは普段着だったから、別の学校を受験していたのだろうか。でも、彼らはいつ受験勉強をしたのだろうか。内申点はどのようにして得たのだろう。
「あの二人も受かったんだな。慎一郎」
忠が顔を曇らせる。美佐子も同じだ。
「大丈夫だよ。もし、僕が絡まれたら、隠したりはしないから」
笑顔で答えると、二人の表情はやわらいだ。
「俺たちがにらみを効かせるから、山下、心配するな」
「ありがとう・・・」
和田君の一言がとてもうれしくて、涙が止めどもなくこぼれ落ちている。
《みんなのおかげに僕はいる。僕はみんなのために何かをしよう》。これは、屋上から身を乗り出そうとして引き止められから、ずっと思っていること。これから三年間、どんなことが待っているのだろう。これまでも、そしてこれからも《みんなのおかげで》の思いは忘れずいたい。
「慎一郎、泣くなよ」
「うん・・・うれしいから、涙が止まらないんだ」
合格を確認すると、受付へ。一週間後、保護者の説明会と制服の採寸が行なわれる。創立六十年近い東高は、最初から制服は詰襟とは異なり、ブレザーとネクタイだった。旧制時代から続く西高は伝統の詰襟。その他も詰襟が多かった。
デザインも洗練されていて、六十年前に決められたとは思えなかった。父の話では、世界的に有名なデザイナーに依頼したという。僕はずっとそのかっこよさに憧れていた。ここへ進学すると小学生の時からここに決めていた。いよいよ、その制服を着て投稿するのが現実のものとなる。。
「受付も終わったから、慎一郎、あしたみんなで喫茶店にあつまろうか」
忠が誘う。この地域の人たちが、集会や会合に使う、あの喫茶店だった。喫茶店と言っても、食堂もしていて、店主が若い頃、長崎の有名な中華料理店で修行をしてきたということで、ちゃんぽんや皿うどん、特にトルコライスはこの街ではここだけしか食べられないとのこと。僕の誕生日は必ずここのトルコライスとホットケーキが定番だった。
「そだね、父から、路面電車の写真が増えていたと聞いていたから、見に行こうよ」
「楽しみだな」
忠はわくわくした表情を見せている。僕と忠の共通し多趣味はカメラ。鉄道など公共交通の写真をよく撮影に行く。喫茶店の店主が飾る路面電車の写真を見に行くのが好きで、いつしか、店主とは親しく話し、何枚かの写真をいただいたこともある。
「あした、十時、慎一郎君の家の前にあつまろう」
孝浩君が言うと、みんなはうなづいた。
## 第一章 入学式
=> 1
待ちこがれていた入学式の朝がやってきた。ついに憧れの制服で忠や美佐子たちと通学できるのだ。昨晩は興奮したのかなかなか寝つけなかった。中学の入学式の朝も同じだった。希望から、集団で無視され、あの二人に忌まわしい経験を繰り返すことはまずはない。僕のことを思ってくれる仲間、それに両親に感謝して、きょうからの高校生活を始めて行きたい。不安よりも希望に満ちあふれていた。
身支度をさきに済ませ、いよいよブレザーに袖を通す。鏡を見ながらネクタイを締める。鏡に写った僕は、すこし大人びたように見える。
「おはようございます」
両親は食卓についていた。二人ともきょうは休暇を取っている。父はカメラの点検をしていた。
「いよいよ、きょうからだな」
父が言った。
「うん、お父さんたちは、後から来るんでしょう」
「もちろん、式が終わったら、川野さんや若野さん、それに真田さんの両親をあの喫茶店に集まるように言っているから、トルコライスでも食べるか」
笑顔で僕はうなづいた。お祝いの時は必ずこのメニューだ。
食事をゆっくり取り、時計をみると七時四十五分が近づいている。そろそろ忠が玄関に来て僕を呼ぶ声がする。
「慎一郎」
時間通りに忠の呼び声がする。僕は両親に《いってきます》を言い、玄関に向かった。
「おはよ。きょうからだね」
「三年間、よろしくお願いします」
普段は少し粗いなと感じる言葉遣いをする忠が、丁寧な言葉でそれにお辞儀までする。少なくともこんな仕草は初めてだ。
「た、忠君、どうかしたの」
「慎一郎が俺のために勉強会を何ども開いてもらったから、受かって、また慎一郎と通えるんだ。そのあいさつなんだ」
「僕こそ、あの二人から守るという言葉に感謝しているんだ。三年間、よろしくお願いします」
忠のようにお辞儀をする。それが終わると双方、顔を見て笑いだした。よし、はりきっていくぞ。
少し、歩くと美佐子の家の前で、彼女が待っている。ブレザーの制服が決まって、かっこいいな。
「おはよう。私もきょうが早くこないかって待っていたの」
彼女も、きょうの日を待ちこがれていたようだ。
「慎一郎君、どうしたの、私を見つめて」
「顔が赤いぞ。さては・・・」
「ち、違うよ。み、美佐子はいい友達だよ」
僕はあわてて、変なことを思って、美佐子から嫌われたらどうしようという思いで、この言葉を口にしてしまった。
「あのとき、《私の彼氏》といって、加藤や山本たちから守ってもらったことと、美佐子のブレザー姿にかっこいいと同時に思ったんだ」
「ありがとう。私からも、三年間、よろしくお願いします」
美佐子もお辞儀をする。いつもの登校風景なんだけど、きょうは初めて幼稚園へ通い始めた、遠い幼い日のように感じている。
話ながら歩いているうちに、校門に着いた。孝浩君と和田君が僕たちの姿に気づき手を挙げて声をかける。
「おはよう、そろそ来るかなと、早めに出て待ってたんだ」
孝浩君が言う。息づかいが荒いような気がする。時間に間に合わせようと走ってきたのだろうか。
「おはよ、きょうからだね」
「実は、真田、さっき、走ってきていたんだ。遅刻でもないのに聞いたら、山下が来るからって」
「和田君、それは言わないでよ」
「その気持ちだけでうれしいわ」
美佐子が、彼を気遣うように言った。孝浩君は照れ笑いしていた。式は九時半。まだ、入学式の準備をする先生思われる人たちがいるだけで、それ以外は、僕たちだけのようだった。二、三年生は翌日始業式らしく、誰も登校しているものはいないようだ。
=> 2
受付の近くに掲示板があった。入学式の注意事項、これから学ぶ、クラス分けの表が貼っている。僕たちはそこに行き、自分の名前を探した。
「あ、僕は、一組なんだ」
最初の見つけたのは僕、美佐子も同じ組、忠が、三組で、孝浩君、和田君は五組だった。東高があるこの街は人口二十万人ほど。西高を含めこの二校は、周囲の都市からも通学生が多数いて、人数も多い。普通科が九組まであった。
「よかった・・・あの二人、九組だよ」
孝浩君が言う。あの二人とは、加藤と山本だった。僕のことを思って、どこに分けられていたか探していたのだ。
「ありがとう・・・」
頭をさげる僕に、
「友人だから、それぐらい当り前だよ」
「慎一郎と、同じクラスだったらどうしようかと思っていた。このクラス分けのしかたって・・・」
「入試の成績や内申点で分けているのかしら」
美佐子が名簿を見ながら言った。そうなのだろうか、中学時代の同級生も、成績がよかったものが八組にいたり、成績が不安で、隣の市にある私立の滑り止めを受けに行った同級生は二組にいる。
「美佐子、違うみたいだよ。たぶん、出身校別に均等に割り振っているみたいだよ」
「俺も、山下の意見と思うな。成績順とは違うな。ただ、九組にいるこの生徒、隣の中学で素行が悪くて、有名だった者もいるんだ」
和田君がその名前を指さして言った。
「あ、こいつか」
忠も知っているようだ。
「野球の練習試合で、隣の中学に行ったとき、めだっていたんで聞いて知っているんだ」
「でも、いちいち気にしていたら、これから全く楽しめないよ。僕は大丈夫だから。何かあったら、みんなを信じているから」
入学から、そういう話題で不安になっては、三年間の高校生活は持たない。二人は、あの忌まわしい体験以降、みんなのおかげで、遠ざかっている。
「慎一郎君のいう通りよ。気にせずにいきましょう」
美佐子がまず、僕の考えが伝わった。忠たちも、うなづいた。
九時、それぞれのクラスに着席、十五分間、説明をして会場に移動すると、掲示板に書かれていた。時計は八時二十分を回った頃だ、この新入生や保護者が次第に集まってきている。少し、時間があるから、先日も、飲物を買った購買部横の自動販売機で、飲物を買い、中庭のベンチに腰掛けた。桜の木が並木のように連なっていた。
この数年は、桜が春分の日あたりで開花することもあった。今年は、三月の終わり頃に開花宣言が出て、きょうの入学式は満開、おまけに澄み切った快晴だった。すがすがしい染井吉野(そめいよしの)の香りが、僕たちの希望や期待を歓迎しているように思えた。
「慎一郎、ここにいたか」
父の声だった。見ると、母に忠、美佐子、孝浩君、それに和田君の両親も一緒に来ていた。和田君も受験勉強を僕の家で一緒にしたのをきっかけで、両親どうしでつきあいが始まっていた。東高の出身で野球部の一年後輩だったのは、後から知った。
「うん、まだ、時間があったんで」
「それなら、記念写真を撮ろうか」
僕たちは、まず、校門へ移動し、それぞれの家族の写真、一人ずつの写真、最後に全員で写真を手際よく撮影した。新聞記者の父だから、手際がよい。去年、社会科見学で、新聞社を訪問した日、てきぱきと仕事をする父の姿を見て、かっこいいと思った。大人になったら、父のようになりたいと感じたほどだ。
「中庭の桜の木の下で、撮影しようか」
忠の父も、無類のカメラ好き。すぐに、さっき僕たちがいたところへ戻る。
「この木には思い出があるんだ」
忠の父が、満開の桜を見上げて、学生時代の思い出を話だした。
「俺と、昼休み、バレーボールして遊んでいたら、枝に引っかかってね」
父も関わっていたようだ。
「それで、僕が木に登ったんだ。山下、木登りは苦手というんで」
「ボールは取れたんだけど、枝が折れて、危うく落ちそうになった。見ていた女子生徒悲鳴あげていたよ」
「そんなことあったんだ」
僕は、二人を見る。表情は、学生時代に戻っているように見える。
「山下君、ここね、僕が登って枝を折ったところ」
きれいに剪定した場所を示して指し示す。
「あの後、先生から、たっぷり説教されたな・・・。校則に木登り禁止を書き加えるか、生徒総会にも出てね」
「結局、どうなったの」
「そこまでは、やりすぎだろうと、反対したのが若野なんだ。それをきっかけに、他の生徒からも、反対がでてお流れになったんだ」
忠の父が、美佐子の父を見ながら言った。
「そんなこともあったね。俺たち以外と、やんちゃだったね」
写真撮影が終わる頃には、僕たちは教室へ行き、両親たちは、東高時代に思いを馳せていたようだった。みんな、東高の卒業生、卒業から二十年以上経過しても、つい、きのうのように感じているようだった。
僕たちも、将来、大人になって、子どもたちが、もし、東高へ進学したとしたら、これから始まる、様々な思い出を語っているんだろうな。その姿を想像しながら美佐子と一組の教室へ入った。
黒板にはどこに席に着くか書かれていた。丁寧な字だった。僕は、前の列、美佐子は、僕の列の右側だった。
「隣どうしなんだ」
「小学生の時以来だわ」
「そだね。美佐子とクラスが一緒になった時は、席は隣だったね」
ふうっと深呼吸して教室を見回す。一組の生徒がすべて席に着いている。中学時代からの同級生が三分の一。あとは見知らぬ顔が多かった。この中で何人が話せて、友達までなるんだろう。思っている内に先生が入ってきた。
忠のような体格で、しかも若かった。二十代の後半かな。
「入学おめでとう。一組を受け持つ、増田豪(ますだたけし)といいます。現代文、古典を教えています。一年間、よろしく」
増田先生は、丁寧な字で名前を黒板に書く、東高の制服姿で席に着いても違和感がない。
「先生、若くてかっこいい」
美佐子が僕の方を見て言う。
「制服姿でも、違和感ないよ。このくらい、身長があったらいいな」
「そこの二人、何か質問は」
話している僕たちに気づいた先生が尋ねる。
「はい、増田先生を制服姿にしても、似合うかなと思っていました」
まず、僕が先生の質問に答えた。美佐子も、続いて。
「若くてかっこいいって、慎一郎君と話していました」
先生は、照れ笑いをしながら、
「去年も、一年生を受け持ったときにも、《俳優のようにイケメンなのに、芸能事務所からスカウトされなかったんですか》と聞かれたんだ。大学時代、学園祭のコンテストで出たくらいかな。それと、制服姿は似合うは初めてだな。名前は山下君だったね」
「はい、僕は、山下慎一郎と言います。失礼なことを言ってごめんなさい」
頭を下げる僕に、
「山下君、謝らなくていい。俺も、もう一度、学生時代に戻りたいなと思うことがあるんだ。それに、若野さんだったね」
「はい、若野美佐子と言います。名前を覚えているんですね」
「黒板に席順書いたときに、名前をすべて覚えた。どんな生徒かなと思いながらね」
「さすが、先生」
美佐子のこの言葉に、笑い声が教室に響いた。
「これから、入学式の説明をする。式が終わったら、自己紹介よろしく」
増田先生は、かっこいいポーズを決めた。彼も、アイドルの真似をするのが好きで、先生たちの忘年会などで、真似をするそうだ。
拍手喝采があがったのは言うまでもない。これが、僕の高校生活によい影響を与え、一人っ子の僕に取って、人間関係の悩みなどを打ち明けられる、兄貴のような存在になった一人の最初の出会いだった。
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入学式、会場の体育館に移動している間、満開の桜が迎えている。ひらひらと舞う花びらは僕たちの前途を祝しているようだった。
会場には、先生方、保護者、それに三年生と思われる生徒が数人いた。カメラを持っている女子生徒、小さな手帳に何かを書き込んでいる女子生徒もいた。女子生徒見ると《新聞部》の腕章をしていた。あとは、生徒会の人たちだろうか。
式が始まった。始まりを宣言し、君が代斉唱。次に、各学級の先生の自己紹介と生徒の名前を読み上げる。僕の名前が呼ばれたときは《はい》と元気よく応えた。全部で九組、だいたい三百六十人ほどいるから、終わるまで三十分以上時間がかかった。特徴的だったのは、九組のあの二人が名前を呼ばれても、返事はなく、ふてくされたような感じで立っていたそうだ。これは、和田君が振り向いて確認している。制服もだらしなく着ていて、みっともなかったと言っている。あいつらの《自己顕示》なんだろうけど、かえって子供っぽく見えた。
次に、校長先生の祝辞。長いスピーチするのかなと思っていると、簡潔で、分かりやすく、五分で終わった。最後に、
「私も学生の頃、長い演説で居眠りしそうになった。短く簡潔で分かりやすいは持論です」
で締めた。会場から大きな拍手が沸き上がった。続いて、生徒会長の祝辞。これも簡潔、明快。さすがだなと思った。《校長よりちょっと長めに話しました》には笑いが起きた。
式は、予定通りに終わり、再び教室へ戻った。後ろには保護者も並んでいる。
「明日からの予定を説明するぞ。それから、自己紹介。きょうはこれで終わりだ」
増田先生が、明日から、今週いっぱいの予定を説明する。次の日は、午前中、二時間は、《オリエンテーション》と称する、学校の紹介、それに校則など。それから、教科書の受渡し、午後からは、最初の増田先生の授業が始まる。教科書を用いるのではなく、高校での学習法などを説明するそうだ。それから、体育館に集まり、部活動紹介になる。
三日目は、午前中は学力テスト。習熟度を測るそうだ。午後は先生との個別面談。進学校でもあるから、大学の進路の相談もするとのこと。四日目から通常の授業が始まる。先生は、予め黒板に書いていたことを元に、簡潔かつ丁寧に説明した。
「中学校と違って、学習量も増える、計画的な予習・復習をしておくと、テストも大丈夫だ」
先生は単に容姿がかっこいいだけではない。説明を聞いていて、僕は感じとっていた。
自己紹介が始まった。まずは、増田先生。出身はこの県境付近の隣県との大都市と隣接している。高卒後、東高の隣にある海老楽(えびらく)大学の教育学部を出て、教員に。二十八歳、独身。中学高校時代は野球部、大学時代のサークルは《演劇》だった。
「先生、何で俳優やアイドルにならなかったんですか」
美佐子が手を挙げて質問する。
「役者も憧れていたさ。それより、教師は中学校の時からなりたいと思っていた仕事なんだ」
「そうなんですか、もったいないな」
「去年、新入生からも質問された。これは自分で決めたことだから、悔いはないよ」
先生はそう言うと、美佐子は納得していた。
前列から後列へ自己紹介が進んでいった。すべて終わると、きょうはこれで終わりになった。
それぞれ保護者と一緒に教室を出た。そんな中、僕と、美佐子の両親が、先生ところへ来て、
「山下の父です。慎一郎たちをよろしくお願いします」
「私もまだまだ、未熟な点があります。一生懸命、指導して行きます。よろしくお願いします」
先生も頭を深く下げた。そして、父の顔を見ると、
「山下さんって、もしかしたら、新聞記者ではないでしょうか」
「よくわかりましたね。学園祭コンテストのインタビューをしたことを思いだしました」
父は名刺を差しだした。
「お父さん、知っていたの」
「大学の学園祭で、かっこいい学生コンテストの男子の部で一位だったんだ。女子の部で一位になった学生と一緒にインタビューをしたんだ」
「山下さんは、ものすごく若くて、それに丁寧な質問で、いい人だと思っていました」
「先生、至らぬ点がある息子ですが、よろしくお願いします」
あいさつが終わると校舎の入口へ。忠、孝浩君、和田君、それに両親が待っている。
「一組、賑やかだったな」
忠が言う。自己紹介はとても楽しかった。歓声もあがっている。
「担任の先生がとても格好良くて、話もおもしろかったんだ」
「そうなんだ、俺のところは、結構、静かだったかな。先生は数学の松本先生だったんだ」
「俺たちは、英語の中村先生。眼鏡に薄い水色がかかっていて、話し方も個性的だった」
孝浩君が言う。
「個性的というか、英語の時間、厳しいぞ」
和田君がそういうと、
「三組に来るんだろうか、英語ついていけるのだろうか」
不安がる忠。教科ごと一覧表を見ている。英語担当教師の名前が中村先生となっていたからだ。
「忠君、大丈夫。また、みんなで僕の家で勉強しよう」
「慎一郎の言うとおりだ。一緒に勉強すれば何とかなる」
「その意気」
忠の表情が明るくなった。そういえば、入学式から今まで、気になったことがある。僕を見て、驚きの表情をしていた新入生がいた。背がいちばん低く、痩せていたから目立っていたのかと思った。体格を見てというより、僕の容貌と感じた。自己紹介している時も、何人かの生徒たち、それに教室の後ろにいた保護者も驚いていた。今でも、校庭にいる生徒たちが驚いている。
「忠君、僕を見て、驚く人いるよ」
「俺も、さっき気づいた。慎一郎がかっこいいからじゃないのかな」
「なら、いいんだけど」
「私も、自己紹介の時に気づいたわ。隣街の《南中学》卒業の生徒のようね。聞いてみようか」
美佐子も、僕を見て驚きの表情を見せていた人々に気がついていた。
「いいよ、気分悪くさせたら、失礼だよ。僕の体格、もしかしたら、僕、本当にかっこいいかもね」
みんな、《かっこいいのほうだよ》と言って、笑いだした。
「集まったことだから、喫茶店でお祝いしようか」
父が言う。お祝いの《トルコライス》を食べに喫茶店に向かった。
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高校生活、第一日目が、こうして終わった。お祝いのトルコライスはおいしかったし、お目当ての、店主が新しく撮影してきた路面電車の写真に、歓声をあげていた。父も、取材でいくことがある。そのときも写真がおみやげになっている。一度、行ってみたいなと思っている。
部屋に戻り、ベッドに転がった。早めに寝て、明日に備えよう。
・・・と、思ったんだけど。部活、どこに入ろうかと考えていると寝つけなくなった。
美佐子や忠は、《和田君と一緒に柔道部で、優勝をねらわなくっちゃ》と言っていた。体力や筋力、それに度胸をつけるために、柔道部へ入った。東高は柔道の名門と言われるほど強かった。そういえば、遠くから受験して入学した生徒もいたな。和田君よりも背が高くて体格がものすごく良かった。黒帯を取って、体育大会の階級別に出場して、決勝で新聞部に希望している美佐子の前で、鮮やかに一本勝ちを決めたら、どんなに気分いいだろうな・・・。
新聞部・・・。美佐子が言うには、創立から続く、伝統の文化部。活動が活発で、父が勤める新聞社主催の《学生新聞競技会》でいつも優秀賞を得ている。この前、職場見学にいった日、父の仕事ぶり、それに、大きな輪転機が高速で新聞を印刷するのを目の当たりにして、新聞づくりにとても興味を持った。彼女が、みんなを取材して、よい記事を書くの言葉に、僕も、たくさんの部の取材をしてみたいと感じていた。父も、《記者は、たくさんの出会い、見識が広がるから、楽しい仕事》だと言っていた。
中学入学してから一時期、理由がわからないままクラスの仲間から無視され、加藤や山本に絡まれ、結果、忌まわしいいじめまでされ、僕の心に深い痛手と、消極的な性格になってしまった。みんなのおかげで、柔道部で自信をつけたんだけど、まだ、僕には、あのことを引きずり、もうすこし、積極さが欲しかった。
《よし、新聞部に入ろう》
心の中で、一度は決めた。しかし、和田君がどう思うのだろうか。《山下の決めることだから》とは言っている。でも、落胆の表情をされたら、なんと言おうか。彼が真剣に僕に柔道を教えていたから、もし、新聞部に入ったら、和田君の気持ちを踏みにじるかも知れないな。
僕の思いを取るか、それとも、和田君を立てるか。二者択一の問題、どちらを取ろうか。考えている内に、喉の渇きを感じた。まだ、午後九時前だった。
冷蔵庫からよく冷えたお茶を取り出し、注ぎ、喉を潤す。居間で両親はテレビを見ている。ちょうど、ローカルニュースが流れていた。いつもは原稿を読んでいる若いアナウンサーが、強豪西高のラグビー部の強さは何かと、練習に入って《体験取材》をしている。《私も高校時代、ラグビー部でした。実際に、練習に参加してみます》を語り、タックルなどを生徒と一緒にしていた。
「このアナウンサー、元気で有名なんだ」
父がテレビを見ながら、母に話している。特集を見ていると、ふと妙案が浮かんだ。そうだ、この手を使えばいいんだ。
僕は、すぐに部屋に戻り、引出しからノートを取り出し、いま、脳裏にある、二者択一の問題の解答を書いていた。小学生の頃から、思いついたことや、日記など、大学ノートに記している。几帳面(きちょうめん)に書くとは違い、ざっくばらんに書き連ねている。すでに、引出しには、数十冊入っている。僕の自身の思いや、考えの記録。いわば、《山下慎一郎とは何者ぞ》がそこにはある。
一通り書き終えると、気持ちの整理が着いた。次に、便箋(びんせん)を取り出し、ゆっくり丁寧に、《入部届》の文字を書き入れ、僕の名前、それに、入部希望とその理由を簡単に記し、封筒にいれた。
《和田君も、理解してくれるはず。僕が決めることと言ってもらったから》
時計を見ると、十一時を回ろうとしている。難問が解けた、あの充足感と同じような気持ちになり、眠りに着いた。
## 第二章 入部
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高校生活二日目。よく眠れた。なぜなら、僕は、和田君と自分の希望を両方立てる手段を思い立ったから。きょうの日程を確認した。そして、クリアファイルにあの封筒を入れるのを忘れていなかった。
身支度を済ませ、もう一度鏡を見て、髪を整え、食卓に着いた。きょうも両親は揃って食事を始めている。
「おはようございます」
「おはよう、慎一郎。きのうは遅くまで、勉強していたようだね」
父が言った。椅子の動く音が下まで響いたようだ。
「うん、部活の入部届を書いていたんだ」
「それで、柔道続けるの」
母が聞く。
「実は、新聞部に決めたんだ。お父さんの仕事ぶりや、美佐子もそこに入るって言うんだ」
「慎一郎が決めたことだ。勉強も、部活もしっかりとな」
「うん」
笑顔でうなづき両親を見る。文化部に入る理由は、両親は深く聞かなかった。自主性に任せていた。
「おはよう」
忠の声がする。時計は、きっかり七時四十五分。きょうから、またこの日課が始まる。異なっているのは、中学校と通学方向が反対だったから、美佐子が来ていない点。彼女が東高いく通学路の途中だった。
「いってきます」
両親にあいさつを終えると、元気よく玄関に向かった。
「おはよ」
「慎一郎、おはよう。明日は学力テストか・・・」
忠は、学力テストが心配だった。科目は、国語、数学、それに忠がいちばん、気にしている英語だった。
「東高を受験して通ったんだよ。忠君、その日の感覚でテストしようよ」
「そうだな・・英語、合格点、超えているから通えているんだよな」
忠の表情が、明るくなった。
「そうこなくっちゃ」
暗い表情は彼には似合わない。それに、僕も不安になってしまう。程なく、美佐子の家に到着した。
「慎一郎君に、川野君、おはよう」
「おはよ」
美佐子は家の外で、僕たちを迎えている。そろそろ来るだろうと待っていたようだ。彼女の笑顔で僕は勇気づけられている。
「美佐子、僕、新聞部に入ることにしたんだ」
「そうなの。柔道部ではなかったの」
驚く、美佐子。忠も、柔道部に入ると思っていたようで驚いている。
「和田が、がっかりするぞ」
忠がそう言った。
「和田君は、《僕が決めることだから》と言っていたんだ。それでね、昨日の夜、考えている内に、公共放送のローカル局アナウンサーのニュース見ていたんだ」
「ああ、あの若いアナウンサーね。昨日は、西高ラグビー部のレポートだったわね」
美佐子も昨晩のローカルニュースを見ていたようだ。
「分かった。あのアナウンサーのように体験レポートをしたいんでしょ」
「うん、柔道部で活躍もしたいんだけど。もっと、たくさんの人と出会って、見識を広げたいんだ」
「慎一郎君らしいわね。昼休み、一緒に部長のところに行きましょう」
「和田君には、僕から説明するから」
「俺の投げる姿、しっかり取材してな」
忠は、拳を握り、力こぶを見せるしぐさをする。《任せとけ》または《了解》の場合に出る。よかった、もしかしたら、反対がでるかと不安だったけど、杞憂(きゆう)だったようだ。
「山下、おはよう」
校門前には、和田君が待っている。始業時間まで時間があるから、新聞部に入部することと、僕の考えを言おう。
「おはよ。和田君、話があるんだけど」
「分かった、部活のことだろう」
「うん、新聞部に入ることにしたんだ。それで、体力は維持して行かないといけないんで、新聞部の取材という形で、参加してもいいかな」
和田君の落胆の表情が出るのだろうと思った。彼は、にこにことした表情で、
「山下が決めたことだからいいよ。俺のことは気にしなくていいから。それに監督に伝えておくよ」
「ありがとう。感謝するよ」
僕の気持ちを受けとめてくれた彼に、深く頭を下げた。中学二年生のあの忌まわしいいじめから逃れられ、同級生の紹介で、柔道部にいた和田君と知り合い、受け身から教わり、投げ技、寝技など丁寧に教えてもらった。中学校で初めてできた友人だった。お互いに気が合い、いじめられつらかったことを打ち明けてからは、心許せる友人になった。
休日には、幼なじみの三人と加わり、遊びや、宿題を含めた予習復習。高校受験の勉強会もよくした。和田君は本当は僕と一緒に柔道部に入り、一緒に団体戦で戦いたかったかもしれない。それでも、僕の希望を笑って了承した彼には、感謝を忘れてはならないと心に誓った。
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高校生活の心得を含めたオリエンテーションが終わった。教科書の受渡しは十一時十五分から。今から約三十分の間隔があった。席に着き、一息していると、僕を呼ぶ声がする。見ると、長髪の一七〇センチ行くか行かないほどの男子生徒と、眼鏡をかけた僕のように一五〇センチ超え、いや、数センチ高い痩せた男子生徒だった。別の中学の出身のようだ。
「はじめまして。俺、二組の林真一(はやししんいち)、隣は、三組の田中利幸(たなかとしゆき)。よろしく」
林君は、孝浩君のよう雰囲気。それに田中君はややうつむき、なんだか遠慮がちか、申し訳なさそうな印象を受けた。
「僕、山下慎一郎と言います。うれしいな、声をかけてくれて」
「よかった、俺たちは、南中学出身なんだ」
「そうなんだ、僕は、この近くの東中学なんだ。他の中学出身者とも、仲良くなりたいと思っていたんだ」
「・・・急に、声をかけたら、純・・・いや、山下君が嫌うんじゃないかって、真一君に言ったんだ。でも、よかった」
遠慮がちの田中君が初めて目を合わせた。表情も和らいでいる。
「僕は、嫌わないよ。これも何かの機会だから、よろしくね」
「ところで、山下君のお父さん、若くてかっこよかった」
「ありがとう、今年、四十三なんだ。僕も三十になったばかりにしか見えないんだ」
林君は驚いた表情になっている。
「三十初めかなって思っていたんだ。俺の家は、隣街のお寺、《正真寺(しょうしんじ)》の次男なんだ」
正真寺といえば、古くから続くお寺で、温泉地である隣街にあるお寺だった。中庭には立派な日本庭園があり。温泉が穏やかに涌(わ)いている。タウン誌、父が取材に行き、記事を書いたところだ。一度行ってみたいところだ。
「中庭がきれいで、温泉も涌いて、それに高級旅館のような客間もあるんだよね。父が取材に行ったことがあるんだ」
「お父さんって」
「この街の新聞社の記者をしているんだ。僕が中学に入学した頃、生活文化部に移ってから、観光の記事もよく書いているんだよ」
「慎一郎君、この人たちは」
美佐子が席に戻ってきた。僕たちが話しているのを見て聞いてきた。
「いま、仲良くなったんだ。南中学出身の、林真一君に、田中利幸君。林君は正真寺の次男だって」
「あの有名なお寺の。はじめまして、慎一郎君の幼なじみで、慎一郎君の彼女の若野美佐子です。よろしくお願いします」
「み・・美佐子は、いい友達だよ」
いきなり、美佐子が《僕の彼女》というものだから、赤面してしまった。中学時代、あの二人から護るためにとっさに出た方便と信じているけど、初対面の人を交えて言われると、どうしても慌ててしまう。
「あ、顔赤くなっている」
僕のほうを見て、みんな笑っている。でも、いいっか。
「いつかデートするときには、中庭に招待するよ」
林君がおどけて言った。田中君も、にこにこしている。
「いいの、慎一郎君、ぜひ、いきましょう」
「ありがとう。なんだか、昔から、親友だったような気がしてきたんだ」
話が進み、打ち解けていく間に、僕は、林君や、田中君が、以前から親友で、忠や、美佐子、孝浩のような幼なじみだった気がしてならなかった。美佐子が入り、話がはずんだかも知れないけど。田中君は、ビクっとしたしぐさをして、うつむき何かをつぶやいていた。彼には何かあったんだろうか。
「昔からの親友のようだと言ってもらってうれしい。仲良くなれそうだね」
林君は満面の笑顔を見せていた。田中君ほどでもなかったけど、彼もわずかに表情が曇っていた。
「ところで、慎一郎君。新聞部の部長に、入部を伝えてきたわ」
美佐子は部長のところへ行ってきたようだ。
「ありがとう。それでどうだった」
「昼休みに、部室にいるから、いらっしゃいとお誘いしていた」
「そうなんだ。部室はどこにあるの」
「この、校舎横にプレハブがあるでしょ。そこだって」
「ありがとう、ちょっと、ドキドキするな」
東高が創立と同時にできた《伝統の文化部》。そのように聞くと、敷居が高く、文化部は初めての経験だから、どんな人が待って入るんだろうか。不安もあった。これは僕の意思。美佐子も表情明るいから、思いを伝えてこよう。
気がつくと、台車を転がす音が校舎に響きわたっていた。きょうからお世話になる教科書をそれぞれに配り、昼休みまで説明する行事がまもなく始まろうとしている。
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昼休み、僕は入部届を持って、美佐子と新聞部がある校舎横のプレハブの建物に向かった。ここには天文部、文芸部、漫画研究会の文化部も同居している。
気がつくと、林君に田中君もいる。
「林君たちも、新聞部希望だったの」
「うん・・・。興味があったんだ」
部室に入ると、部屋の中央部に大きな作業台と回転椅子、予定など書かれているホワイトボードにパソコン数台と大型の液晶テレビ、新聞印刷用の輪転機、印刷用紙や資料、過去の新聞の綴じたものが棚にきれいに整理している。父が働く新聞社の事務室のような感じを受けた。
室内には男女二人の生徒が資料を並べて談笑している。
「こんにちは、入部届を持ってきました」
まずは美佐子があいさつをする。続いて僕、それに林君と田中君も。
「はじめまして、私が部長の沢村加代(さわむらかよ)。隣が副部長の竹本翔太(たけもとしょうた)です。新聞部へようこそ」
部長の沢村さんは、てきぱきと物事をこなせる女子生徒、竹本さんは眼鏡をかけ、すこし堅いかなと思う男子生徒。これが僕にとっての第一印象だった。
「君が山下君。はじめまして、詳細は若野さんから聞いているよ」
竹本さんが目を合わせて言った。入部届を沢村さんに渡してから、
「中学時代、僕は柔道をしていました。体力をつけるために《体験取材》という形で時々練習に参加してもよろしいでしょうか」
僕は深く頭を下げる。沢村さんは《頭をあげて》と促した。そして、竹本さんと見合って笑顔でうなづくと、
「新聞部はそんなに忙しくないし、それに、他の部の取材にもなっていいね。できる範囲で、無理しない程度に、行ってきてもいいよ」
優しい独特な話し方で竹本さんが言った。彼の最初の印象は、お堅く融通が利かない《お役人》のような感じだったけど、いま、こうしてみると、親しみがわいている。
「怪我だけは注意してね。新聞部は体力が資本だから」
沢村さんはそう言って、僕が柔道部に入って取材という形で練習に参加する希望を快く了承した。数日後、彼女から、いくつかの部に入って《体験取材》をしているわよと、過去に発行された新聞や、写真を見せながら話してもらった。この方法、沢村さんが初めてではなく、約五十年ほど前、僕のような小さく痩せていた男子生徒がおこなったのが最初だという。《伝説の新聞部員》と歴代の新聞部の人たちによって語り継がれている。
「ありがとうございます。お役に立てるようがんばります」
二人の理解は、僕に取っては印象深く、とてもうれしい出来事だった。
一通りあいさつを終えると、林君に田中君が入部希望を伝える。
「南中学出身の林真一、隣は親友の田中利幸です。文化部は初めての経験です。よろしくお願いします」
頭を下げる二人に、沢村さんは、
「ようこそ、この周辺の中学校は文化部はないから、誰もが初心者。肩をはらずに楽しんで行きましょう」
竹本さんも、
「僕も東中学の時は卓球部だったんだよ。でも、上達しなくて、入学して数日たってから、当時、三年生の部長から勧誘されて入ったんだ。だから、部長の言うとおり、楽しい新聞部をつくっていこう」
優しく言った。二人は《はい》と返事をする。三年生の二人は先輩風を吹かせることも、上下関係を求めることも皆無だった。お互いを尊重しようという姿勢が見えてきた。良かった、僕は新聞部の入部することを決めて。
「入学の翌日に自ら希望して四人も入部するのは、私たちの記憶している範囲では初めてだわね」
沢村さんはしみじみ語る。
「部長の言うとおり、去年はなかなか一年生が来なくてね。午後から新入生に《部活動紹介》するんだけど、前の部長も結構、試行錯誤して発表をしたようなんだ」
「そうなんですか」
美佐子が驚くように言った。
「結局、僕たちも駆り出されて、《写真、パソコンが好きな方、新聞部で活躍しませんか》のポスターをつくり、ようやく五人、入ったんだ」
竹本さんが当時の苦労を思いだしながら話した。
「放課後、あと二人、入部届を持ってきます。中学時代、壁新聞が得意で、東高に入ったら、新聞部にはいるから、私にも誘いがきたんです。陸上をしていたんですけど、膝を痛めて、今も通院しています。私を案じて誘ったんだと思います」
沢村さんに竹本さんは、驚きの表情を隠しきれなかった。
「今年は、賑やかで楽しい新聞部ができそうだわ」
沢村さんの心から喜んでいる。
「さっきまで、彼女と、新入生にどのように興味を引かせるか、打ち合せをしていたんだよ。全体で十五人ほどいれば、取材、記事作成、印刷、配布は足りるから、五人ほどいればいいなと思っていたんだ。発表、どうする」
「そうね。翔太さん、《ぜひ、入部をお願いします》というより、新聞ができるまでの説明をおもしろく説明しましょう」
「僕もそう思っていた。きょうは放課後、みんなが集まってから、お好み焼き店にいこう」
「いいんですか」
僕が尋ねる。新聞部第一日目が、お好み焼きを食べるなんて思っても見なかった。
「気にしない。これは僕が部員との親睦を図ったり、話を聞きながら取材をするときにするんだ。もちろん、僕のおごりだよ」
「翔太さんは、お好み焼きが大好物。よく、部員みんなで話ながら食べるわ。きょうは三年生が出し合うから、遠慮なくどうぞ」
「お言葉に甘えて」
美佐子がまず応え、それに僕、林君に田中君も、《ありがとうございます》と頭を下げていた。
「体育会系とは違うから、仲良くしていこう。これは沢村さんや、僕たちの希望だよ」
沢村さんや竹本さんにとても親しみを持てた。第一印象なんて主観でつくりあげたもの。二人を尊敬し、学生生活が進むたびに、信頼できる先輩であり、親しい友人、かつ、一人っ子である僕に取っては兄や姉のような存在に感じていた。
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午後、一年生を体育館に集め、東高にある部活動の紹介が始まった。最初は、運動部、それが終わると文化部になった。
新聞部の番になった。沢村さんと、竹本さん。それに、彼女が言っていた写真担当の三年生、岡祐子さんが立派な一眼レフカメラを持って、取材の様子を再現している。インタビューの相手はもちろん竹本さんだった。竹本さんの独特な口調で笑いを誘いつつも、的確に活動の様子を説明する。入部のお願いは省かれていた。希望している人数以上に入ったのだから。
部活動紹介が終わったのは、午後三時過ぎ。増田先生から明日の実力試験についての説明。
「高校受験ように取り組めば大丈夫」
先生はそのようにしめ、きょうはこれで終わった。さあ、部室に向かおう。先生が僕と美佐子を呼んでいる。
「若野と一緒に新聞部に入ったんだね」
「はい、父の仕事ぶりに憧れました」
「そうか、慎一郎。新聞部は、個性的で楽しいところだから、いっぱい友達を作るんだぞ」
「はい」
「先生、もしかして、部の顧問なんですか」
美佐子が尋ねる。先生はにっこりしてうなづくと、
「昨年、東高に赴任してから新聞部の顧問をしているんだ。初めての経験で、なれていないところもあるけど、よろしく」
「はい」
美佐子とともに僕はうなづいた。
部室にはいると、すでに、二、三年生の人たちが、大きな作業台を囲んで座っている。僕たち以外の入部希望者四人も、座っていた。
「山下君に、若野さん、終わったみたいだね。全員揃ったことだし、今年度最初の新聞部の活動として、自己紹介をしよう」
竹本さんが司会で、自己紹介が始まった。まずは、入部する一年生から始まった。
「僕は、山下慎一郎と言います。東中学出身で、柔道部と生徒会の副会長を経験しました。父は、新聞社の生活文化部の記者です。小さくて痩せていますが、よろしくお願いします」
最初は僕だった。《新聞記者》と言うと、回りからどよめきが起きた。次は、美佐子の番だ。
「若野美佐子です。慎一郎君と同じ中学校の出身です。陸上、走り幅跳びをしていました。同級生で友人の、桜田さん、佐野さんの勧めで入部しました。初めての経験です。楽しく行きましょう」
美佐子が名前にした、桜田良枝(さくらだよしえ)、佐野静(さのしず)さんが自己紹介に入った。佐野さんも、桜田さんも中学に入ってからの仲良しの友達。共に陸上部の経験者だった。
「若野さんから名前が出た、桜田良枝です。特技は、佐野さんと一緒に、壁新聞をつくることです。新聞社からも表彰されたことがあります」
「佐野静です。桜田さんと東高に入ったら、絶対に新聞部に入るんだと、一生懸命勉強しました。お役に立てるようがんばって行きます」
拍手の後、沢村さんが、二人にたいして、
「新聞社のコンクールの展示を取材で行ったわ。私たちも壁新聞を作ってはいるけど、足元にもおよばないと率直に思った。壁新聞、よろしくお願いするね」
そういうと、二人は《はい》と元気よく応えた。二人が座ると、林君と田中君が立ち上がった。
「はじめまして、俺、林真一といいます。南中学の出身で、正真寺の住職の次男です。文化部は初めての経験です、よろしくお願いします」
僕が《新聞記者》と言ってどよめきが起きたように、林君の場合も同じくどよめきがあがった。
「・・・ぼ、僕は、田中・・利幸です・・」
遠慮がちの田中君が、申し訳なさそうに自己紹介を始める。竹本さんが田中君に優しい声で、
「田中君、恥ずかしがらなくてもいいよ。こうして何か縁があって一緒になったんだ。楽しんで行こう」
と言った。田中君は、うつむきがちの姿勢から、みんなを見ると、
「僕も、林君と同じ出身で、幼なじみです。よろしくお願いします」
言い終わると、拍手が起きた。田中君の表情が明るくなった。どうして遠慮がちなのだろう、根っからの性格なのだろうか。
「そして、私たちの部活動紹介を見て入部した、一年生を紹介するわ。松山沙織(まつやまさおり)さんに浜中浩二(はまなかこうじ)君」
沢村さんが二人を紹介した。まず、松山さんが自己紹介を始める。
「北中学出身の松山沙織です。どこに入ろうか悩んでいました。部活動紹介で部長、副部長たちの自己紹介があまりにも楽しかったから、入部を決めました。よろしくお願いします」
一年生の最後は、浜中君だった。背が高く、太り気味に見えた。まずは、みんなに自分が作った紙を配った。そこには《浜中新聞》の表題と、彼が作った、冗談が満載の架空記事が埋められている。パソコンでそれに、一般の新聞と遜色のない段組で作られている。
浜中新聞を読んだ三年生は《ツボ》にはまり、笑いが止まらず、二年生も笑いながら、《私たちがつくっているのより格段上だ》と驚いていた。一年生も、みんな腹を抱えて笑っていた。
「隣町の深江(ふかえ)中学出身の浜中浩二です。友人たちと新聞社ごっこを始め、ジョーク記事を書いて架空新聞を作っていました。先生も大いに受けていました」
「これは間違いなく才能だわ」
桜田さんが言った。佐野さんもうなづいていた。
「僕にも、このジョークセンス、わけて欲しいくらいだ」
竹本さんも感心していた。ここまでで、一年生の自己紹介が終わった。
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「次は、二年生の自己紹介をします。僕は、若葉良輔(わかばりょうすけ)といいます。おもにパソコンで記事を作成、新聞のレイアウトを作っています。浜中君だったかな。うまいな、後から僕にも教えてよ」
若葉さんは浜中君の新聞を見ながら、感心している。
「はい、若葉先輩のお役に立てるなら。俺、何でもします」
「あ、浜中君、《先輩》は言わなくてもいいよ。同じ仲間なんだから、上下関係はあまり気にしなくていいよ」
若葉さんは優しくて、親しみがわく。二年生をよくとりまとめていて、東高新聞を壁新聞以外、すべてパソコンでできるようにしていた。
「はい、若葉さん。明日から作り方について打ち合せをしましょう」
若葉さんの自己紹介が済むと、次は男女二人がたった。
「私から行くね。私は大橋恵(みはらめぐみ)といいます。隣が、三原啓介(みはらけいすけ)。写真担当。野球部の写真をよく撮っているわ」
活発な大橋さんに対し、三原さんは、対象的に物静かで落ちついた感じを受ける。彼も自己紹介を始めた。
「三原と言います。僕もカメラが好きです。大橋さんの腕はかないません」
「啓介、師匠にはかなわないわよ」
「そうだった、岡さんからは、写真の撮り方からみっちり仕込まれた。学生写真コンテストで表彰もされたんだ」
そういうと、三年生の岡祐子(おかゆうこ)さんが立ち上がった。
「大橋さん、《師匠》は恥ずかしいから。二年生の紹介に割り込む形になったけど、三年の岡祐子と言います。部長と組んで取材をしています。写真の撮り方講座定期的に行なう予定です。私の卒業までには一年生は、きれいな写真を撮れると思うわ」
沢村さんと同じく落ちついている。部活動紹介で、彼女が撮影した写真がいくつか投影されたけど、《感動》する出来映えだ。
「それじゃ、浦上さんに松山さんに、自己紹介を回すね」
岡さんが席に着くと同時に、二人が立ち上がった。
「浦上薫(うらかみかおり)といいます。記事担当と壁新聞を松山君としています。桜田さんに、佐野さんと壁新聞づくり、それから一年生のみなさんと楽しみながら新聞を作って行きましょう」
「松山浩輔(まつやまこうすけ)です。今年は初日からいっぱい新入生が入って、感激しています。記事の書き方は任せてください」
「浦上さんに松山君は、文章がとてもうまいんだ。文芸部や漫画研究会からも書き方を教えてと誘いがあるんだ」
若葉さんが説明する。二年生の五人は、共にすばらしい特技の持ち主だった。《伝統の文化部》にふさわしい人材だと僕は強く感じている。
「最後は三年生の自己紹介。まずは、部長の沢村加代です。先ほど紹介のあった岡さんと組んで取材に行きます。取材の仕方などはゆっくり教えて行きます。新聞作りがこの部の目的だけど、同時に、何かの縁があって、集まったのだから、お互いを信じて、有意義な高校生活を送りましょう」
「次は、副部長の竹本翔太です。おもに他の部の取材の連絡調整や、記事を書いています。部長の言うとおり、僕からも、仲間を尊重し、信じて、新聞部を楽しいものにしていきましょう」
《何かの縁》、《仲間を尊重し、信じる》、沢村さんと竹本さんの言葉は、僕にとって強く印象に残り、常に思っている《みんなのおかげで、僕がいる》に相まって、ずっと大切な宝物となっている。
「油木裕二(あぶらぎゆうじ)です。記事と新聞づくりを主にしています。取材は主に文化部を中心にしています。よろしくお願いします」
最後は、稲佐春代(いなさはるよ)さんだった。油木さんと同じく物静かな感じを受ける。
「稲佐春代です。運動部を中心に取材をしています。格闘技が大好きで、主にそちらの部へ取材にいきます。よろしく」
「春代さん、山下君も柔道部の体験取材にいくから、取材、楽しくなるわね」
沢村さんが言う。稲佐さんは、僕に視線を合わせ、
「やっぱり、柔道をしていたんだね。鍛えていると感じたから」
「中学の時、体力をつけたくて、入りました。まだ、白帯ですけど」
「大丈夫、山下君なら、黒帯、間違い無し」
みんなの歓声があがった。ちょっと恥ずかしいかな。自己紹介はこれで終わった。竹本さんがこれからの日程を説明する。
「きょうは、これから校門前のお好み焼き店で懇親会をします。代金は私たち、三年生が持ちます。明日から、新聞の作り方を説明して行きます。みんなで話ながら食べましょう」
「竹本さん、二年生からも集めてきました。ちゃんぽん麺、肉入りを頼めますよ」
三原さんが、竹本さんにお金を差し出す。
「ありがとう。気を使わなくてもいいよ」
「初日から、八人も入部したと聞いて、竹本さんたちに負担をかけてばかりいたら悪いから。きょうは、私たちも出します」
大橋さん、それに他の二年生の人たちも言った。
「これだけあれば、賑やかにできるわね」
沢村さんは、にこにこしながら言う。竹本さんも、おなじように笑顔になっていた。
「ここのお好み焼き店の麺。中華麺とちゃんぽん麺なんだ。ちゃんぽん麺は取り寄せしていると聞いたから、値段が少し張るんだ」
竹本さんは熱く語る。彼の大好物は、お好み焼き。特に、肉入りのちゃんぽん麺のお好み焼きには目がなかった。堅い感じに見える彼は、この時ばかりは、やんちゃな少年のように見えた。
## 第三章 初めての取材
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三日目の朝がやってきた。日程を生徒手帳とスマートフォンのカレンダーを開いて確認する。午前中は、実力テスト。順番は国語、数学と英語。午後からは先生と面談になっている。時計を見ると五時三十分。きょうから柔道部の体験取材があるから体を鍛えておかないと。
時間を見つけては、家の周囲を中心に走り込みか、ダンベル、腕立て伏せや腹筋で体力をつけている。筋肉もついて、三十キログラム台後半、身長も百五十センチメートルをわずかに超えた。体格に引け目を感じていた僕。柔道を始めてからは自信が出てきている。柔軟体操を念入りに行なって、腹筋と腕立て伏せ。体もちょうど温まった頃が、六時十五分を過ぎていた。それから十五分程度、高校受験のために作った学習ノートをパラパラと見返す。学力テストの不安が消えたところで身支度。そして髪を整え、食事を取り、七時四十五分になると玄関に忠の呼ぶ声がする。
「おはよ、受験前にコピーした学習ノート持ってきた」
「もちろんだとも。慎一郎の学習ノートとこの参考書のおかげで、英語は切り抜けたんだ」
忠は、鞄から、付箋がたくさん貼ってある英語の参考書を出した。表紙はブックカバーをしている。ページは書き込みや蛍光ペンで跡がおびただしく残っている。苦手意識があると言っている彼、しかし、これだけしているから、点数が悪いはずはなかった。
「忠君の努力の跡だから、自信をもって受けようよ」
「そうだな。慎一郎、新聞部はどうだった。みんなでお好み焼き店に入っていたようだけど」
「うん。僕と美佐子を含めて、八人入部したんで、副部長の竹本さんが誘ったんだ」
「野球部のキャプテンや副キャプテンとは違うな。新入生が五十人以上だから、誘うことはないんだろうけどな。いろんな中学の生徒で、俺にも刺激になったんだ」
「エースの座を取れるといいね。そういえば、新聞部の二年生の写真担当の、大橋さんに、三原さん、よく野球部に撮影にいくそうなんだ」
「慎一郎と写真担当の方々の前で、インタビューできるように、俺、がんばるから」
「僕も、忠君にインタビューができるように、がんばるから」
僕たちは、予選大会、もしくは、忠が小学校、中学校の卒業文集に書いた《甲子園に出場して、社会人野球かプロに進む》の記述の最初の目標、甲子園球場にいる場面を想像していた。
「おはよう。川野君、《例の参考書》を持ってきている」
美佐子が僕たちに入ってきた。時間通りに来るから、その後、雨の日以外は、家の前で待っている。
「慎一郎、若野や孝浩と、この《お守り》で、東高に入れたからな。きょうの実力テストにも持ってきたんだ」
「受験を思い出せば大丈夫、いい結果を残しましょう。慎一郎君、きょうから柔道部《体験取材》だったね」
「うん。この通り柔道着と、取材ノート持ってきたんだ。それに、これも」
美佐子たちにポケットにはいる、デジタルカメラ、デジタル録音機と、小さなシステム手帳を見せる。システム手帳は、懇親会が終わり、文具や書籍を扱っている山田楽器店で購入した。
「沢村さんが、《取材するならこの三つを持っているといいわよ》と、見せてもらったんだ。カメラとレコーダは部の備品を貸してもらったんだ」
「そうなんだ、部長はできる人と聞いたけど、さすがだね」
美佐子は感心していた。昨日の懇親会で沢村さんが僕のとなりに来て、《三点セット》を見せながら、
《
「取材の時は、まず記録。ノートもいいけど、かさばることもあるから、小さなシステム手帳を持つといいわ。いろんな書式の用紙がつけ加えられから、スケジュールの確認、取材の記録、記事を書くときの要約を書き込むなど、それに取り外しができるから、ノートに貼って、そこからも構想を膨らませることもできるから、私は重宝しているわ」
システム手帳にびっしり書かれた文字と、手帳からページをはずし、A4の大学ノートに貼って、さらに図形や記号を使って分かりやすく書かれている。
「僕も小学生の時から、ノートに構想などを書きためています。システム手帳をこのように使えるとは思いもしませんでした」
「私も最初はノート使っていたけど、取材メモを取るとき意外と不便だったんで、文具店で何かいいものがないか、見ているうちに、これだと思ったわ」
「きょう、帰ったら、購入します」
「それに、カメラと録音機。部に何台か用意しているから、持っているといいわ。レコーダは、記者であるお父さんも持っていると思うわ」
「父も、取材するときに間違いがないように録音しているそうです」
「メモが取れない場合には、録音しておくと後から聞き返してノートに要点も書くことができる。これはパソコンにもつながるから、音声記録として保存しておくと、資料としても残せる」
「それで、資料庫にカセットテープが並んでいたんですね」
「よく気づいたね。デジタルを買うまでは、テープレコーダを使って録音してたの。いちばん古いのが四十年ほど前。創立五十五周年の記念行事にテープを編集して、写真と合わせたスライドショーを作ったそうよ」
「そうなんだ」
「確か・・・野球部だったお父さんの取材テープもあったわね。時間がある時に聞いてみようか」
「ありがとうございます。どんな学生時代だったのか知りたかったんです」
最後にポケットにはいるデジタルカメラを僕に渡した。
「写真担当は岡さんに任せているいるんだけど、例えば、彼女がいなかった場合、それに、取材先の状況を撮影したり、試合の場合、対戦表を撮影しておくと資料がもらえなかったりしても、写真を見返す、印刷するなどできるわ」
「カメラをメモ代わりにするんですね」
「山下君、理解が早いわね。あとは、このカメラは動画も取れるから、必要に応じて録画するといいよ」
「明日から、さっそく、体験取材に使ってみます」
》
「デジカメをメモに使うとは思いつかなかった」
僕の話に忠は驚いていた。彼の趣味はカメラ。主に、鉄道などの公共交通機関、それに風景の写真を撮影している。僕も、一緒につきあっている。
「僕もその考えはなかったんだ。組み合せ表など、書き写すより、これなら一瞬で記録できる」
「でもな、スマートフォンのアプリケーション使えば、同じことができるじゃないのか」
忠は、疑問を持ち聞いた。
「私も、スマートフォンで十分ではと聞いたわ。沢村さん、《それもあるけど、電池が切れたり、それに基本は電話機だから、デジカメやレコーダを使うと確実》だって」
美佐子も沢村さんのとなりにいたから、僕に説明をしているところを一緒に聞いていた。一通り終わると、質問した。
「考えてみれば、電池の消費、激しいからな」
納得する忠。気がつくと、校門の前に着いていた。
=> 2
「山下君、おはよう」
校門には、孝浩君、和田君。それに、浜中君が待っている。
「おはよ、待っていたいてありがとう」
頭を下げる僕に、和田君は《頭をあげて》と言ったあとに、
「きょうから、柔道部《体験取材》だね」
「うん、お手柔らかにというか、憧れの主将の村井さんと相手できるから、わくわくしているんだ」」
「俺も、あの村井先輩と一緒にできるかと思ったら、最初の練習日前は眠れなかったんだ。先輩はとても強くて、組んですぐに、あっという間に投げられたんだ」
「すごい・・・真っ先に、練習相手になりたい」
和田君も百八十センチ、百キロの筋肉質のいわば《ごつい》印象。彼が言うには、村井さんは和田君と同じくらいの体格で、もっと筋肉質とのこと。
「山下の挑む態度は脱帽だよ。先輩、柔道着を脱いで、汗をふいたさいに見た、筋肉、俺よりすごかった。力ではかなわないかもな」
「最初から、かなわないと思ったら、負けだと思うんだ」
「言うとおりだな、放課後が楽しみだ」
和田君と話していると、浜中君も話に入った。きのうの懇親会で、あの架空新聞の話をしているうちに意気投合していた。きのうの自己紹介で、彼は僕たちが住んでいる海老楽(えびらく)市の隣にある、深江(ふかえ)町出身と聞いた。話の中で、漁港近くに住んでいること、そこから、春日城(かすがじょう)市の電鉄本社駅前行きの、始発バスに乗って来るという。六時五〇分発、東高前に到着するのは約一時間だった。
彼も、公共交通の車両や、運行系にはとても興味があり、バスの営業所、この街のはずれにある整備工場をよく見に来る。その話題で夢中になり、メールアドレス、チャットアプリケーションのIDを交換した。
「きょう送った、写真を見たかい」
浜中君が、僕に送ったメールを確認して欲しいと促す。スマートフォンを取り出す。そこには電鉄の車両の写真が添付されていた。
「これ、どこで撮ったの」
きょうから走る、広告塗装を施した車両だ。忠も画面をのぞき込んでいる。
「線路と道路の並走区間。外を見ているとちょうど通ったんだ」
「あそこか」
忠は手をたたいて言った。車道と線路の並走区間がある。この近くには電鉄の整備工場があって、バスに乗って忠と撮影しに行くこともある。
「うん、東高を受験したのは、この区間を通るからなんだ」
「俺も、鉄道や写真が好きなんだ。一緒に撮りに行こう。俺、川野忠と言うんだ。慎一郎の親友なんだ。よろしく」
「俺、浜中浩二。川野君、一緒に写真を撮りに行こう」
浜中君と忠は、この日をきっかけに、鉄道などの公共交通機関の共通した趣味で、親しくなった。
「山下君、俺、バスケット部に入ったんだ。取材よろしくね」
孝浩君が僕に話しかける。彼は中学から引き続いて入ったようだ。東中学のバスケット部は強豪の一つで彼も活躍している。
「もちろん、《体験取材》にもこようかな」
「ぜひ、来てよ。山下君、意外とバスケットうまいからな」
体育の授業でサッカーとバスケットボールが好きだった。サッカーは、体力をつけるため、仲間作りの意味合いで、地域のクラブに入っていた。中学も入りたかったけど、入学から間もなく集団無視に遭い、あの二人に絡まれ、入れなかった記憶・・・。忌まわしい場面がこみ上げてきた。
「慎一郎君、どうしたの、顔が青いわよ」
美佐子が心配そうに声をかける。
「なんでもないよ。とにかく、テストを切り抜けて、初めての取材にいこう」
笑顔でみんなを見た。僕が忌まわしいいじめを思いだして、気分が悪くなったことに、美佐子は気づいたようだ。でも、そのことは口には出さなかった。
校門をくぐると、僕を呼ぶ声がする。林君に田中君だ。林君は明るい表情、田中君は、やはり遠慮がちに見える。
「きょう、昼休みにみんなででこれを食べよう」
紙袋の中には、正真寺名物《一口まんじゅう》が入っている。父が取材に行くと必ずおみやげで買ってくる、おいしい饅頭だった。
「ありがとう。でも、こんなにたくさんどうしたの」
「きのうのお好み焼きのお礼。できたてをもらってきたんだ。これは僕たちの分。残りは先輩たちの分」
「部長や岡さんは大喜びするわ。甘いものが好きだから」
美佐子が言う。彼女たちは、懇親会で林君とあの饅頭の話が飛び出し賑やかだった。よく、バスに乗って買いに行くそうだ。渋滞がなければ、彼女たちは正真寺行きのバスに乗れば十分で着ける。
「うん、部長と岡先輩は、東高があるこの街に住んでいるそうなんだ。みんなで食べるから、饅頭を買ってきてと、お金を預かっていたんだ」
「それでこんなに。買ってきたの」
よっぽど好きなんだ。僕は感心していた。小食だったから、一パック十二個入りでも、三つか四つ食べれば充分だ。
「部長たちだけで食べるのもなんだから、部活が打ち合せに出そうと、部員の分を出してもらったんだ。山下君たちで食べるのは、俺と利幸のおごり」
「なんだか悪いよ」
僕がそういうと、田中君が口を開いた。
「純・・・いや、山下君、僕と林君といきなり声をかけて、友人になってもらったから。そのお礼だよ」
「ありがとう。ごちそうになるよ」
そういえば、田中君、僕に《純》と言うんだけど、誰かに似ているのかな。そういえば、若者に絶大な人気があるバント《A》のボーカルは、僕のような体格で名前に《純》の文字が入っている。それをなぞらえているのかな。僕もファンでよく曲を耳にし、音楽番組は視る。純の文字が入った彼は、僕とは全然似つかない顔立ちとスタイルの良さだった。
「慎一郎、そろそろ始業時間だから、教室へ入ろう」
忠の促しに、僕たちはそれぞれの教室へ入った。
実力テスト。難易度は高校受験と同じくらい。僕はそのように感じた。忠、苦手意識の強い英語無事に切り抜けたのだろうか。
テストが終わり、朝、校門で会った仲間で、桜が中庭のベンチで、お昼と、あの一口まんじゅうをいただいた。
「忠君、英語の試験どうだった」
任せとけを意味する、腕の力こぶを見せる仕草、彼のくせでもあった。
「慎一郎のまとめノートと、お守りで七十点以上は取れたと思う」
「よかった。この調子で行くと、苦手意識はなくなるよ」
「そうだな。これで野球の練習も打ち込める。帰りに書店によってお守りを買い足そう」
「え、何か買うの」
「大学受験用の参考書。これで鬼に金棒」
「わあ、そこまで行くと、英語得意になるね」
美佐子がおどけて言う。僕も含め、みんなも笑いだした。この意欲なら、得意どころかどの大学でも合格できそうだ。
「去年のように、一生懸命勉強しなくとも、苦労しないように心に決めた。少しづつしておけば苦労しない」
「忠君の言うとおりだよ」
一口まんじゅうを頬張りながら、昼休みが終わるまで、おしゃべりで楽しんだ。一つ知ったことは、田中君があのバンド《A》の熱烈なファンであったこと。遠慮がちな彼が僕や美佐子、孝浩に熱く語ったこと。共通した話題で、僕との距離は縮まり、《純》と呼ぶ理由を聞くことを忘れてしまったほどだ。
=> 3
放課後。さあ、いよいよ僕の最初の《体験取材》が始まる。武道の選択授業で購入した真新しい柔道着は、次回使うことにして、いままで使ってきた、体になじんだそれを持ってきた。まずは部室へ。
部室には沢村、竹本さんを仲間たちが集まり、あの饅頭を食べながら、打ち合せを始めている。
「山下君、打ち合せ終わったら、沢村さんと岡さん、稲佐さんが取材に同行するから。それに、若野さん。取材のしかたを教えていくからついていって」
竹本さんの指示だった。
「はい、慎一郎君のかっこいいところを視てきます」
「美佐子ったら・・・」
「若野さん、私たちのしているところをしっかり観察していてね」
沢村さんは、にっこりと彼女を見る。
「あとの一年生は、まんじゅうを食べてから、新聞をどのようにして作って行くか説明するね」
武道場は体育館の横にある。柔道、剣道、それに合気道と空手、ウェイトリフティング兼ボディビル部がそれぞれ練習を行なっている。建物は大きく、かつ練習の歓声に圧倒されていた。
「松村先生、取材にきました」
沢村さんが保健体育の教師で、柔道部の監督、松村太三(まつむらたいぞう)先生にあいさつをする。
「お、沢村に岡か。きょうは、新入生が《体験取材》するんだったね」
「はい。翔太さんが伝えているとおりです。こちらが新聞部の新入部員、山下慎一郎君です」
沢村さんが僕を紹介する。僕も、松村先生に自己紹介と取材の説明をする。先生は、僕より若干背が高く、四十代前半に見えた。
「はじめまして、一年生の山下慎一郎です。中学時代、柔道をしていました。新聞部は体力勝負なので、体力をつけるためと、取材を兼ねてきました、よろしくお願いします」
頭を深く下げる。
「話は竹本から聞いている。準備運動が終わったら、掛かり稽古にはいってもらおうか」
竹本さんが何もかも、打ち合せを済ましていたんだ。僕のわがままを受け入れてもらって本当に感謝している。
「はい」
着替える姿に、何人かの部員が僕を見ている。新入部員とみているんだろうか、それとも、僕のやせて小さな体格に《本当に大丈夫なの》のという感じで見ているのだろうか。それは少し考えが飛躍し過ぎている。
充分に準備運動を柔軟体操を行なった。打ち込みの相手は和田君にお願いすることにした。
「みんなたくましいね」
「重量級がけっこういるからね。俺も小さなほうだよ」
体が温まった。いよいよ、掛かり稽古の練習にはいる。二列に並んで何人か相手になる。最初は、僕より大きな相手、帯に《村井》の刺繍が施されている。僕が憧れている、あの主将の村井さんだった。身長は百八十センチほど、うらやましいくらいの筋肉質で、体重も百キロ近い。間近にいると、恐い感じもした。彼が高校総体の勝ち抜き戦で、気持ちがいいくらい一本勝ちを決め、五人抜きを続ける姿に、あのように強くなりたいと、僕と和田君は、心に決めていた。その先輩の胸を、いよいよ借りられる。
礼をして組もうとすると、村井さんから信じられない言葉を聞いた。
「さあ、おチビちゃん、かかってきなさい」
何てことを言うんだ。悲しくなって涙が出そうになると同時に、激しい怒りが こみ上げてきた。この痩せて、背が低い体のことをとても気にしている。村井さんと組むとすかさず、足払いをかけ、すぐ背負い投げに入った。彼は油断していたのか、想定していなかったのか、あっさり投げられた。
怒りのあまり、周囲の状況は気づかなかったけど、村井さんが投げられ、畳に打ちつけられる音がすると、一瞬、静まり返り、柔道部を始めとした人たちが、僕と村井さんに視線が集まっていたという。沢村さんは、冷静にメモを取り、岡さんも同じくその瞬間を連写し続け、美佐子と稲佐さんは、驚きで固まっているようだったという。
「若野さん、山下君、柔道は強いの」
稲佐さんが尋ねた。予想外な展開に彼女は驚きの表情を隠せなかった。
「中学二年生から始めて、軽重量級の人までなら互角に戦えたんだけど、慎一郎君、その相手のような人は、よく投げられたいたわね」
「そうなんだ。その相手、主将で強化選手候補の村井貴幸(むらいたかゆき)さんなんだ」
「え、あの方が。慎一郎君が、村井さんはとても強くて、憧れていると話していたんです」
「彼が、練習でも投げられることはめったにないわ。あったとしても、相手に投げ技の感覚を身につけさせるときくらい」
沢村さんが、取材用のシステム手帳の頁を開いて、話に入ってきた。
「村井、調子が悪いんではなくて、山下君の動きがまさっていたわね」
撮影した映像を見せながら岡さんが説明する。
沢村さんたちがそのように話している間、すぐに絞め技に入った。怒りのあまり、掛かり稽古では、怪我を減らすために、絞め技、関節技は、技を決めた段階でやめる約束になっていると、和田君と打ち込みをしているさいに説明を聞いていたはずだった。しかし、《おチビちゃん》発言の怒りで忘れてしまっていた。僕は、《何でそんなことを言うんだよ》と頭の中で繰り返しながら技を続けた。
「山下君、そこでやめて」
沢村さんの声が耳に入った。その次に、松村先生の声がした。
「おい、山下。もういい」
体ごと先生は、村井さんから引き離した。先生の力はとても強い。あっと言う間に引き離されると、我に返った。見ると、村井さんは気絶していて、先生が背中をたたくと気がついた。《まさか、このようになるとは》をいいたげな表情を見せていた。
周囲が静まり返っていることに、僕は気づいた。見渡すと、練習をしていたはずの柔道部の人たちが、練習を止めている。沢村さんも、岡さんも、そして剣道部の人たちもこちらに視線が集まっている。取材初日に《騒動》になってしまった。この場を設定してもらった竹本さん。部長の沢村さんにとても申し訳ない気持ちになった。
「村井、山下。こちらへ来なさい」
松村先生が、いつも座っている折り畳み椅子の場所へ来るように促している。部員たちの視線が突き刺さっているように感じ、うつむいたまま先生のいるところへ行く。《あの一年生、結構強いな》の言葉も耳に入ってきた。
先生の前に、僕と村井さんは畳へ正座した。正座したと同時に、練習が再開された。
「山下、いい技の連携だ。しかし、柔道は怒りでやってはいかん」
先生は優しく指摘した。僕は叱責されるものと思っていた。怒りのあまり技をかけてしまったことを見抜かれていた。
「ごめんなさい」
僕は素直に頭を下げた。騒ぎを起こした僕が悪いんだ。
「村井、相手をなめてはいかんぞ。それに、山下に対して《おチビちゃん》は失礼だ。それじゃ強くなれんぞ」
先生は厳しい口調で叱った。《お前らしくない》とも言っている。え、先生は村井さんの言っていることが分かったんだ。それをきちんと叱っている。いじめられ、相談した先生から適当にあしらわれて以来、僕は大人と言うものに対して不信を抱いていた。でも、先生は失礼なことをきちんと叱っている。村井さんへの指摘だったけど。先生のような大人になりたいと、僕はこのとき心にはっきりと刻んだ。
「すみません」
村井さんは先生に頭を下げていた。そして、僕を見て、
「山下、ごめんな。悪気はなかったんだ。山下を見て、俺の弟を思いだしたんだ。それでいつものように言ってしまったんだ」
本当に悪かったという態度を示している。僕のような体格の弟さんがいたんで言ってしまったんだ。なんで、言ったときに聞かなかったのか。冷静になると、僕にも非があることに気づいた。体のことを言われて、すぐに激昂してしまうこの性格、改めないといけない。
「僕こそ、村井先輩に《何で言うんですか》を聞けば良かったんです。ごめんなさい」
お互い謝った後は、顔を会わせて笑いだした。恐いと感じていた村井さんは、こうしてみると強くて優しい人だと感じた。
「よし、これで終わり。練習に戻ってよし」
「山下、掛かり稽古の続き行くか」
「はい、もちろんです。先輩の胸を借りられて光栄です」
村井さんと一緒に、再び、練習の輪に入った。何事もなかったように練習は続いて行く。
《おチビちゃん》の言葉に激昂し、掛かり稽古で村井さんを倒した。松村先生の前で、村井さんの軽率な言葉を叱り、怒りで稽古をした僕を指摘したもらった、はじめての練習を兼ねた体験取材。次の相手は和田君より一回りも二回りも大きな男子生徒だった。合格発表の日に、あの体格が強い印象に残っていたから、一年生だと分かった。
礼のあと、組みに入る。大きな彼は、壁が迫って来るようで怖かった。相撲の巡業の催しで、力士に小学生たちが一気に掛かっていく場面に似ている。大きな人に威圧されると僕は泣いてしまう。練習中はさすがに泣くことはなかったけど、彼が僕に対して、
「どうしたんだ、泣きそうな顔になっているよ」
「え、そうなの。僕、大きな人が怖くて、泣くことはあるんだけど」
「この体格だからなあ、この前も、コンビニで小学生が泣いてしまって、困ってしまったんだ。そばにいたお母さんには何度も謝ったんだけどさ」
「それは大変だったね。僕、山下慎一郎っていうんだけど」
「俺は、高島肇(たかしまはじめ)っていうんだ。よろしくな」
自己紹介が終わると、掛かり稽古に、体格と力の差を見せ付けられた。何度も投げられた。それでも、彼は、軽量級、つまり僕のような小さな体格でも互角に闘える方法を、投げ技を掛けたあとに教えてもらった。練習の休憩時間に、村井さんからは僕を呼んで闘い方、体の鍛え方も習った。とても優しく丁寧な教え方だった。気がついたこととして、先輩方はとても親切で優しい。僕が初めて体験取材するからとは違い、柔道部の人たちにも同じ接し方だった。
高島君は、ここから電鉄で一時間、駅からバスで三十分行った県境に近い町の出身。柔道が強い学校で有名かつ、村井さんに憧れ、東高を受験したと言う。通学を考えていても、残念ながら交通機関の接続の悪かった。コンビニ《田中酒店(たなかさけてん)》隣にある、学生向けの下宿をからこの学校に通っている。
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練習は午後六時前に終わった。《進学校》でもある東高は、《文武両道》をうたっていることから、勉学に差障りが出ないように、部活動は効率的を基本に、遅くとも午後六時半までに終わり、帰宅し家庭学習を勧めていた。東高周辺の住宅地には、珠算、ピアノ、将棋、囲碁の教室はあった。予備校、学習塾はここからバスで十五分ほど行った、西高校がある街の中心部に大手予備校を始めいくつかあった。後から聞いた話では、それほど行っていないとのことだった。理由は授業が始まってから自然と僕には理解できた。
練習が終わり、着替え終わったところで、柔道部の人たちがが集まってきた。
「山下君、あの村井を倒すとはそうそういないわ」
女子部の主将であり、部の副主将でもある、三年生の大村綾乃(おおむらあやの)さんが真っ先に声をかける。彼女は僕より数センチ背が高かった。掛かり稽古で相手になったときは、とてもすばやい身のこなしで、僕にはまったく歯がたたず、背負い投げ、小内刈、果ては巴投げから押え込まれるなど、美佐子にいいところを見せるなど、到底無理だった。
「大村さんにはかないませんでした。村井さんを投げたのは《おチビちゃん》の声が聞こえ、怒りのあまり・・・」
「そうだったの。彼にも、山下君のような体格の弟さんがいるから、つい口にしたかも」
「はい、先生の前に呼ばれて、村井さんから直接聞いて、僕、謝りました」
沢村さん、岡さんたちも入りインタビュー。その中で、僕と村井さん、それに高島君の話題が中心になった。
女子部員の三年生、大村さんは、僕と村井さんの、掛かり稽古の話がでて、僕が体力的に違うことを心配していたという。
「みんな、山下君の体格を見て、大丈夫かなと心配していたんだよ」
たぶん、僕が東高で一番小さく痩せていたから、その劣等感が前に出てきたと思う。この性格は直していこう。
話しているとみんな優しい。心の隅に残っていた学生生活の不安が、このとき一気に消え去っていくように感じた。中学では、入学して間もなく、クラスのみんなから完全無視された。加藤と山本にいじめられる忌まわしい記憶となっている。親しく話し合っているうちに、もう、二度とあの孤独は来ないと、僕は確信した。
「村井さんを鮮やかに投げたのは、そうそういないよ」
高島君が言った。村井さんより大きな彼も、よく投げられていた。
「あれは・・・怒りのあまりやってしまったんで、まぐれなんです」
恥ずかしさのあまり顔が赤くなっている。
「山下、気にするな。あの身のこなしなら、軽量級は無敵、その前に綾乃を倒さないとな」
松村先生と打合せをしていた村井さんが、輪の中に入ってきた。練習が終われば、和気あいあいとなっている。運動部と言えば、上下関係が厳しいという話しを聞いてはいた。でも、ここにはそういうのはなく、楽しく話している。
「無敵になれるように、練習にもきます。次回の取材は大村さんや高島君を投げてみたいです」
「その意気」
みんなの笑い声が道場に響き渡った。きょうは本当に有意義な取材だった。
「初めての取材、お疲れさま。いつも以上に楽しかった」
沢村さんが僕に、きょうの体験取材の感想を述べた。
「はい、あの村井さんと練習できてよかったです。体験と感想をまとめて原稿にします」
「今週末の発行に間に合うように、原稿をよろしくね」
「はい、できれば明日には持って来たいと考えています」
「私も、山下君の出来事と、それに綾乃の強さを記事に書くわ」
稲佐さんは、小型の《電子メモ》と呼ばれている、ノートパソコンのような電子機器の画面を僕にみせて言った。きょうあったことが書かれている。
「稲佐さん、その電子メモ便利そうですね」
画面を見ながら僕は尋ねた。白黒画面で文章が入力できて、パソコンよりも小型だった。
「これね。文章だけしか入れられないけど、使ってみると便利。今では外で記事を書いたりメモを取るときにも使っているの。メモリカードで部のパソコンに複写して編集もできるわよ」
「実はね、私も使っているの」
小型のバックから、沢村さんも稲佐さんと同じ電子メモを取り出した。
「普段は、この手帳や、ボイスレコーダに記録するけど、記事を書くときはこれを使っている。書くことに集中できていいわ」
「新聞記者である父も、ノートパソコンは重いから、最近、似たのを使い初めているんです。今度聞いてみます」
「わかったわ。でも、購入は強制ではないから。増田先生に言って、部費で出せないか話し合ってみるわね」
デジタルカメラのディスプレイを一通り見終わった岡さんが、僕たちの話に入ってきた。
「山下君が、村井を投げているところと、綾乃と練習をしているところの、記事に使えそうなのはこれかな」
画面に表示された写真は、僕が村井さんをきれいに投げている場面だった。さすがは新聞社の学生写真コンクールで表彰される腕の持ち主。臨場感あふれる写真がそこにある。
「岡さんの写真を見ると、慎一郎君がたくましく見えます」
美佐子の感想だった。言うとおり、写真の中の僕はたくましい。村井さんからの言葉に感情が高ぶってしまったにしても、痩せて背が低く、いつも劣等感を抱き、それを突かれると、見境なく怒る僕とは全く対象的だ。
「本当は、綾乃には遠慮したんでしょ」
稲佐さんがやや茶化している、岡さんがコマ送りして、僕と大村さんが組んでいるズームアップの写真を表示したところだった。
「遠慮どころか、彼女はとても強かったんです。何度も投げられて、悔しい、次は勝ちたいと思いました」
「彼女もいい練習ができたと言っていたわ」
取材メモを見返して言った。彼女の取材メモによれば、女子軽量級はほぼ無敵とのこと。五歳から柔道を始め、中学から才能が開花して強くなった。村井さんと同じく強化選手候補と書かれていた。
「僕も、村井さんや大村さんの胸を借りられて、うれしいです」
「新入生を連れて、取材の現場を見せているんだけど、積極的にインタビューして、それに取材先の部の人と打ち解けたのは、私の記憶でははじめかな」
沢村さんが感慨深そうに言う。
「これだけ打ち解けたのは、驚きでした。練習がうまくできるかさえ不安に感じていたんです」
「入部して上級生に連れられてからの最初の取材の日は、緊張して見ているだけだった」
沢村さんも、それに、稲佐さんも、岡さんも異口同音だった。稲佐さんは、数回の同行でやっと一問聞け、岡さんも、シャッターがうまく切れなかった。何度も何度も経験を積むことによって、これだけの腕前になった。先輩たちから認められるにはもっと経験を積まないといけない。
「もう、六時半になったわね。部室にいったんもどってから帰りましょう」
道場から引き上げようと沢村さんが言うと、村井さんが来てから、
「沢村、山下と話をしたいから、残らせてもいいか」
そのように言うと、沢村さんは、笑顔を見せ《もちろんよ》と言った。
「山下君、私たちはこれで戻るから、また、明日ね」
「はい、また、明日です。きょうはありがとうございました」
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村井さんと一緒に道場から出る。空はもう暗くなり星が瞬き始めている。帰りながら話そうと言った。帰る方向が途中まで同じだった。
「憧れの村井さんと、直接話せるとは思いませんでした」
僕がまず口を開いた。柔道を始めた中学二年生から、高校の柔道大会を見に行き、豪快に一本を取る彼に憧れていた。《あのように強くなりたい》と。
「ありがとう。山下には失礼なことを言って、悪かった」
「いいえ、僕も悪い面があります。尋ねればそれで良かったんです」
「悪くないさ。《おチビちゃん》と言った、俺の弟、哲哉(てつや)は、山下にような体格で、病気がち。それをからかわれて食って掛かったんだ。俺が入って、からかわないようにお願いしたんだ」
「それで・・・どうなったんですか」
「ああ、すぐに仲直りして、今では友人がいっぱいできて、機会があれば、日曜日には、柔道部の練習を見にくるんだ」
哲哉君も、僕と同じ東中学。全校生徒が千五百人以上いたから、僕の一学年下まで気にかけられなかった。貴幸さんという兄が護ってもらったから、友人に恵まれている。僕にも幼馴染みの親友が三人もいるのに、迷惑をかけたくない一心で、いじめをひた隠しにして、最悪な結果になる手前だった。僕にも・・・気兼ねなく話せる兄か姉がいたらな・・・。
「どうした、気分が悪いのか」
心配そうな表情で僕を見る村井さん。思い切って打ち明けてみよう。
「実は、僕、中学時代、同級生の、加藤と山本に、いじめられて、早まろうと屋上から・・・親友が気づいて思いとどまらせました」
「そうだろうと思っていた」
「僕のこと、知っていたんですか」
「山下がいじめられていたことは、俺は初めて知った。雰囲気で感じたんだ。それに、加藤や山本。よく、東高に合格できたと驚いているんだ」
「いじめられなくなって、もう二年近くになります。それに、僕に近寄ってきません。それでも、あの二人の陰が恐い・・・」
涙が頬を伝っている。あの日々が記憶の底から《再生》されるたびに、夢の場合はうなされ、一人でいる時間に出た場合は、忍び泣いている。村井さんは、スポーツバックからタオルを差しだした。
「つらかったら、泣くだけなけばいい。泣いたら、前を向いて進めばいい。弟がからかわれた日に、言ったんだ」
うれしかった。僕の今の気持ちを深く理解していたんだ。憧れの先輩は、単なるそれではなく、優しく、頼れる《真に強い人》。僕は彼に対して確信した。この人なら僕の過去をすべて話してもいい。
「お気遣いとてもうれしいです。僕が中学時代の話を聞いてください。お時間は大丈夫ですか」
「もちろん、山下が、俺を信じて話をしてくれるのだから」
堰(せき)を切ったように、僕はどんないじめをされたか、洗いざらい話していた。両親にも心配させてはと、絶対に話さないと決めていた《封印》していたことまで。話が止まることもあり、大泣きしたりもした。それでも村井さんは僕の話に最後まで傾けていた。聞いてもらえるだけで僕の心は落ちついている。
「あの二人は、有名なワルだから、俺も哲哉が絡まれていないか心配だったんだ。山下がこんなにいじめていたとは、卑怯の固まりだ」
「はい、僕の心を踏みにじった、あの卑怯さは絶対に許せません」
「何かあったら、いつでも俺のところに話に来いよ。これから《体験取材》を兼ねて練習に参加するようだから、遠慮はいらない」
「ありがとうございます。村井さんと話せて、本当に良かったです」
求めていた兄や姉のきょうだいような頼れる人、かつ、《真に強い人》は、そこにいた。
帰宅したのは八時近くになっていた。家には母だけがいた。父は出張取材に出かけて、きょうはいない。
「おかえり、遅かったね」
「うん、新聞部の取材で、柔道部の主将と話をしてたんだ」
「そうだったの、それでどうだった」
「強くて、とっても優しかった。今年は強化選手候補にもなっているって」
母は夕食の支度をしながら、僕の話を聞いていた。親に《学校で楽しかった》を話すのは、久しくしていなかった気がする。
自室に戻り、明日から始まる授業の時間割を手際よく済ませ、システム手帳を取り出し、頁を外し、取材用にノートに貼り、きょうの内容を箇条書きにして整理していった。書き進むと、松村先生の、僕への《柔道は憎しみでやってはいかん》の指摘、村井さんへの失礼だとの指摘の場面を思い返していた。
《
・・・東中学の入学し、新しい学生生活に希望を膨らませる。これは、現在の僕と同じだ。何日も経たないうちに、突然、クラスの仲間から無視され、《そこに存在がなかった》となった。あの二人に絡まれた。どんなに寂しくとも、ごめんだった。先生に相談しても、《心が弱いのでは》の一言で、先生との信頼も崩れ、大人と言うものがどんなものであるかを悟ってしまった。
松村先生の、短い言葉でも、僕のことを思っている姿で、もう一度、大人を信じてみよう。将来、大人になったら僕は、相手を思いやれる人になろう。
柔道部に入ればよいのにと、言われそうな僕のわがままも、沢村さん、竹本さんも受け入れてもらった。その思いに感謝して、みんなのためになろう。
》
ノートにまとめ終わると、どのような記事にしようか頭から文章が浮かんで来た。パソコンに向い、原稿を書き始めた。若葉さんを始めとした二年生たちが、新聞作成を手早くしようと、パソコンでできるようにしていた。記事を書いて保存するメモリカードを、取材にいく前に借りている。《原稿用紙、二枚程度でいいよ》と言っていたから、収まるように書いていこう。
=> 6
翌日。きょうから、一年生も通常授業となった。実力テストの答案は、来週に返却するとこのこと。忠、苦手な英語の点数が少し気になっている。通常授業と言っても、増田先生の授業は、学習の仕方を中心の説明、他の先生は、先生、生徒の自己紹介で授業の三分の二以上が費やされていた。英語の中村先生は、自身の大学時代に学んだ《言語学》の魅力、それに日本語と英語の違いと、学習法などを、興味深く語った。
あっという間に感じた午前、お昼を早めに済ませ、手帳とノート、メモリカードを持って、部室に向かった。
室内には二年生が仲良く話ながら弁当を広げていた。忠や美佐子、孝浩君のような、幼なじみで《強い絆》で結ばれているように見える。
若葉さんが僕に気がつき手をあげる。
「昨日の取材の、記事原稿ができました」
メモリーカードを渡すと彼は手元にある小型のノートパソコンに挿し込み、ファイルを開いた。松山さん、浦上さんも、寄ってきて画面を見ている。
「よく書けているね。練習に参加した雰囲気が伝わって来るよ」
松山さんが全部読み終え感想を述べる。浦上さんも、一通り読み終えると、
「松山君と同じ。さすがは新聞記者の息子だけある」
「そう言われたら恥ずかしいよ」
顔が赤くなってしまった。作文が苦手だった小学生のころ、父から、活字に親しんだらどうかという助言から、僕は本に興味を持った。同時に父が大学時代から電子辞書に買い換えるまで使っていた、分厚い国語辞典をもらって、分からない言葉かあればすぐに引き、パラパラめくって読んだこともある。本を読むことが楽しくなり、文章を書くことに面白味を持った。部屋にある学習机の引出しに何十冊もしまっている大学ノートは、日記、自分の考えなどを綴っているのは、父からの助言が元となっている。
「書き慣れている感はあるね。何か練習をしているの」
松山さんが僕に《訓練法》を尋ねる。ノートを彼と浦上さんにも見せた。
「よくまとめているね。ざっくばらんに書いているように見えて、つなげて行けば原稿が作れる」
驚く松山さん、浦上さんは、
「システム手帳の頁を貼って、書き加えるのは、部長直伝ね」
と言った。彼女も沢村さんから、入部したさいに、システム手帳と大学ノートの組み合せを教えてもらい、彼女なりの工夫をしている。
「はい、この前、教えていただきました。このアイディアを使うと、まとめやすくなりました」
松山さんも、沢村さん直伝の方法を実践していると言う。ノートと手帳を持ってきた。彼はもっと上を行っている。ノートの裏表紙に封筒を貼り、円形の剥離(タック)紙を入れている。赤、青、黄、緑の四色を一枚ずつ。
「最初は、蛍光ペンで色分けしていたんだ。でも、筆記具が多くなるから、これを貼って、分類や、重要などの見出しをつけているんだ」
「シールを貼るアイディアすばらしいです。これなら書くことに集中できますね。その方法、使ってもいいでしょうか」
「もちろん。慣れると本当に便利だから」
「やってみます。先輩方の工夫、参考になり尊敬します」
原稿の点検より、文房具の話が中心になった。写真撮影を主に担当している三原さん、大橋さんも入ってきた。二人も小さなシステム手帳に、撮影した記録が書かれている。日付、場所、デジタルカメラに表示されるファイル番号などを記入している。二人は小さな付箋を貼っている。
「この付箋ね。次回、新聞記事に使う写真を示すために貼っているの」
「これだと間違いが経るからね。大橋さんから教えてもらったんだ」
二人は付箋を貼っている頁を開いて見せた。二人は野球部を撮影に行っているようである。
「賑やかだね」
竹本さんが声をかける。同時に沢村さんも入ってきた。
「取材に使う道具で、話がはずんでいました」
松山さんが言った。竹本さんも文具が好きだった。ポケットから手帳を取り出した。彼は頁にミシン目がついていて、切りとっても使えるそれを使っていた。ノートに貼って構想を書くのは、沢村さんから教えてもらったと言った。
「部長、山下君の原稿ができています」
若葉さんがパソコン画面を彼女の方へ向ける。彼女は原稿を読み、
「昨日はお疲れさま。あんなに楽しい取材は久しぶりだわ。原稿もよく書けているわね。ここを少し手直せば大丈夫」
表現の誤りが一箇所見つけ手直した。ここでは、こういう表現を使うんだ。さっそく、メモをしておこう。
「山下君、取材お疲れさま」
竹本さんが僕に言った。いつものにこやかで穏やかな話ぶり抱った。
「村井を倒したって。僕と親友だから話してくれたんだ。《お前のとこの一年生は、柔道強いなって》」
「あれは・・・」
「悪気はなかったんだそうだ。怖そうな見かけだけど良い人なんだ、よろしくね」
「はい。きのう、村井さんと直接話せました。竹本さんの言うとおりでした」
昼休みは、柔道部に取材に行った話。村井さんを倒し、大村さんにはかなわなかった話題で賑わった。
放課後、きょうは柔道の体験取材には行かず、僕が書いた原稿を印刷し、松山さんと一緒に赤鉛筆を持ち、読み合わせた。記事に誤りを少なくする。国語力をあげる意味合いで、創部から行なわれている大切な作業だった。紙に出して読み合わせると画面では見つからなかった誤りが出て来るものだ。点検も終わったところで、岡さんが写真を持ってきた。
「記事にはこれとこれがいいわね」
パソコンに表示された写真は、僕が村井さんを投げる写真。大村さんから巴投げを決められた二枚であった。
「これは迫力ある紙面が飾れそうだ」
新聞紙面を作っていた、若葉さんと浜中君が驚きの表情を見せている。それだけ、岡さんの腕前がすばらしいという証明だった。
新聞が完成し、後は印刷。僕を含めた新入生に、二、三年生が輪転機の使い方を教え、印刷するところを見せながら説明した。紙に黒一色の紙面。横に置いているドラムを交換すると、赤や青を入れた三色刷りも可能だという。
印刷が終わると各学級と先生を始めとした職員分に分け、職員室前の棚に入れる。新聞を印刷した次の日、つまり発行日の朝、学級委員が取りに来る仕組みである。校門から入ってすぐにある、学校の掲示板にも、できた新聞を貼る作業も同時にある。
こうして、僕が初めて取材し、書いた記事が新聞となった。輪転機が出てきた新聞を見て、涙が出るほどうれしかった。最初の一枚をいただいて、僕の学生生活の思い出、かつ、宝物として大切にファイルに綴じている。
## 第四章 忠入部
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僕の最初の《体験取材》かつ、初めて書いた記事が新聞となり配られた。同じクラスの生徒たちから《意外と強いんだな》という声や、休み時間中に別の教室で授業で移動するさいに《かっこいい》の女子生徒の声が聞こえ、恥ずかしくてうつむいて歩く、そこで《かわいい》まで飛び出した。こんなこと言われたのはいままでなかったと思う。
新聞を読んだであろう、加藤や山本。移動中に彼らのそばを通った。僕は気にせず歩いて行ったのに対し、あいつらは視線を反らし、僕を避けるようにどこかへ立ち去って行った。
柔道部の体験取材は週に二回を基本に、時折、土日の練習日にも参加した。道場に入るたびに威勢のよいあいさつに慣れずに、恥ずかしい仕草が自然と出る。それが女子部員に《かわいい》とまで言われるから、さらに恥ずかしくなった。松村先生からも《人気者》と言って冷やかされることもあった。
柔道を始めてから、体重を増やそうと鍛えている。村井さんや高島君、それに、同じ道場で練習しているウェイトリフティング部にも行き、体を鍛える道具を使って鍛錬法を教えていただいた。同時に、この部にも《体験取材》できるように、村井さんが話をつけていた。男女問わず、たくましい筋肉に圧倒され、ここまでつけられたらいいなと思っていた。
沢村さんや竹本さんの理解で練習ができるものの、新聞部の活動が中心。上級生から記事の書き方、パソコンでの新聞製作など、楽しく話しながら習い、要領をつかみはじめた。
僕にとっての充実した高校生活な反面、忠はこのところ表情がさえない。入学から一週間は、あの《お守り効果》が出た実力テストの英語の成績も、七十点を取り、飛び上がって喜び、《球拾いばかりでも野球部は楽しい》と登校時には弾んだ声で話していたのに、きょうに至ってはため息をつき、《学校に行きたくない》をひしひしと感じている。忠、どうしたんだろう・・・。
「忠君、どうしたの最近元気がないよ」
「え・・本当、気のせいだよ。慎一郎、心配するな」
「なら、いいんだけど」
忠は笑っていたけど、つくり笑いのように感じる。何かあったんだろうか。気のせいと言っていたから、英語を気にしているのだろう。その日はそれで終わった。しかし、何か起きていると確信を持ったのは翌日の朝。彼は、はっきり《学校へいきたくない》と感じられる、表情を見せている。
「忠君、気のせいとは思えないよ。英語心配なら、一緒に勉強しようよ」
「急に授業が難しいと感じたから、不安になったんだ。言うとおり一緒に勉強しよう」
校門をくぐり、忠と別れた後、美佐子が僕に不安そうな表情で僕に言った。
「川野君、英語ではないと思うわ。人間関係よ」
「僕もそう感じていたんだ。一時間目と二時間目の休み時間に、三組を見に行って来るよ
「私も行くわ。心配だし」
一時間目の授業がやたらと長く感じた。まるで、周囲がスローモーションになったかのようだった。授業には集中していたつもりだった。でも、忠が気になって教室の時計を見る、合格発表まで残り一分からの時間より、とても長く、このまま時間が止まってしまうのではと思った。
授業が終わるベルが鳴った。僕は立ち上がり美佐子を見る。彼女も立ち上がっていた。
「いきましょう」
「うん」
教室を出て三組へ行こうとすると、林君と鉢合せになった。
「山下君に若野さん、どうしたの。慌てた表情で」
「うん、僕の親友、川野君の様子を見に三組に行くんだ」
「三組なら利幸がいるよ、一緒にいって聞いてみようか」
田中君も忠と同じ三組。授業中と休み時間の様子は見ている。自分の席で次の授業の準備をしている彼のところへ言った。教室を見渡すと、忠がクラスの男子たちと冗談まじりで話している。僕たちに気づき、手をあげている。誰が見ていても、忠はクラスの人間関係で大きな問題あるとは言い難かった。
「田中君、忠君のクラス内ではこんな感じなの」
「うん、賑やかで人気者。カメラや野球の話をよくしているんだ。僕にも話しかけてくれるんだ」
「やっぱり、川野君、英語で悩んでいるのかな」
美佐子が僕たちを見て言う。苦手な科目で不安になっているのだろう。あの表情や振舞いを見ている限りでは。
「ただね・・・」
田中君の表情が沈んでいる。
「二、三日前から、二人連れの三年生の男子生徒が三組に来て、川野君を呼び出すんだ。ふてくされたような感じで行くんだ」
「その三年生って。誰かわかる」
美佐子が聞いた。上級生と何かまずいことでもあったのでは、と確信していたようだった。僕も同じだった。
「野球部の人たち。三原さんや大橋さんが野球部の撮影に行っているよね。写真整理を手伝っているから気づいたんだ」
「野球部で何かあったんだね。田中君、もし、忠君が上級生たちに呼び出されたら、僕にメールかメッセージを送ってくれないか」
「分かった。純・・いや、山下君の大事な友人だからすぐに知らせるよ」
話している内に、次の授業が始まる時間が近づいている。僕たちは再び教室へ戻った。三年生と人間関係に問題があったのだろうか。
「慎一郎君、川野君、三年生とトラブルを起こしたのかしら」
「たぶん・・・そうだろうと思うんだ。あの二人からいじめられていた頃の、僕と同じような気がしてならないな」
僕はあのころの記憶がまた蘇り、うつむき、体が震えているのがはっきりと分かった。僕を護ってもらった忠が、同じ目に遭っている。どうしたらいいんだ。
「慎一郎君、三組に田中君がいるわ。何かあったら、川野君に話しましょう」
「そだね・・・」
二時間目の授業が始まった。忠のことがとても気になり、不安にもなった。それでも、落ち込んでいては、同じ気持ちになっている美佐子を悲しませることになる。できるだけ、明るく努めることにした。
=> 2
田中君からのメールが入ったのは、一日の授業が終わった直後。《野球部の上級生が川野君を体育倉庫の裏に呼び出している》の文面だった。何で、そこに呼び出しているのか。僕には察しがついた。
「美佐子、何かあると危ないから、携帯電話の非常通知ボタンを押すから、もし、鳴ったら沢村さんたちに教えて」
「分かったわ。でも、慎一郎君。絶対にむちゃしないでね」
僕はうなづき、田中君がいる体育倉庫の裏へ走って向かった。忠の身に危機が迫っている、胸騒ぎを感じていた。
「山下君、あそこだよ」
田中君が、忠たちがいる場所を指し示す。林君が建物の陰に隠れて様子を見ている。相手に気づかれない絶妙な間隔だ。
「林君、それに田中君、ありがとう。忠君、どうしている」
「三年生から取り囲まれて、大きな声で責められている。《お前、監督にチク(密告)した》んだろうは聞き取れたんだ」
僕も忠たちがいる方向を見た。三年生が恐ろしい形相で《正直に言え》と怒鳴り、忠は首を振っている。すると、胸ぐらをつかんでいる。今にも殴られそうな勢いになっている。危ない。放って置くと、とんでもないことになる。ボタンを押して美佐子経由して沢村さんたちに知らせる暇がない。ポケットに入れている録音機と携帯電話を、林君と田中君に渡すと、
「林君、僕と忠君に何かあったら、携帯電話のこのボタンを押して。余裕があれば、ここの様子を撮影して」
「田中君、僕が行ったら、ボイスレコーダの録音ボタンを押して」
「山下君、絶対に無理しないでね」
「ありがとう。じゃあ、行って来るね」
胸ぐらをつかまれた忠が、《知らないものは知らない》を叫んでいる。三年生は《痛い目に遭いたいのか》と拳を振りおろそうとしている。忠が危ない。僕は力の限り走って行った。
「何してる。川野君は、知らないといっているじゃないか」
僕の怒鳴り声に拳を振りあげていた三年生が、こちらを向いた。
「お前、誰だ。ここまでついてきたのか」
「誰でもいい、早く、川野君を放せ」
もう一人の三年生が僕の前に近づいてきた。背が高く、村井さんより高く感じた。大きな人から威圧されると泣くこともある、しかし、僕は勇気を奮ってその生徒の目を見た。相手も鋭い目でにらみつけている。
「さては、このチビが監督にチクったんだな。だから、ここまでついてきたんだ。正直言え、言わないと痛い目に遭うぞ」
一番気にしていて、言われたくない《チビ》が僕の心を突き刺した。村井さんの場合は、《悪意》ではなかったと知り、この性質を改めようと誓っていた。今は違った。悪意であるとはっきり分かった。美佐子にも、林君や田中君にも、《無理するな》と言われていた。でも、何で、僕が一番気にしていることを言うんだ。はらわたが煮えくり返り、理性を失いかけている。
「おい、川野君をどうして信じないんだ。同じ野球部員だろう。それに僕に対して《チビ》とはなんだ」
僕の怒った姿に相手はひるんだように見えた。僕からそう見えただけで、すぐに相手も、僕以上の剣幕でにらみつけた。
「チビのくせに生意気な」
拳を振り挙げて僕に襲いかかって来た。振りあげた腕をつかみ、一本背負いで投げ飛ばした。試合であるならば豪快な一本勝ちだ。三年生は受け身を取ったものの、起きあがるまでしばらくかかった。忠の胸ぐらをつかんでいたもう一人の三年生が慌てて投げられた三年生のいる場所へ行く。
「忠君、ここから逃げよう。すぐに監督のところへいこう」
「慎一郎、助かったよ。どうしてここにいるって知ったんだ」
「林君や田中君が教えてくれたんだ。すぐ近くにいるんだ。あったことをすべて話そうよ」
「すまん、慎一郎に心配をかけまいとして」
背後に何か殺気を感じた。起きあがった三年生と、もう一人の三年生が襲ってきた。忠に再び危なくなる。
「忠君、林君のところへ逃げて。僕は時間を稼ぐから」
「大丈夫か、俺も立ち向かうから」
「早く、監督を呼んで来て、そうでないと僕たちがやられてしまうから」
「分かった。絶対にむちゃするんじゃないんだぞ」
忠は、一目散に体育倉庫付近にいる、林君たちのいる方向へ逃げた。二人は僕の姿しか見えていない。何かは知らないけど、僕は野球部の監督に密告し、この二人に不利益にさせた相手として《復讐》されてしまう。うまく投げ飛ばして、その隙に僕も逃げよう。そして、沢村さんや監督にすぐに話そう。
もう一人の相手が僕の胸ぐらをつかんだ、ふりほどきの衿(えり)をつかみ、今度は払腰の形になりうまく投げた。大きな体格の相手だったけど、うまく決まり、相手は地面へ。しかし、背後から衝撃を感じた。最初に投げ飛ばした相手から蹴られた。一瞬、息が詰まった。その間に形勢が逆転してしまった。
「チビのくせに、チクりやがって。大会が駄目なったらどうする」
二人から蹴られた。僕は、頭を守るのが精いっぱいだった。忠を逃げる余裕を与えた、監督がやってくるのを待つしかなかった。しだいに、意識が遠のいているのを感じていた。
「二人とも、やめんか」
の声がすると、僕に対する攻撃が止んだ。声は、柔道着姿の松村先生だった。部活動に行く途中だったようだ。
「山下、どうした。大丈夫か」
先生は僕を起こした。体の痛みを感じていた。動けないほど殴られたかと思った。でも、間をおいて立ち上がることができた。
「保健室まで歩けるか。無理なら救急車を呼ぶか」
「はい・・・少し痛みを感じます。でも、大丈夫です」
「よし、行こう。それに、丸山(まるやま)、伊良林(いらばやし)、事情を聞くから一緒について来い」
松村先生の強い口調で、二人はさっきまでの、あの威勢の良さは失せ、先生の指示に従い、保健室に向かった。もちろん、忠、林君に田中君も。
保健室につくと、上着を脱いだ。
「あざも、傷もまったくないわね」
保健の先生が体の様子を見る。鏡に映った僕の姿を見ると、先生の言うとおりだった。
「三年生の二人に足蹴りされたんです」
僕がその様子を説明する。横で忠がうわずった声で、
「あんなに蹴られて、慎一郎、もう駄目じゃないかと思いました・・・良かった・・・」
忠を見ると、涙が流れている。僕はズボンのポケットからハンカチを出し、渡した。
「俺、あんな姿を見て、気が動転してしまって、非常ボタンを押せなかったんだ。利幸が松村先生を見つけて、呼びに行ったんです」
田中君が忠や、林君が固まってしまい、どうしようかと携帯電話を取り出そうと視線を変えた。道場に移動する松村先生を見つけ、二人で呼びに行った。それがなかったら今ごろ僕はどうなったことか身震いした。
「後からあざになっていたり、骨にひびが入っていては困るから、すぐに病院いったほうがいいわ。かかり付けの病院あるかしら」
「はい、校門からすぐに出たところの、山里(やまざと)病院にかかっています」
「あそこなら、レントゲンやCTもあるから大丈夫ね。電話して置くから、いますぐ行ってね」
「はい、分かりました」
「私が病院に付き添います」
松村先生が保健の先生に言った。
「私から先生は、急用で練習が来れなくなるからと、伝えておきます」
林君は、部室から僕の鞄を持ってきたようだ。保険証に財布が入っている。
「純・・よかった。先輩方には、急用で病院に行くと伝えたよ」
一緒に行った田中君が、沢村さんに伝えていた。
「みんなありがとう」
僕が深く頭を下げ、松村先生と病院に行こうとすると、
「山下君、よかった。《三年生に襲われた》と聞いたから・・・」
沢村さんの声だった。竹本さんに、それに美佐子もいた。
「どうして襲われたの。でも、よかった」
美佐子は泣き顔になっている。中学のあの屋上でのできごとの再現のように感じた。
「言い合いになってね。美佐子、悲しませてごめん」
そこまで話すと松村先生と僕は病院に向かった。すぐ近くだし、痛みはすっかり消えていたから大丈夫だとは思うんだけど。念のために診てもらおう。
=> 3
「慎一郎君は普段から鍛えているからね。骨も内臓もきれいなものだ」
かかりつけの病院の院長、山里先生がレントゲンとCTの画像を見ながら言った。
「よかったです。あんなに蹴られていましたから」
一緒に聞いていた、松村先生も安堵の表情を見せていた。
「今回はたまたま運が良かっただけだ。場合によっては深刻な目に遭っていたかも知れないぞ」
「はい・・・僕もそう思います」
先生に頭を下げる。幼い頃から病弱で、家とこの病院を行き来し、両親をいつも心配させていた。きょうのことで、また心配を増やしてしまった気持ちになった。
「湿布薬をだしておくから、調子がおかしくなったらくるんだぞ」
「ありがとうございます」
会計を済ませると、待合室には、増田先生、それに野球部の三年生の二人、もう一人、確か・・・。
「慎一郎はどうでした」
増田先生が、松村先生にまず聞く。
「増田先生、山下はどこも異常はなかった。俺も、あの場面を見てどうなるかと思っていたんだ」
「慎一郎、心配させて。襲われたと沢村から聞いて、頭が真っ白になった。何もなくてうれしい」
先生は僕を抱きしめた。こんなに不安にさせるなんて、僕はもう少し熟慮して行動すればよかったと感じていた。
「ごめんなさい。ここまでなるとは、僕も思いませんでした」
増田先生に心から詫びる。松村先生にも同じく頭を下げて詫びた。《チビ》と言われて激昂するこの性格、悪意はあるかないかは問題にしてはいけないし、すぐに改めないといけない。みんなにとても心配や迷惑をかけている。
「山下君、監督の大浦だ。この二人がとんでもないことをしでかして、申し訳ない」
《もう一人》の先生は、野球部の監督で保健体育の教師、大浦克之(おおうらかつゆき)先生だった。四十代後半に見えた。
「いえ、僕も、言われたくない言葉で冷静さを失いました。先生たちにまず、連絡をしておくべきでした。とんでもないことをしでかしたのは、この僕です」
立ち上がり、深く頭を下げた。僕がいま言った通り、職員室に連絡を入れておくか、林君か田中君に連絡させれば、騒ぎまで行かなかった。《チビ》と言われても、対処は違っていたと思う。
「それでも、寄ってたかって蹴りをいれた、この二人が一番悪い」
大浦先生はきっぱり言った。二人は僕、それに忠に視線を合わせようとせず、ずっと神妙になっていた。暴力事件が《発覚》すると、連盟に報告、試合出場辞退か、対外試合禁止の処分が出る。先日も別の高校で暴行事件があり、対外試合禁止の処分が報道されていた。彼らもネットでのニュース、新聞かテレビを見て知っているはずだ。三年生にとって最後の試合が、これで駄目になっては、何のために練習を続けてきたのかという虚無感に襲われる。
「学校に戻って、相談室で話を聞こうか」
「はい」
先生たちと相談室にいこうとすると、沢村さんに竹本さんが僕に気づいて寄ってきた。不安な表情は変わらない。
「病院、どうだった」
竹本さんが聞く。普段は冷静な彼が取り乱している。仲間が騒ぎに巻き込まれた上、暴行を受けたから。申し訳ない気持ちがにじみでている。
「全く異常はありませんでした。竹本さん、それに沢村さん、騒ぎを起こしてごめんなさい」
「謝らなくてもいい。何もなかったことが、一番の知らせだよ」
言うとおりだ。何もなかったことを聞くと、竹本さんは安堵の表情、それに、あの冷静な表情に戻って・・いや、すぐにいままで見たことがない怖い表情に変わっている。
「悟、なんてことしたんだ。大事な仲間、それに友人にこんなひどい目に遭わせて。どうしてなんだ」
竹本さんは、丸山悟(まるやまさとる)さんに厳しい口調で問いつめた。丸山さんは無言だった。
「義徳も、何で止めなかったんだ。けがしていたら、試合どころじゃないんだぞ。先日、一緒に話しただろう」
もう一人の三年生、伊良林義徳(いらばやしよしのり)さんにも詰め寄った。彼もうつむいたまま無言だった。竹本さんは僕、それに伊良林さんの双方のけがを心配して出た言葉だった。
「翔太さん。落ちついて。大浦先生、私たちも同席させていいでしょうか」
「よかろう、一緒に来なさい」
「わがまま言ってすみません。翔太さん、行きましょう」
「ありがとう、親友だったんで、冷静になれなかったんだ」
落ち着きを取り戻した竹本さん、それに沢村さんも相談室へ入った。部屋には、僕、忠をはじめとした、体育倉庫周辺にいた生徒たち、大浦先生、松村先生、それに増田先生もいた。
忠も、丸山さん、それに伊良林さんもうつむいている。《これで甲子園予選出場が駄目になった》と顔にかいている、僕はそう感じた。
「どうして、山下君をあんな目に遭わせたんだね」
現場を見た松村先生が、三年生の二人に静かに尋ねた。丸山さんが顔を上げ、話し始めた。
「俺たち、川野と体育倉庫で話をしていると、山下が食ってかかったんです」
「本当か、山下はそんなことをする生徒ではないんだが」
松村先生は静かに尋ねた。僕を明らかにかばっている。かつ、先生の口調は彼らに《真実は違うだろう》との圧力にもなっている。
「俺が、先輩たちに体育倉庫の裏に呼び出され、詰め寄られていたんです。慎一郎たちが気づいてくれたんです」
忠は、小さな声で話し始めた。先輩たちから何を言われるか気にしている。
「どうして呼び出されたんだね」
大浦先生が尋ねた。忠はひと呼吸置き、顔をあげ、はっきりと話し始めた。
「四、五日前から、急に《監督に喫煙をチクっただろう》と疑われるようになりました。昼休みにも、部活が終わってからも、丸山先輩や、伊良林先輩に呼び出され、《知らない》と言っても信じてくれませんでした」
忠は震えている。僕は忠の方を見ると、涙が流れている。僕にもこのつらさが自分のことのように思えてならなかった。
「お前だろうが」
突然、伊良林さんが拳で机をたたくと、立ち上がって忠に威圧をかけた。彼は恐怖のあまり顔を覆って泣いていた。
「座らんか」
松村先生は伊良林さんをにらみつけながら、強い口調で言った。彼は大人しく座り、再びうつむき始めた。
「丸山さん、それに伊良林さん。僕は忠君の《やっていない》という言葉を信じて止めに入ったんだよ。どうしてチクったと疑ったの」
僕は二人に質問した。《喫煙》が騒動のきっかけになったのは分かったけど、どうして忠に矛先が向いたんだろう。
「別の三年生から、川野が喫煙を監督にしゃべったと話を聞いたんだ。それで言った言わないで、だんだんと・・・」
「私は、川野から喫煙の話は聞いていない。新入生たちに渡した、練習ノートを集めてもって来るように頼んだだけだ」
大浦先生がそのように話すと、三年生たちの表情が変わった。でも、どうして喫煙になったんだろうか。
「伊良林さんに聞くけど、何で喫煙の話になったの」
「部室の前に吸いがらが落ちていたのを三年の岩川(いわかわ)が見つけ、二年生が川野が監督と何かを話していたの話の後に、監督から《喫煙》の話が出たから、チクったと思ったんだ」
「でも、伊良林さん、忠君を責めたということは、吸っていたの」
彼らが吸っているから、うしろめたくて、忠を泣かせるまで責めたんだ。伊良林さんに僕が聞くと言葉が詰まった。
「お前たち吸っていたのか。私は、《校内禁煙》を忘れている保護者や後援会の人たちが、吸っているのを見ているかを尋ねただけだぞ」
「大浦先生、僕も、陸上部の後援会の人が、運動場で吸っていたのを見て、すぐに《校内禁煙です》を伝えたことがあります」
先生の話で、先日、陸上部の後援会の人が吸っていたのを見て、禁煙を教えてあげたことを思いだした。その方は頭を下げ、すぐに携帯用灰皿に入れた。たぶん、野球部でも同じことがあったんだ。
「山下君も見たんだね。職員会議の議題に、《後援会などの来校者に対しての禁煙の徹底》を松村先生に増田先生、提案しましょう」
大浦先生の提案に、了承した。残るは丸山さんたちの喫煙しているかいなかになる。どうしてここまで忠を責めたのだろうか。
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「丸山、伊良林。山下君や川野をこんな目に遭わせたということは、お前たちや部員が隠れて喫煙しているのではないのか」
形勢が逆転している。彼らは川野が喫煙を密告し、僕も同じ穴の狢(むじな)にして、喫煙問題を片づけようとしていたのではないだろうか。もし、そうであるならば卑怯だ。よく考えたら飛躍した推論になってしまう。誰かに擦(なす)り付けるより、隠し通してしまえばよい。
「俺たちは、東高に入って、甲子園に出場する目標で、小学生から野球を始めました。喫煙で出場をふいにする真似なんてできません。部員が吸っていたかも知れないと不安になったから、川野を疑ってしまったんです」
丸山さんも、伊良林さんも、大浦先生を見る。その眼差しは、二人は喫煙をしていないとはっきり僕には汲み取れた。
「悟、二年生から吸いがらが見つかったと聞いたのは、いつの話だ」
竹本さんが、丸山さんに聞く。半ば自分たちが不利になっているから、思いがけない助け船になったようだ。
「それは、土曜日の練習の終わった頃だった」
沢村さんが小さなシステム手帳を開き、日程と取材メモを確認している。
「この日は、私と岡さんが取材に行っているわ。今年に野球部の意気込みを聞いたでしょう」
丸山さんも、伊良林さんもうなづいた。その日は、放送局主催の大会を前にした練習試合があった。保護者を含めた後援会の人々もたくさん来ている。
「今年のチームの目標や仕上がりを、沢村に話したな」
思い出すように丸山さんは言った。吸いがらは、後援会の誰かが《うっかり》吸ってそのまま捨ててしまったのかも知れない。
「あ、そう言えば・・・」
田中君が何かを思いだしたようだ。
「二年生の三原さんと大橋さんの、野球部の写真取材に林君と一緒についていきました。取材のやりかたを教えてもらっていました。練習が終わって、部室の方向を見ていると、川野さんくらいの体付きの、制服をだらしなく着ている生徒が、足で何かを踏みにじっているのを見ました」
「俺も見た。俺たちからは背中を見せて煙草を吸っていたんだ。後援会の人かと思ったら、田中君の言うとおり、ここの生徒でした」
林君も思いだした。二人は、忠が密告していない《決定的な証拠》を、偶然見ていたのだ。
「あ、やっぱりあいつ、ここに来て隠れて吸ってていたのか」
伊良林さんは声をあげた。
「野球部、サボったうえに、先輩がたから何度も注意されると、最後には激しい言い合いになって辞めたあいつか」
丸山さんも言った。《あいつ》とは、去年、野球部に入ったものの、練習は不真面目、何度もサボる。それを注意されると、先輩方と激しい言い合いになって辞めた現在の二年生だった。辞めたと言うより、大浦先生の判断で、退部させたが正しかった。
「ああ、あいつか。明日、私が生活指導の先生と一緒に呼び出す。丸山、伊良林、これで分かったな」
二人は小さくなっていた。自分たちの思い込みで、忠を責め、そして、僕も巻き込んだ騒ぎになってしまった原因は、完全に自分たちだった。
「山下君、あんな目に遭わせてすまなかった。川野君、疑って恥ずかしい」
まずは丸山さん、伊良林さんが立ち上がって、深く長く頭を下げた。理由が分かったし、僕もけがは最小限度に抑えられている。
「僕の方も、《チビ》と言われて冷静さを失ってしまい、投げ飛ばしてしまいました。ごめんなさい。けがはないでしょうか」
僕も立ち上がって深く長く頭を下げた。お互い頭をあげて視線を合わせた。
「俺たちは受け身を取ったから大丈夫。山下君は強いんだな。この前、村井を投げた写真入りの新聞を読んだ通りだった」
「いえ、あれはまぐれです。大村さんにはコテンパンにやられました」
「ぜひ、野球部にも《体験取材》来いよ」
伊良林さんの誘いに僕はうなずき、
「ぜひ、球拾い、ノックを体験させてください」
お互い見合って笑いだした。緊張で張りつめた相談室内の空気が和らいだように感じていた。忠はこの展開に目を丸くしていた。
「いつでも取材においでよ」
丸山さんと僕は握手を交わした。伊良林さんもにこやかな表情になっている。あとは、先生たちにお願いをしないといけない。
「大浦先生、僕は検査してどこにも異常がありませんでした。それで、お願いがあるんですけど、丸山さんと、伊良林さんに取材中に、誤って《転んだ》ことにしていただけませんでしょうか。お願いします」
先生たちに向かって、何度も頭を下げてお願いした。暴力事件や喫煙などの、いわゆる《不祥事》が発覚すれば、連盟に報告しないといけない。対外試合ができなくなってしまう。僕たちは非を認め和解した。《大人の事情》もあるかもしれないけど、先生には思いを伝えないとならない。
大浦先生は腕を組み、目を閉じ、しばらく考えていた。
「山下君の気持ちを酌(く)んで、今回だけは大目にみる。山下君、本当にいいのか」
「もちろんです。わがまま言ってありがとうございます」
「悟、義徳、山下君には感謝しないとな。このことは、ここにいる僕たち限りしよう。沢村さん、どうかな」
沢村さんも笑顔でうなずいた。
「そうね、翔太さんの言うとおりにするわ。あとは若野さんにも話しておくわね」
「俺たちもそうします。山下君って、ケンカしても仲直りできるなんてうらやましいな」
林君も言った。残るは忠だ。どう思っているのだろうか。
「川野、監督の私が、異変に気づかず、すまない」
先生が頭を下げる。
「俺も、監督や慎一郎に相談しなかったのが悪いんです。すみません。それに俺からもお願いがあります。丸山先輩。伊良林先輩は、厳しくもあり優しさもある方で尊敬しています。しかし、俺を信じてもらえませんでした。退部させていただけないでしょうか」
忠は、はっきり言った。先生は《川野の意思だから》と認めた。丸山さんや伊良林さんは、《信じなくて、本当に悪かった》と頭を下げて謝り、退部することを認めた。僕だって、忠の立場だったら同じ行動を取っていたと思う。
合格発表の日、英語の成績が気になり、とても不安になっていた彼が、自分の番号を見つけると一転、飛びあがって喜びを体で現わし、取材にきたテレビ局の記者のインタビューに《甲子園を目指す》とまで言った。それが、先輩の勘違いから不信感を募らせ、退部するに至った。その悔しさは僕にも感じていた。信じてもらえない体験は、中学入学から二年生までの間、忠、美佐子、孝浩たちに助けられるまで、いやというほど味わった。
忠になんと言って慰めたらいいだろうと、ずっと考えていた。相談室での話し合いも終わり、それぞれ部屋から出て、帰路につこうとすると、忠は僕に、
「慎一郎、部長や、副部長がいるから、新聞部へ入るようにお願いしてもいいか。岡先輩もいることだから」
「岡さん、知っているの」
「もちろんだとも。野球部に先輩が撮影に来ると、俺が親父から譲ってもらったカメラと同じ機種で撮っていたんだ。それで、すばらしい作品が撮影できるから、《秘訣》を習いたかったんだ」
「なら、行こうよ」
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僕たち新聞部と忠は、いったん新聞部の部室に戻った。美佐子を始め、仲間がすべていた。次回発行される新聞の配布の準備まで終わっているようだった。
「慎一郎君、良かった。何もなくて」
美佐子が真っ先に声をかけた。僕の状況がなかなか分からず、姿を見て飛び上がって喜んでいる。
沢村さんが、みんなに向かって言った。
「山下君と野球部の主将丸山さんと、伊良林さんと、言い合いがあったけど、仲直りして《体験取材》の申し出があったわ。日程を決めてから、私たちも協力しましょう」
「僕からもお願いするよ。襲われたのではなくて、対立している内に、彼が転んだだけなんだ。仲直りもしたから、これで終わりにしよう」
みんなは《はい》と了承した。襲われた話は、言い合っている内に僕が転んだことと共有されることになった。
「なんだか、山下君の野球着姿の取材、ワクワクするね」
大橋さんが言った。三原さんも、同じことを言った。すでに、気持ちはグラウンドに行っているようだった。
「みなさん、ちょっと聞いてください」
忠がみんなのいる方を向かって、少し大きめな声で言った。
「はじめまして。いままで野球部にいた川野忠です。慎一郎と若野は昔からの友人です。俺の趣味はカメラで、鉄道などの公共交通などを撮影しています。先日、岡先輩が野球部の取材で、撮影している姿に憧れて、新聞部へ《移籍》したいと強く思って、キャプテンと話しているうちに、熱くなって、慎一郎を呼びました。入部、認めていただけるようお願いします」
深く頭を下げて入部をお願いする忠。まず、岡さんが口を開いた。
「あ、私の撮影しているところを見ていた彼ね。直感で、カメラが好きだと分かったわ。しっかり技法(テクニック)を教えるわ。よろしくね」
「私も大歓迎。撮影する仲間が増えると楽しくなるわ。よろしくね」
大橋さんも歓迎した。部長に《ぜひ入部を認めて》とまでいった。
「川野君、よろしく。僕も電鉄の写真を撮影に行くんだ。仲間ができてうれしいよ」
三原さんも歓迎していた。同じく部長に入部をお願いしている。
「川野君、新聞部へようこそ。ここは野球部と違って、少数だけど、気兼ねなく仲良く新聞をつくっていきましょう」
沢村さんが入部を認めると、忠は《ありがとうございます。お役に立てるようがんばります》とまた、深く頭を下げた。
こうして、忠は野球部から新聞部へ《移籍》という形で入部した。すぐに打ち解け、カメラの話や撮影の仕方などで、岡さん、大橋さんに三原さん、浜中君と仲良くなっている。忠の撮りためた電車の写真を見せると、《これいいね。いつか撮影会をしましょう》と打ち合せをしている。
「慎一郎、ありがとう。丸山先輩や、伊良林先輩が、どうしても信じてくれなくないから悩んでいたんだ。慎一郎や若野に不安にさせてはいけないと思っていたんだ」
部活が終わり、僕や美佐子と一緒に、帰ることにした。いままでは、部活などが違っていたから、一緒に帰ることはきょうが初めてだった。
「二年前の、あの日の僕と一緒だね」
「慎一郎と立場が変わったな」
お互いにあの日の出来事を思いだしていた。僕も忠も《迷惑や心配をかけたくない》の強い気持ちで伏せ、事態が発覚し、かえってそれが大きくなってしまった。幼なじみで、身近な存在、何でも話していたと思っていたのに、《迷惑》や《心配》の言葉にまどわされ、不要な労力をかけていた。
「ねえ、悩みや、不安があれば隠さず話しましょうよ」
美佐子は僕たちに助言した。
「もちろんだよ。悩みがあったら、打ち明けるよ」
「俺もそうするよ」
三人はそう誓った。再び歩き始めると、孝浩君が声をかけた。
「きょうは三人一緒は珍しいな。川野、野球部は」
「ああ、カメラの魅力がどうしても抑えきれずに、新聞部へ《移籍》したんだよ。孝浩のシュート撮影に来れるな」
孝浩君は少し照れながら、
「待っているよ。俺、山下と川野たちが先生と一緒に行くから、何か遭ったのか思ったんだ」
「孝浩君、僕たちを見ていたの」
彼も僕たちの様子が見えたんだ。正直にいままであった出来事、忠の退部、それに、僕が転んだことで終わっていることも話した。
「うん、分かったよ。しかし、山下は仲直りしたり、人間関係を築けたりするから、本当に、俺、尊敬するよ」
「それは、俺も思った。中学の生徒会役員選挙を見て感じたんだ」
「慎一郎君の特技かもしれないわね。新聞部でも、柔道部でも、それに野球部に先輩方にも」
三人は僕の人つきあいが広がって行く様子を見ていたのだ。言われるとおり、特技かもしれない。《みんなのために僕はいる》の思いの結果なのだろうか。
## 第五章 ささいな言葉
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忠が入部し、新聞部は賑やかになった。二年生を中心として、新聞発行が続けられ、一年生は取材、発行の流れのコツをつかみ始めていた。
二年生部員の中心的存在となっている若葉さん。浜中君が最初に見せた、架空新聞《浜中新聞》の出来に感心してから意気投合し、彼の意見も取入れ、紙面構成が洗練されている。その若葉さん、気象や天文が共通の話題となり、よく話すようになり、体験取材以外の部室にいる日は、新聞づくりを手伝いながら、楽しく過ごすようになった。
そんなある日、僕は若葉さんと、記事を書くための準備をしながら、天気の話題になった。朝、低気圧の影響で風が強かったから、最近の気象の傾向から温暖化まで飛び出していた。
「若葉さん、きょうは風強かったですね。僕、歩きにくかったです。若葉さんのように、もう少し体重が重ければ、吹き飛ばされにくかったです」
強い南風で、僕のこの痩せたからだではつらかった。彼は、僕より数センチ背が高く、小太りだった。もう少し体重があったらなという願望から出た言葉だった。若葉さんは苦笑いをしながら、
「そうかな・・・僕も、大変だったんだよ」
と言った。話題はそこで終わった。でも、それが間違いの元だった。
後から知った話なんだけど、二年生だけが部室に残ったときに、僕が若葉さんに放った《吹き飛ばされにくかった》についてが話し合われたという。
「山下君から、僕の体のことを言われたんだ。彼、僕に《風に吹き飛ばされにくい》って。あいつ、何様なの。傷ついたよ」
若葉さんが不満をぶちまけた。普段は温厚でめったに怒りを示すことがない彼が、怒りをあらわにしている。他の四人も困惑していた。
「良輔、それはひどいね。師匠から聞いた話では、山下君、村井さんを投げ飛ばしたきっかけは、彼の体格を指摘されてからだって」
大橋さんが、僕の柔道部での出来事を思いだしながら言った。
「なんだよ、あいつ、自分の体格を気にしているくせに、平気で僕のことを言うんだ。卑怯だよ」
若葉さんは怒りも頂点になっている。
「最近、生意気になっているじゃないのか。三年生と仲良くなって、僕たちをなおざりしているよ」
三原さんも怒りを込めて言った。浦上さんも松山さんも同調し、僕の非難を始めた。《部長や副部長を丸め込んで、やりたい放題》という不確かなことまで出てきて、《そうだそうだ》の同調の声。二年生の五人は、前、そして今の部長から能力を認められ、中心的な存在になっている。結びつきも強かった。僕への非難が一巡すると、大橋さんが次のように提案した。
「少し、山下君、反省させるために懲らしめてやりましょうよ。彼が話しかけても、必要最小限のみ、あとは知らぬ顔しましょう」
三原さん、浦上さん、それに松山さんはすぐに賛同した。若葉さんが、表情を曇らせた。
「大橋さん、それはやりすぎで《いじめ》だよ。彼も一生懸命に新聞部のためにがんばっているから、僕が明日、彼を呼んで、よく注意しておくよ」
「のぼせ上がっているから、良輔の注意だけではなめられるわよ。ここは《心を鬼》にして、態度で示しましょう」
「うん・・・分かったよ。でも、やりすぎないで」
二つ返事で、若葉さんは了承した。こうして、二年生の僕に対する、《非難の態度》が実行されることとなった。翌日まで、僕は知る由もなかった。
翌朝、僕たちはいつものように登校し、部室があるプレハブの前で、二年生五人を見つけ、《おはようございます》とあいさつをする。笑顔であいさつを返すはずだった。しかし、僕の存在を完全に無視し、部室の方へ消えて行った。気づかなかったのとは違い、あからさまに僕を避けているのを感じた。僕は身震いをしているのに気がついた。
《どうしたんだろう。また、僕は高校でもいじめられるのかな。加藤や山本が悪い噂を流して、二年生たちに吹き込んだんだろうか》
鞄を教室に置き、部室へ向かった。僕が何かしたんだろうか。あるからこのような無視につながったかも知れない。大橋さんと三原さんが出てきたところだ。聞いてみるしかない。
「大橋さん、僕、何か悪いことしたのでしょうか」
「何をしたかって。あなたの心に聞いてみたら」
強い口調で言い放ち、二人は立ち去って行った。一瞬で頭の中が真っ白になってしまった。涙が流れているのも感じていた。僕は、また、あの忌まわしいあの頃にもどるのか・・・もう、いやだ。考えている内に、気分が悪くなってしまった。職員室に行き、増田先生にあった。
「気分がすぐれないので、一時間目の授業だけ保健室で休ませてください」
先生は心配そうな表情をしていた。
「風邪でもひいたか、治らなかったら、早退して、病院にいくんだぞ」
「はい」
保健室に向い、ベッドに横になった。カーテンを引くと、静寂の音しか聞こえてこなかった。自然と涙が流れるのをハンカチで何度も拭いた。拭いても拭いても、涙は止まる気配がない。
《二年生たちの、あの態度を見せるまで、忠のことで、いさかいもありはしたけど、高校生活は順調だった。友人もたくさんできて、兄さんや姉さんのような先輩方とも知り合い、希望に満ちあふれていたはず・・・だった。僕は、何をしたんだろうか。それとも、誰かの指図でいじめが始まったのか》
頭の中でそのことが何度も回り、離れなかった。《僕の心に聞く》とはどういうことなんだろうか。
「慎一郎君、気分はどう」
カーテンの外から美佐子の声がする。一時間目の授業が終わり来たようだ。
「うん・・まだ、すぐれないんだ」
「泣いていたの」
「・・・僕、また、いじめられるのかな。二年生の態度が急に変わったんだ」
落ち込む僕の姿を見て、美佐子は躊躇(ちゅうちょ)しながらも、僕にスマートフォンの画面を見せる。
そこには、二年生の浦上さんとのチャットアプリでのやりとりが表示されている。ひどい内容だった。信じられない。僕は、そんなことをしていない。心に突き刺さる文字がに耐えられず、気がつくと顔を覆っていた。涙を見せまいと思った。無駄なことだった。
「ごめん、《何のことなの》と送り返したの。《これ、誤りだから削除しておいて》だけが帰ってきたの。なんだか胸騒ぎがして、保健室に来たの」
「ありがとう・・・僕、そんなひどいことしていないよ・・・」
「私も、慎一郎君がそんなわけないと、信じているわ。だから、川野君、真田君もついているから、安心して」
美佐子のこの言葉はとてもうれしかった。迷惑をかけまいと隠そうなど思いもしていない。彼女も知っている、かつ、僕の今の心では、自分で抱え込むなんて無理だ。
「安心したよ、お願いがあるけど、もう一時間休んでから、戻って来るよ。先生に言っておいて」
「分かったわ。昼休み、みんなで話し合いましょう」
次に授業開始も残り少なくなった。彼女は保健室から出て行った。入れ替わりに、保健の先生が戻ってきた。《もう一時間、休みます》と言い、カーテンをひきベッドに横になった。美佐子から勇気をもらったおかげで、涙も止まり、心に余裕ができた。今朝のことはいったん忘れて、別のことを考えよう。
=> 2
三時間目、僕は落ち着きを取り戻し、教室へ戻った。落ち込んだ表情は見せまいと努めて明るい、いや、普段通りにした。そうでないと美佐子をもっと悲しませることになる。
「慎一郎君、落ちついた」
「うん、美佐子の《信じている》で落ちついたよ」
「よかった。きょうは、柔道部へ《体験取材》に行くか、帰宅する方がいいわよ。二年生といたら険悪な雰囲気になるから」
「そだね、ありがとう」
「事情が分かるまで、昼休みは、新聞部へ行かずに中庭で、食事でもしましょう。部活、休んでもいいから」
「そうするよ」
三時間目の授業は平穏に、かつ、集中して取り組めた。一度、これまでの不安や焦りを《ご破算》にすることで、何をしたのか思い出せる。授業が終わり、僕のところへ、佐野さん、桜田さんが駆け込んで来た。
「山下君、これ本当なの」
佐野さんは、僕にスマートフォンの画面を見せる。メールアプリだった。発信元は、三原さんだった。その文章を見て、美佐子から画面を見せられた以上に衝撃を受けた。
「・・・そんな、僕、そんなことなんてしないよ」
添付されていたファイルは、新聞形式に組まれ、僕に対するあることないことが記事として並んでいた。
《
新東高新聞 号外
山下、部長の座を略奪する。
村井先輩を言いくるめ、やりたい放題。強引に部長の座を奪う。
二年生部員、新聞部を脱退し、新たな新聞部を結成。
山下、過去の悪事が発覚する。
他校の女子生徒をホテルへ連れ込もうとする、大人しそうな彼の鬼畜な一面。
》
ゴシップ週刊誌顔負け、いや、それ以上のひどさだ。他にも僕を容赦なく傷つける見出し、記事本文が並んでいた。でも、最初に目に飛び込んだこれらの見出しで、読める精神状態ではなかった。
「山下君、ごめんね。見せようかと見せまいかと悩んでいたんだ。これを使って」
佐野さんはハンカチを差し出す。悔し涙に塗れていた僕に気遣ったのだ。美佐子がいなかったら、僕の心は乱れ、学校から逃げだしていた。
「これって・・・《いじめ》なんでは」
桜田さんがぼそっと言った。《いじめ》の言葉にビクっとして、うつむき震えていた。二年前の悪夢が蘇っている。
「桜田さん、そうではないわ。何かの間違いよ」
美佐子は彼女を諭した。僕の忌まわしい過去を思いださせたくない一心だ。その気持ちはとてもうれしい。
「ごめんなさい。佐野さんのメールの発信元を見ていると、三原さんが発信元で、他の二年生に送られたようだわ。でも、若葉さんには送っていないから、送るときに発信元の選択、誤ったみたい」
「三原さん、何を考えているのかしら。いくら上級生でも、こんな文書はやってはいけないことだわ」
美佐子が怒りの態度を現わしている。
「僕・・・具合が悪いから、帰るよ。美佐子、増田先生に伝えてもらえないかな」
鞄に教科書、ノートを入れると立ち上がろうとした。体が激しく震え、立ち上がれない。
「慎一郎君、今は無理よ。保健室に行きましょう」
美佐子たちに促され、僕は保健室へ向かった。しばらく横になり、落ち着きを取り戻した。美佐子と忠は、それぞれの先生に早退の許可をもらい、僕を家まで送ってくれた。夕方近くまで、僕の部屋にいてくれるそうだ。僕のせいで、美佐子や忠にはすまないことをした。でも・・・なんで、三原さんは、僕にこんなことをするんだろう。
僕が美佐子、忠と一緒に早退するところを、二年生の教室から、三原さんと大橋さんが見ていた。
「これで、山下君、反省して、のぼせ上がることもないわね」
大橋さんが言った。三原君も、大橋さんを見ながら、
「うまく行ったね。もともと、柔道部へ誘われていたようだから、辞めてそっちへ行けばいいのに。浜中君の架空新聞をいじって、良輔以外と、一年生の佐野さんに送ったんだ。彼女は見せに行くから、読んだんだろうな。明日は、退部届もってくるね」
「良輔を馬鹿にした、当然の報いよ」
「おい、啓介。これはどういうことなんだ」
若葉さんの声だ。三原さんは振り向いた。そこには怖い形相をした彼が立っていた。彼の手には、その架空新聞を印刷したものを持っている。
「部室に忘れものを取りに行くと、閉じていたはずのノートパソコンが開いたまま、それに、マウスが机に放置されていたんだ。メールソフト閉じ忘れたんだろう。添付ファイル見て、僕は気が遠くなったんだ」
「ごめん、山下君を反省させるためだよ」
「そうよ、良輔の体を馬鹿にしたんだから。それぐらい、当然よ」
「僕、言ったよね。《やりすぎないで》って。直接、彼と話した方がよかったよ。退部どころか、山下君を追いつめてどうするんだよ」
反省させようと威勢が良かった二人は急に大人しくなった。やりすぎに気がついたからだ。
「啓介君、どうするの。これでは《いじめ》だわ」
浦上さんもやってきた。松山さんも。添付ファイルの架空新聞を開き、あわててやってきた。
「僕たち、真実を伝える《新聞部》だよね。浜中君の架空新聞は笑わせるためにあえて《架空・虚構》と分かるように文字も入れているんだ。でも、これ何。万が一、漏れて広まったら、沢村さんや竹本さんたち、そして諸先輩方が築いてきた、《伝統の文化部》の信頼が崩れ去るのを、考えたことなかったの」
松山さんは三原さんをにらみつける。視線を合わせられなくなっていた。
「彼から、《風に飛ばされにくい》といったわけを、冷静になって考えてみたんだ。彼、華奢(きゃしゃ)だろう。風邪が強い日は歩きにくい。軽率だと思ったけど、彼なりの理由もあるんだなと思った。だから、昼休みに呼んで、話そうと思っていたんだ。これでは、取り返しのつかないことになったら、どう責任を取るんだ」
若葉さんは、そういうと、悔しそうな表情で外を見た。
「良輔・・どうする」
三原さんは、恐る恐る尋ねる。大橋さんも、遠慮気味に声をかける。
「部長に相談してみるよ。それから考えよう」
若葉さんは、すぐに沢村さんのところへ向かった。
「部長、相談があるので、昼休み、部室に来ていただけませんか」
「若葉君、どうしたの、深刻な顔をして」
「まずは、これを見てください」
渡された例の新聞を見せると、沢村さんの顔から血の気が引いていた。
「これ、誰がやったの。冗談では済まされないことだわ」
「作ったのは三原君です。原因を作ったのは、僕です」
「翔太さんをはじめとした三年生を呼ぶから、隠さず話してね。山下君はこの新聞見たの」
「見ていたようです。若野さんと川野君に連れられて早退しました」
「放課後、私たち、山下君のところへいくわ」
「沢村さん、どうしたの。顔、真っ青だよ」
竹本さんの声だった。横には村井さんもいた。いつものように、教室外で雑談をしていて戻ってきたところだった。
「翔太さん、この紙を見て」
紙を見た瞬間、竹本さんは低いうめき声をあげた。体が震えている。
「誰、こんなもの作ったのは。新聞部の信頼が吹っ飛んでしまうどころか、部の存続にもかかわるよ」
「翔太の言うとおりだ。誰が何のためにやったんだ。もし見ていたら、山下、二度と、学校に出てこないぞ」
竹本さんは震えているのに対し、村井さんは冷静だった。しかし、怒りをこらえているのだけは、若葉さんにも分かった。
「これ、二年生の三原さんがしたそうよ。若葉さんが原因を作ったといっているわ」
「山下君もこれ、見てしまっています。実は・・僕と山下君と、嵐のことで話していました。彼が、僕に《風で飛ばされにくい》と言ったんです。太っていることをからかわれたと思い、二年生たちに不満をぶつけたら、このようになったんです。すみません」
「昼休み、二年生を相談室に集めて」
沢村さんは若葉さんに言付けた。
「俺のことも、さんざん書かれているから、翔太、来てもいいか」
「もちろんだとも」
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昼休み。沢村さんを竹本さんを始めとした三年生、村井さん、増田先生が相談室にいた。二年生が来るのを待っていた。
「言葉の行き違いでのいさかいでも、これはひどい」
増田先生も紙を見て震えていた。
「先生、私たちが行き届かなくて、申し訳ありません」
沢村さんは、先生に謝罪した。
「沢村はよくやっているよ。問題は、三原や大橋がなぜ、こんな《闇》を見せたか。じっくり聞かないとな」
二年生の部員すべてが相談室に入ってきた。最後に三原さんと大橋さんがうつむいて入ってきた。叱責されるのを覚悟していたようだ。
「若葉、このひどい紙を作らせた原因は、君にあったと、沢村に言ったようだけど。慎一郎と何かあったのか」
「はい、先日、嵐があった日に、山下君とその話題を話しました。僕も彼も、天文・気象は大好きですから、よく話しています。その中で、彼が僕に《僕のように体重があったら、風に飛ばされにくい》と言ったんです。最初は、太っていることを指摘され、《あいつ、何様なの》と二年生たちに不満をぶつけました。反省させるために行動しようと、意見が出たんです。《やりすぎないで》と言ったんです。でも、このように先生や部長、副部長たち、それに村井さんまで巻き込んで、本当に、申し訳ありません」
若葉さんは、そのように言うと、頭を下げた。
「《言葉の綾(あや)》か。どうして、慎一郎に直接話さない。聞き分けがない生徒と思わないが」
増田先生は、ため息をつきながら言った。
「初め、《言葉の綾》だと思いました。しかし、なぜか、山下君から太っていることを《からかわれた》と、怒りが湧き起こってきました。僕が中学の頃、薬の副作用で太り気味だったことを、からかわれた記憶が出てきたんです」
「山下君を、反省させようと提案したのは私です」
大橋さんが立ちあがった。彼女はさらに話を続ける。
「彼、体験取材や、記事を書くのが上手で、かつ、上級生ともあんなに意思疎通ができて、二年生を差し置いて、のぼせ上がっていると思ったんです。良輔をからかったことを知って、厳しい態度で臨もうとしたんです」
「・・・山下君は、二年生を差し置いてなんてことを、考えていないよ」
竹本さんは静かに言った。そして、彼女に視線を合わせると、
「彼、入部直後から、柔道部へ取材にいっているだろう。直接、僕に、《先輩方に迷惑をかけていないのだろう》かと話しかけたことがあったんだよ。彼も遠慮しているんだ。もし、大橋さんが彼の立場だった場合、他の部員からいきなり《厳しい態度》で臨まれたら、どうしたか考えてみるといいよ」
竹本さんの、あの独特な口調で諭されると、彼女は力なく座った。穏やかな話し方でも、厳しさが伝わっている。
「それで、あのような嘘で塗り固められた《紙》を作ったんだな」
増田先生は、うなだれたままの三原さんに、強く言った。彼は震えている。自分が何をしたのか、真(しん)に理解できたようだ。
「はい・・・二年生の仲間内で、山下君を反省させてあげようと僕は思い立ち何をしようかと考えている内に、たまたま、浜中君の架空新聞の見本が置いてありました。記事は、ネットの芸能ニュースを切り貼りしました。一年生の誰かに送れば、山下君も見るだろう。本当は柔道部に誘われていたのに、新聞部へ来た彼に、本当の行き先を知らせて、新聞部を辞めてもらえば、良輔への《敵(かたき)討ち》になると・・・」
突然、竹本さんが机を拳で強くたたいた。鈍い音と、厳しい形相で三原さんは縮みあがっていた。
「翔太、落ちつけ」
村井さんが竹本さんをなだめる。
「君たちが入部してからすぐに、僕は何と言ったか覚えている。他人が書いた文章や写真を《盗用》してはいけない。新聞部員とになったからには、絶対にしてはならないと。三原君、新聞部、諸先輩方への《裏切り》だよ」
竹本さんは本当に怒っている。
「それに、俺のことをあることないことを書いていたな。俺はどう書いてもかまわないが、山下は、俺を出汁(だし)にしてやりたい放題は許せないな」
「先輩・・すみません。僕にとって、怖いと感じていた先輩と、あんなに親しく話している彼に、うらやましい思いで、切り貼りしてしまいました」
三原さんは村井さんに震えながら頭を下げた。顔が涙で濡れていた。彼にとっては村井さんは、とても怖い人という認識だった。
「いいか、言葉っていうのは、相手を活かすも殺すもできるんだ。慎一郎も、言葉足らずで若葉を傷つけた。そして、三原も同じだ」
三原さんは、か細く《はい》と答えた。
「先生、放課後、山下君の家に行こうと思うのですが」
沢村さんが先生に提案する。
「これが済んでから、私が慎一郎の家に行く。放課後、訪れてもよいかは、連絡する。それでいいか」
「わかりました」
「先生、俺も行かせてください」
村井さんが先生に言った。
「放課後でもいいんだぞ」
「どうしても行かせてください。俺にも山下のような体格の弟がいて、弟も一時期、《架空新聞》でいじめられたことがあります。心配で授業どころではありません」
村井さんは立ち上がり、深く頭を下げた。増田先生は腕を組み、考えている。そして、
「午後の授業は何だった」
「はい、午後から、数学、英語です」
竹本さんが言った。同じクラスだったからだ。
「よし、先生には伝えておく。沢村、竹本、授業が遅れないように、しっかりノートを取っておいて欲しい」
「先生、わかりました。二年生は私たちが話しますから、村井さんとすぐに、山下君のところへ行ってください」
「ありがとう、村井、行こうか」
先生と村井さんは相談室を後にした。三年生と二年生が相談室に残った。
「部長、三原君を扱いどうします」
岡さんが心配そうに言った。
「こんなこと初めてですよね。外には漏れていないんですか」
油木さんが心配そうな表情で、部長を見る。沢村さんは手帳を開き、目を通した後、
「知っている範囲では初めてだわ。三原君は内輪だけに送っているから、外には漏れていないわね」
「でも、送ったパソコンは、ネットにつながっているでしょう。もしかしたら、巨大掲示板に投稿していないか心配だよ」
油木さんは、さらに沢村さんに尋ねた。沢村さんはポケットからスマートフォンを取り出し、何かを見ていた。
「大丈夫。巨大掲示板には何も載っていないわ」
「もし、漏れていたら、山下君、学校辞めると心配したんだ。小さな体格でよくがんばっているなと思っているんだ」
油木さんは胸をなで下ろしたようだ、そして三原さんに視線を向けた。
「三原君、大橋さん。何かあったら、直接話せばいいんだよ。こんなことをして君たち楽しかったの」
普段は口数が少ない油木さんは、二人を諭す。
「はじめは山下君が反省して謝ってもらえれば、それでよかったんです。彼、こんなことを言ったんです」
《
「大橋さん、僕、何か悪いことしたのでしょうか」
》
「私、その口ぶりに怒りを覚えてこういったんです」
《
「何をしたかって。あなたの心に聞いてみたら」
》
「怒りの頂点に達していました。啓介に話すと、岡さんから聞いた話では、山下君が村井さんを投げ飛ばした理由は、体のことを言われたからだと聞き、良輔に体のことを言っておきながら、自分は何と思ったんです。それで、啓介と二人で、《あることないこと噂を流して、辞めさせてしまえば》という考えになりました・・・先輩方、本当にごめんなさい」
大橋さんはまた、深く頭を下げた。
「山下君への答え方が間違っていたわね。彼はすぐに謝ったと思うわ」
稲佐さんが口を開いた。先日の体験取材でのことを思いだしながら、
「自分が間違いを認めたら、すぐに謝っていたよ。だから、先輩として冷静に指摘してあげれば、騒動にも、新聞部始まって以来の出来事もなかったわね」
三原さんはようやく涙が止まり、落ち着きを取り戻していた。
「たまたま、浜中君の《架空新聞》の見本が置いてあったんです。ふと、これを使えばと思いついたんです」
「私も《妙案》と思いました。ネットの芸能ニュースを開いて、スキャンダル記事を選びだして、啓介と話し合いながら作りました。まずは、良輔以外の二年生と、一年生の一人を選んで送ったんです」
「山下君の反応を見て、反省をしなかったら、匿名であの掲示板に書き込もうと・・・今となっては、先輩方にも、彼にも見せる顔がありません」
「・・・もっと、僕が強く言っておけば良かった」
若葉さんはため息をついた。そして、増田先生と村井さんが今ごろどのように説明しているのだろうと思った。
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忠と美佐子と一緒に僕は、いま、自室にいる。あの《紙》を見て、新聞部どころか学校にも行けないと思った。加藤にも山本にも、知られてしまったんだろうか。もし、辞めるとなったら、父や母を悲しませてしまうな。それだけは、避けたかった。ベッドに横になり、天井を見つめていた。
「慎一郎、あの二人がそそのかしたんだろうか」
自室に戻り、しばらく静寂だった。それを破るかのように忠は口を開いた。
「・・・それは違うと思うよ。僕が何か悪いことをしたのは、間違いないよ。それを気づかなかったから、二年生たちは、あんなことをしたんだろうと思ったんだ」
「でも、卑怯だわ。何で、直接言わなかったのだろうね」
美佐子の言うとおりだ。あんな手段を使って来るとは、僕を《いじめ》の対象にしたかも知れない。でも、なぜ・・・。
玄関の呼び出しベルが鳴った。忠と美佐子が、玄関へ向かった。美佐子が扉をあけると、増田先生と村井さんがいた。
「慎一郎はどうしている」
増田先生が聞いた。忠が《二階の自室で横になっています》を言った。部屋にも声が聞こえたので、僕は玄関まで降りて行った。
「先生、それに村井さんまで、お騒がせして申し訳ありません。ここでは何ですから、奥の部屋で話しましょう」
客間として使っている広い部屋に先生たちを通した。
「山下、あんな紙を見せられたと聞いて、俺は弟のことを思いだしたんだ。哲哉も《架空新聞》でいじめられたんだ」
村井さんがまず話し始めた。《体験取材》のあと、僕がいじめられたことを打ち明けたあの日、彼の弟も一時期《いじめ》られた話を聞いた。
「その弟と、山下の共通点は《体格》だった。その体格を、俺が《おチビちゃん》と言ってしまって、投げ飛ばされたんだったな。あの身のこなしはすごかったな」
「いえ・・・僕もすぐに、それで激昂する性格を改めようと考えました」
「ところで、二年生の若葉さん、どういう人か知っている」
「それは、僕より、太っていて・・・・」
嵐の日の朝、若葉さんと話したことを思いだした。大橋さんの《自分の心に聞いてみて》の厳しい声の意味がはっきり分かり、視線が合わせられなくなった。
「俺が言った《おチビちゃん》と同じことだろう。この騒ぎは《言葉の綾》だったんだ」
「はい・・・。僕が軽率でした。体のことで怒るのに、相手を傷つけてしまって。それに、新聞部や、村井さんまで迷惑をかけてごめんなさい」
深く頭を下げる僕に、増田先生は優しくこのよう言った。
「慎一郎も確かに悪い。もっと悪いのは、はっきり言わずに、そして、あんな《紙》を作った、三原に大橋、監督できなかった私にも責任がある。本当に申し訳ない」
「先生、謝らないでください。僕に原因があります。今からでも、先輩方に謝罪に行っていいでしょうか」
「慎一郎、時間を置いてから謝ってもいいんだぞ」
忠も美佐子も聞いた。謝ってもこじれたら取り返しがつかなくなると思ったからだ。
「山下、原因は分かったから、今は冷静になって、あした、謝ってもいいんだぞ・・・と、言っても、君の性格だから、すぐにでも行くんだよな」
村井さんは、僕の心の中を見抜いていた。ふと、三原さんたちはどうしているんだろう。
「竹本さんから、入部してすぐに、記事、写真の盗用、相手を傷つける記事は厳に慎むように教えられました。これは新聞部ができたときの決まりだと聞きました。先生、三原さん、大橋さん。どうなりますか」
「慎一郎、そこまで考えなくてもいい。職員会議で提案して、処遇は決める。新聞部は、あのような《紙》を作ったから、退部を勧める予定だ」
忠も美佐子も驚いていた。《すこしやりすぎでは》とも言った。
辞めさせる・・・。絶対に守らなくてはならないきまりを破ったから、しかたないにせよ、あの《紙》を作らせたのは、すべて僕に原因があるのだ。尊敬する先輩方をあんなにさせたのだから。
「・・・先生」
「慎一郎、何を考えているのかすぐに分かった。《辞めさせたら、自分も辞める》んだろう」
「はい。一番の責任は僕にあります。だから、辞めさせないでください。お願いします」
「私からもお願いします」
「俺からも。お願いします。カメラの仲間が減って、新聞部がつまらなくなります」
美佐子も忠も先生にお願いする。先生はしばらく考えた後、
「慎一郎たちのお願いを裏切っては、新聞部の連携も崩れるからな。辞めさせないよ。《紙》やファイルは跡形もなくするように、部長に伝えておくよ」
「ありがとうございます。言葉には充分気をつけます。学校に戻ります」
「いや、きょうはゆっくり休め。あしたからまた、しっかり行こう」
「はい」
先生の言うとおり、きょうはゆっくりして、明日、みんなに迷惑をかけたことをお詫びしよう。
「また、あした元気な顔をみせるんだぞ」
「山下、また練習できて良かった。次こそは綾乃を投げるんだぞ」
「任せておいてください。でも、彼女といつかは互角に練習したいです」
「その意気。俺も安心したよ」
「ご迷惑をおかけしました。あした、しっかりお詫びします」
学校に戻る、先生と村井さんを、家の前まで見送った。手を振る二人に頭を下げ、僕も手をあげた。姿が見えなくなるまで見送った。
「慎一郎、良かったな」
「うん」
「これで、また、新聞部で活躍できるね」
忠も美佐子も、深刻な事態が避けられたことを喜んでいた。
「あ、そういえば、英語の宿題をしておかないと」
忠が思い出すように言った。中村先生の授業が意外と厳しい、分かりやすい要点プリントを配布するのだが、これをノートに整理しながら写さないと、放課後に《補習》を命じられる。
「そだね、確か、明日の授業で、このプリント使うんだったね」
「夕方まで、《自習》しましょう。同じクラスの友人にノートの写真を送ってもらうように頼んでいたから、きょうの授業が終われば送って来るはずだわ」
「さすがは、美佐子。その前に、英語を片づけよう」
自室で、夕方まで三人で、きょうの授業分の勉強を始めることにした。じきに美佐子のスマートフォンに一日分の授業ノートの写真が送られてきた。それを見ながら、僕はノートパソコンで入力しすぐに印刷した。東高では提出用ノートをパソコンのワープロソフトで作ってもよいことになっている。それを聞いてからは、授業ノートをまとめながら入力している。
印刷まで終わった頃、玄関の呼び鈴が鳴った。時計を見ると午後四時になろうとしていた。僕は階段を降り、玄関に向かった。
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扉をあけると、沢村さんに、竹本さん、若葉さんをはじめとした二年生たちがいた。三原さんと大橋さんは僕に視線を合わせられなかった。
「山下君が、早退したから心配したのよ」
まず、沢村さんが声をかける。僕の表情を見て、安堵の表情をしていた。
「みなさん、ここでは何ですから、中に入りましょう」
二階の僕の部屋に上がるように促した。物はそれほど置いてなく、広く使っていたけど、僕を入れて十人だと狭く感じる。
「わざわざ僕のために、来てくれてありがとうございます。この騒動の原因はすべて僕にあるんです。若葉さん、本当に悪かったです。ごめんなさい」
二年生の前で僕は、深く頭を下げた。次は部長と副部長に向かって謝罪した。
「私や翔太さんの力不足もあったの、謝るわ」
「僕からもだよ、あんな《紙》を作らせてしまったのは、沢村さんと同じ、何かが足らなかったと思うんだ。本当にすまなかった」
二人も立ち上がって頭を下げた。僕のわがままを聞いてもらった、尊敬する先輩方を、僕が言葉で若葉さんを傷つけことに気づけなかったことで、部の信頼まで揺るがしてしまったのだ。
「沢村さんや、竹本さんは、もっと僕が気をつけていれば良かったんです。責任を取って・・・」
「山下君、辞めるなんて考えないで。僕も、あのときはっきり、《何で太っていることをいったの》と言っておけば、何もおきなかったんだ」
若葉さんも頭を下げる。
「《チビ》と言って怒りをだすのに、若葉さんが気にする体格を言ってしまった僕は、本当に恥ずかしいです」
「言葉と言うのは本当に怖いよね。僕もそれに山下君も、気をつけて行こう」
若葉さんの優しい言葉に僕は目頭を押さえた。さしのべる手に、僕も応じて仲直りの握手を交わした。人を傷つけるのも、そして、今の優しさも、《言葉》の《諸刃の剣》。嵐の件も、《風強くて歩きにくかったね》と言っていれば、若葉さんは《そうだね、僕も同じだよ》という流れになり、三原さん、大橋さんが、あんな《紙》作ろうとなどいう考えにも至らなかったはずだ。
「僕も気をつけます。増田先生が、三原さんや大橋さんを辞めさせると言うので、そうなら僕も責任を取って辞めますと言いました。原因はすべて僕にありますから、三原さん、大橋さん、本当にごめんなさい」
うなだれ気味だった三原さんは顔を挙げ、大橋さんも、僕に視線を合わせた。最悪、退部。もしくは職員会議に諮られ、停学を覚悟していたようだ。
「僕こそ、何であんな《紙》を作ってしまったか、今となっては山下君に見せる顔がないんだ。ごめんじゃ済まされないけど、また、新聞部で、元のように楽しくしよう。山下君たちが来てから、部にいて良かったんだと感じていたんだ」
「私からも、《自分の心に聞いてみて》と言ってしまって、それに、啓介とあんな《紙》を作ってしまったこと、ごめんなさい」
三原さんの言うとおり、僕も《部にいてよかった》と感じている。あの《紙》は、立ち直れない程の痛手を被った。お互い悪いところを認めたんだ。
「僕こそ、至らぬところばかりだったんで、遠慮なく指摘してください」
二人は少し間を置いて、いつもの明るい表情に戻った。
「一年生の活発さに、私たちもうらやましいと思う反面、《妬(ねた)み》があったかも知れないわ。山下君の謙虚さ、私たちも見習わないといけないわね。遠慮なく何かあったら言いましょう」
大橋さんが言った。率直な考えだった。仲良く、意思疎通もとれていると見えても、心の中では、《壁》があったかも知れない。
「はい、僕も、先輩たちを出し抜いていないかと、悩んでいました。改めてみなさん、よろしくお願いします」
浦上さんに松山さんも、
「私も、あの山下君を避けようと同調してしまって、止めなけれいけなったんだ」
謝る二人に僕は、
「原因は僕です。だから、次、もし、言葉で失敗しそうだったら、はっきりと言ってください。お願いします」
「分かった、山下君は、二度と同じ失敗はしないと思うよ。明日から楽しい部を作って行こう」
「よかった。これでまた、元通りになったね」
若葉さんが笑顔で言った。僕と若葉さんから始まるいさかいが消えた。違うのは、以前より二年生の距離が近づき、心の中の《壁》が取り払われた。平たく言えば、結びつきが強まった。
「明日から、また、いて良かった部にしていきましょう」
沢村さんのこの言葉に、みんなは《はい》と応えた。僕の《言葉の綾》から生まれたいさかいは、誰を辞めさせる、または辞める事態には至らず、すっきりと解決し終わった。
「みんな、スマートフォンを出して」
竹本さんがあのメールが届いた二年生たちに向かって、電話機を出すように促した。
「それでは、あのメールとファイルを完全に消しましょう」
そういうと、メールとファイルは削除された。
「山下君、新聞部のノートパソコンのファイルと、メールの履歴、佐野さんのスマートフォンも、三年生と、ここにいる仲間の立会いで削除したから、安心して」
竹本さんの指示ですべてあの《紙》、その元となったファイルはすべて《忘却の彼方》へ送られた。
「ありがとうございます。明日から、また、出てきます」
「明日は、お好み焼きミーティングでもしようか」
竹本さんが提案する。
「翔太さん、それはいいわね。でも、お小遣い大丈夫なの」
「気にしないで。時々、家業の手伝いをするんだ。そのバイト代をもらっているから。それに、副部長を任せられてから、きょうという日ほど、新聞部に入って良かったと感じたんだ。だから、ちゃんぽん麺と、肉入りのお好み焼き食べよう」
眼鏡を取り、目頭を押さえている。竹本さんは何をしているんだろうか。
「竹本さん、バイトしているんですか」
僕は、尋ねる。東高は《学業専念》を理由に重視していて、アルバイトは通信制のみに認められている。
「家業の荷物運びの手伝いや、書類の整理などを、月に何回かしているんだ。ただでお小遣いをもらっては、両親に悪いと思ってね」
「そうなんですか。お好み焼き代、いつも出していただいて、ありがとうございます。今回は僕にも原因がありますから・・・」
「遠慮しない。お返しは、部の活動でお願いするよ」
「はい、ありがとうございます」
僕は竹本さんの、《部の活動で》をかみしめた。
「俺も、早く、写真で一人立ちします。それに、野球部での取材も」
忠がみんなに向かって宣言する。そういえば、野球部の写真取材に行く、三原さんや、大橋さんも、忠がどうして新聞部へ来たかの理由を後から知っている。野球部以外のみ誘っていた。
「ようやく、気持ちの整理がついたんだね」
三原さんが話しに入って来る。入部してすぐに、忠に野球部へ撮影に行こうと誘うと、《いま、その気分ではないんだ》と、野球部での出来事を話していたからだ。二人は忠の気持ちを理解して、主にバスケット部の撮影に行っていた。
「はい、慎一郎との出来事が解決して、俺も、部のために役立とうと決めました。三原さん、大橋さん。明日からグラウンドへ行きましょう」
「もちろんだわ。《師匠》にも認めてもらうように、がんばりましょう」
いつものあの明るい表情が大橋さんにも戻った。
「私も、インタビューや記事を書けるように、松山さんや、浦上さんから一生懸命習います」
美佐子も、新聞部での活躍を誓った。これで、僕が原因とした、《言葉の綾》から始まった、二年生との摩擦はすっかりなくなった。
## 第六章 編集会議
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翌朝、いつのもような朝、きのう早退した分のノート整理の確認、体操や腕立て伏せ、腹筋などで体を鍛える。そして髪を整えて、食事。忠の呼ぶ声がして登校する。もし、きのうのいさかいが広がっていたら、この日課どころではなかったと思う。
「そうだ、野球部の丸山さん、伊良林さんから、《いつでも取材においで》と誘われているから、企画を考えないと。忠も写真取材にいくよね」
野球部を辞めてから、一度も野球部の練習に行くこともなかった。同じ中学出身の一年生部員からも《どうして辞めたの》をよく聞かれ、丸山さんたちから責められたこと、そして、僕がやられた場面が思い出され、うつむきながら《・・趣味のカメラをどうしてもやりたくてね》を力なく言っていた。
僕が、取材にいこうと誘うと、表情が冴えなくなった。きのう、三原さんや大橋さんの前で、《気持ちの整理がついた》のはずでも、まだ、時間が必要だと感じた。
「整理がついても、丸山さんたちの前に行くのは怖いと思うよ。もう少し、時間を置こうか」
「・・・慎一郎が、あんなことがあっても、仲直りして、親しい友人のように話しているところを見たんだ。俺も、あんなにはできないと思う。しかし、いつまでも逃げていては、部長や副部長にも悪いからな・・・」
「そだね。無理は駄目だよ」
「分かっている。野球部が気になるんだ。俺は、カメラで参加し、応援しようと思うんだ」
冴えない表情から、明るくなり拳を握る仕草を見せる。大丈夫だ、取材の前に丸山さんたちに、忠が写真取材に来ることを伝えておこう。
「慎一郎君、おはよう」
美佐子の声だ。彼女は家の前で待っていた。
「おはよ、昨日は心配かけたね。ごめん」
「いいわよ。昨晩、佐野さんから、あの《紙》のメールなどは消したから、慎一郎君は出てきてくれるのかなのメッセージが来たわ。もちろんよと返事してあげた」
「佐野さんにも、心配をかけちゃったね」
「それより、竹本さんたちが言っていた、《部にいて良かった》にしていきましょう。佐野さんたちのためにも」
言うとおりだ。竹本さんが感極まって、目頭を押さえて言った、あの言葉通りの部に、僕も微力ながら貢献していこう。
「うん」
二人を向いて笑顔でうなづいた。
和田君や、孝浩が校門で待っていた。
「山下君、きのうは早退したって。具合いでも悪かったのか」
孝浩が聞く。僕が早退したことは誰が言ったのだろうか。帰るところを見ていたかもしれない。
「うん、僕の失言で二年生を傷つけて、それに気づいて、恥ずかしさのあまり帰ったんだ」
「山下らしくないな」
和田君も早退のことは知っていたようだ。
「うん、反省しているんだ。あとから部長、副部長に、二年生が来て、説明してもらったんだ」
「それで、どうだった」
「僕は謝って、許してもらったんだ。だから、いままで通り。孝浩君、《体験取材》近々来るよ」
「ありがとう。キャプテンたちに伝えておくよ。それに、俺のシュートもばっちり見てくれよな」
「もちろん、忠がかっこいいところ撮影するから、決めてね。和田君、心配けて、ごめん。もう二度と同じ間違いはしないよ」
「そうこないと」
和田君も曇った表情から明るい表情へと変わった。部室には二年生がいるはずだから、あいさつをしにいこう。
僕たちは部室に入った。二年生が大きな作業机に教科書、ノートを広げ雑談をしている。少し早めに登校し、部室で十五分ほど、予習または宿題の質問などを毎日《自学》している。こうすると学習の習慣がつくと若葉さんが話したのを思いだしていた。
「おはようございます。きのうは、みなさんにご迷惑をおかけしました」
あいさつの後、頭を下げた。僕たちの存在に気づき、みんなこちらを向く。若葉さんが手を挙げて、
「おはよう、きょうから、《いて良かった部》をつくっていこう」
その言葉に僕は《はい》と言ってうなづいた。
「きょう、学校に出て来るのか、そわそわしていたたんだ」
三原さんが真顔で言った。たとえ解決したとしても、きょう、僕の顔を見るまではという不安が払拭されなかった。
「この通り、僕は大丈夫です。僕も忠と、撮影に行くんで、仲間に入ってもいいでしょうか」
「もちろんだよ。一緒に行こう」
これで、三原さんの不安は完全に《払拭》された。
「私も、啓介以上にそわそわしていたわ。よかった・・・写真一緒に撮影にいましょう。あ、野球部の《体験取材》、いつ頃するの」
大橋さんは僕に尋ねる。二人は野球部の撮影をしていた。
「主将の丸山さんや、伊良林さんに誘われています。企画書を作ってきますから、できたら打ち合わせましょう」
「楽しみにしているよ」
僕たちの会話を、入口から沢村さん、竹本さん、それに増田先生も見ていたようだった。
「先生、もう、大丈夫ですね」
様子を見ていた沢村さんが先生の方を見て言った。先生は《雨降って、地固まるかな》と言い、竹本さんも《言うとおりだ》と歓声をあげた。そこで、二年生や僕たちはいることに気づいた。
「みなさん、おはようございます。昨日はご心配とご迷惑をおかけしました」
真っ先に僕は反応し、深く頭を下げた。先生は頭をあげるように言った後、
「みんなは、言葉に関して、よい経験をした。何かあったら、隠さず、はっきりと言うんだぞ。意思疎通がしっかりすると、部の活動が良いものになる」
僕を含め、ここにいる仲間は《はい》と答えた。
「あ、よかった、山下君が学校にきて」
佐野さんと、桜田さんが部室にはいるなり言った。彼女たちも僕の姿を見るまでは、いさかいがすっきりと解決したと実感できなかったようだ。
「きのうは、心配かけてごめん。僕は大丈夫だよ」
「よかったわ、山下君が出てこなかったら、どうしようかと思っていたところだったの」
「山下君は、ちゃんと出てきたわ。これで、部もまとまったわ。壁新聞、いいものを作って行きましょう」
沢村さんは二人を励ました。佐野さん、桜田さん、満面の笑顔だった。僕はみんなのために役立とう。そして、みんなのおかげで僕はいる。はっきりとこの瞬間、《実感》できた。
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昼休み。僕はグラウンドに向かった。そこにある体育館を一回り小さくしたトレーニング室は、野球部をはじめとした、屋外運動部が筋力をつけるため、雨天時でも練習ができるように投球、打撃の練習ができる区画もある。投球場に、丸山さんと伊良林さんが組んで打撃の練習をしていた。
「丸山さん、伊良林さん。こんにちは。練習中におじゃまします」
丸山さんはすぐに気づいて、手をあげる。
「いよいよ、取材に来るんだね」
「はい、楽しみにしていました。竹本さんにも話したところ、打ち合せはいつがよいかって、聞くようにいわれました」
「翔太の、お好み焼きミーティング、誘われてなかったっけ」
伊良林さんが思い出すように言う。システム手帳を取り出し、僕は日程を確認する。今週の金曜日に開かれるのを確認した。
「はい、金曜日の放課後、十六時半からになっています」
「ありがとう。そこでどんな取材をするか、打ち合せをしよう」
「はい、楽しい取材にしましょう。ところでこの取材には写真班として、川野君も参加します」
丸山さんは、にっこりとした表情で、
「俺も、川野がどうしているのかなと気にしていたんだ。うらみっこなしだから、ぜひ、グラウンドに顔を見せて欲しいと伝えてくれ」
「ありがとうございます。川野君も、喜ぶと思います」
忠も喜ぶはずだ。先輩方の顔色を気にしたままでは、また、グラウンドから足が遠のてしまう。丸山さんたちは、忠が取材に来てくれることによって、事件の本当の《終結》になる、僕はそう確信した。
昼休みがあともう少しで終わる頃に、忠とあった。彼は廊下で野球部の友人たちと話し、ちょうどそれが終わったところだった。
「忠君、丸山さんたちにあってきたよ。《うらみっこなし》だって。それにいつでも撮影においでって」
《うらみっこなし》を聞いて忠は飛び上がって喜んだ。
「よし、写真いっぱい撮りまくるぞ」
「その意気」
「ところで、どんな《体験取材》するんだ」
「そだね・・・それ、いま考えているんだ。一日練習に入ってもいいけど、どんな練習をするのか、あらかじめ調べてから企画書を作ろうと思うんだ」
「野球部の普段の練習は、まずは、全員でグラウンドを走り込んで、最初の三十分は脚力をつける練習かな、その後は、一年生の大半は球拾いが中心」
「球拾いしながら、部員たちにインタビューもできるね」
「いい考えだなと、言いたいところだが、練習のじゃまにもなるから。それに球が飛んでくるから、それにも集中しないと危ない」
話を聞いている最中に球が飛んで来て当たったら危ない。インタビューのために、グラウンドの外に呼ぶのも、練習の妨げになる。システム手帳を見ながら、先日、三原さん、大橋さんが撮影していた写真を思いだしている内に、甲子園予選の前に放送局主催の野球大会がある、ニュース番組で大会展望を見ていたことも記憶から蘇っていた。
「忠君、取材の企画、思いついたよ。金曜日まで考えをまとめるから、竹本さんに、忠君もお好み焼きミーティングに参加すると伝えておいて」
「わかった、何か思いついたんだな」
僕はうなづいた。丸山さんや伊良林さんが快く引き受けてもらえば、この企画の目的、野球部の取材と、忠が気兼ねなくカメラで野球部に参加し、応援するが同時に達成できる。そこまで話終えると、授業開始五分前を知らせるベルがなっていた。
授業中、机の上にはシステム手帳を起き、授業を聞きながら、時折湧き出る取材の構想を書き留めていた。《授業には集中しないと》とに心に強く念じても、案が止まらない、ノートを取る振りをして書き入れた。もちろん、先生の話を聞き、ノートもしっかり取っていたから、頭の中は取材中のことでいっぱいなどばれなかった。午後の授業で数頁のメモを書いていた。
放課後、部室に集合し、お好み焼き店にいくことになっている。みんな部室に集まっていた。竹本さんが僕が来たことを確認してから、
「みんな集まったみたいだね。これから、お楽しみの《お好み焼き》の前に、部の役割分担を決めたいと思います」
ホワイトボードに、役割分担を書いたA3サイズの紙を貼った。
「私たち三年生も、六月の体育大会が終われば、受験勉強の補習も始まるから、新聞部への来る時間も減るわ。そこで、新しい体制を作ることにしたの」
沢村さんが趣旨を説明する。新聞部は卒業式後の《引退式》をするまでは、部員として取材や新聞作りをする。ただ、運動部の総合体育大会終了後に、受験または就職試験準備に専念するために《引退》すると併せて、新たな役割を決めることになっている。
「体育大会が終わってからでも良かったんだけど、一年生も二、三年生の仲間とこんなに親しくなっているから、早めに決めておこうと考えたんだ」
竹本さんは、さらに説明した。紙を見ながら《このようにしたけどいいかな》で話を終えた。
貼られていた紙には、役割分担表として、一、二年生の名前が書かれている。順に追って行くとこのように書かれている。
《
新聞部 役割分担
(記事・新聞作成)二年 若葉、浦上、松山。一年 山下、若野。
(写真)二年 三原、大橋。 一年 川野、浜中。
(資料整理、新聞配布)一年 林、田中、松山。
(壁新聞)一年 佐野、桜田。
(役割統括)二年 若葉。
(発行責任者)一年 山下。
》
僕は、記事と新聞作成、それに《発行責任者》になっている。まだ、入ってそんなに経っていないのに。僕は手を挙げて質問した。他の仲間からは異論はでなかった。ほぼ、毎日している分担と同じだったから。
「発行責任者は僕なんですね。でも、入って一か月しか経っていませんから、僕には荷が重すぎます」
「発行責任者は新聞の出来映えを率直に言えばいいよ。それに、山下君は誰とでも仲良くなれるから、ふさわしいと思ったんだ」
竹本さんが答えた。《賛成》の声が、若葉さんをはじめとした二年生から一斉にあがった。
「はい、どこまでできるか分かりませんが、よろしくお願いします」
頭を下げると同時に拍手が鳴り響いた。竹本さんは、僕がこのとき、気づいていなかった《誰とでも仲良くなれる》という特徴にを見抜き、これから予定している野球部の取材が終わり、新体制での最初の新聞発行が完成した日、沢村さんと僕にある提案をしてくる。
「私たち三年生は、一、二年生を支えて行くから、気兼ねなく聞いてきて。あと、この体制以外にもできるようにしておくと、休みなどで欠けても発行が滞らないから、しっかり慣れてね」
沢村さんの指示はこの一つだけだった。
「さあ、分担も決まったから、ちゃんぽん麺、肉入りのお好み焼きをさっそく食べに行こう」
竹本さんは席を立ち、みんなをお好み焼き店に行こうと促した。彼は本当にお好み焼きには目がない。
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新体制決定記念の《お祝い》と称して、本当は僕と若葉さんをはじめとした二年生との仲直りでもあった。そんな意味合いはどうでも良かった。積極的に二年生は一年生に話しかけて来た。いつもは遠慮がちな田中君が、大橋さん、浦上さんたち、バンド《A》の熱烈なファンだと知ると、三人は熱く語っていた。彼の真の姿はこれではないのかなと思った。
「竹本さん、野球部の丸山さんと伊良林さんと、金曜日、ミーティングするでしょう。僕と、川野君も参加してもよろしいでしょうか」
隣に座っている彼に、金曜日のミーティングへの参加を仰いだ。
「もちろんだよ、取材になるからね」
「はい、そこで、僕が誘われている野球部への《体験取材》の企画を紹介しようと思います」
「ああ、悟がいっていたな。どんな取材をするかわくわくしているって」
「僕も同じです。有意義な取材で、新聞部からも、予選突破できるように応援しましょう」
「うん、去年は準決勝で北高に、まさかの《サヨナラ負け》を喫したんだ。落ち込む先輩方にどのようにインタビューをしたらいいか戸惑ったんだ。山下君の言うとおり、今年は、野球部をはじめとした、すべての部を応援しよう」
あの逆転負け、受験勉強をしながら、僕、忠に美佐子、孝浩君もテレビで見ていた。二点差で九回の裏、アウトを一つ取ったところだった。このまま行くと東高は、すで決勝進出を決めた、永年のライバル西高との対戦だった。
打者がヒットをうち塁に出、次は四死球、三振を取って、よし、これで決まりと思っていた。そして、最後の打者になろうという相手に、一球目を投げた当時に僕たちは《あっ》と声をあげた、快音が響き、バックスタンドへ球がきれいな放物線を描いていた。一瞬の静寂、観客のどよめき、同時にアナウンサーの《サヨナラ》の絶叫。勝利の女神は北高へほほえんだ。忠は、《野球部に入って、この悔しさを晴らすんだ》ともいっていた。
「はい、野球部だけではなく、他の部がもっと輝くように、応援しましょう。川野君が、カメラで応援すると言う言葉に、勇気づけられました」
「あしたの部活で、みんなにも、話していこう」
「はい」
ちゃんぽん麺、肉入りのお好み焼きは本当においしい。ふと壁に貼っている、色あせた写真が貼られた数多くの色紙を見た。東高の歴史がそこにあると言ってよかった。二十五年前の日付の一枚に目が止まった。山下徹・・僕の父の名前、深堀(ふかほり)静子・・これは、母さん旧姓の名前が書かれている。両親の高校生時代の写真、初めて見た。僕や美佐子たちがそこにいるような感じがした。《野球部甲子園予選準優勝》のお好み焼き会と大きく書かれた文字に、写真と寄せ書きだった。眼鏡をかけた竹本勝治(たけもとかつじ)の名もあり、よく写真を見ると竹本さんに似ている。
「これ、竹本さんのお父さんですか」
「うん、僕の父も、東高卒業で新聞部だったんだ。それを知ったのは、入学して新聞部に誘われて入ったといった日なんだ。それに山下さんの息子さんが新聞部だなんて、なんだかこれも《縁》だと感じたんだ」
「はい、僕もそう感じました。この写真を見ている内に、もっと新聞部を楽しくしたいと強く思いました」
「まずは、野球部の取材を成功させていこう」
力強く僕はうなづいた。もう一度写真を見返す。写真の中の父さんに母さん、とても輝いている。このようになれたらな・・・いや、もうなっているかも知れないな、きょうの雰囲気ではっきり感じていた。
帰宅して、いつものように夕食などを済ませ自室に戻る。復習と宿題を済ませた。鞄からシステム手帳と構想ノートを取り出した。午後の授業で書き留めていた手帳の頁を外し、ノートに貼つける。そこから、次回の取材の方法を書き込んでいった。
・・・伊良林投手は、この地区で五本指に入る速球の持ち主だったな。百五十キロになると取材メモにあった。どんな球なんだろう。見るだけでもいいけど、体験取材だから。バッターボックスに立ってみて、その速さを目の当たりにしてみよう。ならば、このようにしたらいいかな・・・。
したいことは、だいたい午後の授業のメモ書きで定まっていたから、構想ノートへの、取材方法の企画は、すばやく書き終えた。赤ペンに持ち替え、書き込んだ内容を読みながら点検する。そして、ノートパソコンの開き、企画書を打ち込み印刷した。明日はこれを部の打ち合せで話していこう。時計を見ると午後十一時を過ぎている。きょうも、みんなのおかげで充実した一日が過ごせた。あしたはどんなことが待っているかな。思っているうちに眠りについていた。
朝になった。いつものように五時頃に目が覚め、七時四十五分までのいつもの日課、忠が玄関に僕を呼びにきて登校、平穏な一日が過ぎていった。授業も終わり、美佐子を忠と一緒に部室へと向かった。
「沢村さん、企画書できました」
既に部室には三年生がいた。二年生の十五分自習に触発され、放課後、同じ大学受験参考書兼問題集を開き、部員が集まるまで読み合わせをなどを行ない自習を始めていた。聞けば、五人全員、東高隣にある海老楽大学の志望だった。増田先生もそこの卒業生だったと以前聞いた覚えがある。
沢村さんは一通り企画書を読み、そして竹本さんに渡した。
「伊良林さんの速球を直に体験する考えいいわ。山下君が直接打席にたった感想を書くと、臨場感あふれる記事が書ける。でも、野球の経験はあるの」
沢村さんが聞く、竹本さんも、
「義徳の速球、取材で近くから見たよ。あれは怖かったな。バッターボックス立つなんて、まったく思わなかった。沢村さんのいうとおり、大丈夫かな」
「はい、直接、打者の目線で体験すると、読者に訴えかける力も違うと思います。野球は忠君とよく遊んでいましたから」
「友人の真田君と三人で、空き地や野球をして遊んでいました。慎一郎は三振の山を築いていました」
忠がしみじみと語った。《三振の山》はちょっと大げさだけど、忠の投げる球も速い、それでも、まぐれで打ち返すこともあった。
「伊良林さんに、試合と想定して投げてもらおうと思っています。三球投げて、僕と勝負する形にします」
「なるほど、《三球勝負》か。おもしろいよ。それなら、僕が大浦先生と悟たちと日程の調整をするよ」
竹本さんはOKサインをだした。
「私も取材にいくわ、もちろん、岡さんも」
沢村さんも、岡さんもにっこり笑って、この企画を了承した。
「あとは、編集会議で、説明してね。きょうは、夏休みまでの新聞の発行計画や企画について会議をするから」
「はい、ありがとうございます」
沢村さんに頭を下げた。まだ、入りたての駆出し新聞部員だけど、この企画を成功させて、僕はもっと勇気をつけ、お好み焼き店に貼られていた父や母のように輝いた学生生活を送りたいと誓った。
一、二年生の仲間たちがすべて揃った。編集会議が始まった。きょうは顧問の増田先生も加わっている。
まず、沢村さんが編集会議の題目から説明する。
「きょうの編集会議は、もっと新聞を読んでもらうにはと、発行回数の変更。それに、山下君の《体験取材》の企画についてです」
竹本さんが、きょうの議事が印刷された紙を配った。そこにはこのように書かれていた。
《
編集会議 議事内容
一、新聞を読んでもらうには。
読まれずに机の中に放置されていることが増えた。読んでもらうため紙面構成はどのようにするか。
二、発行回数の変更。
月二回を十日に一回に。
三、そのほか。
》
議事の紙の他に、僕の企画書もつけられていた。紙を読んだ大橋さんが僕に、
「いよいよね。迫力ある写真撮れるわ」
と、声をかける。
「あの先輩の速球、僕には怖くて、バッターボックスにも立てないよ」
三原君は驚きの顔を見せていた。でも、カメラを構えるポーズを見せていた。撮影は任せての意思表示だった。
「よろしくお願いします」
僕は、任せておいての仕草を見せた。
=> 4
議事は、二番《発行回数》の変更から始まった。竹本さんが理由を提案した。
「一年生がいままで以上に入部したおかけで、充実した取材と紙面ができると思ったんだ。創部から定期発行は月二回だったけど、回数を増やそうと思う。負担が重くならないように、三年生も全力で活動するよ」
「先輩方は補習授業が始まるから、大丈夫ですか」
二年生の松山浩輔さんが手を挙げて質問をする。六月の体育大会が済めば、基本、毎日、補習授業が始まる。
「それなら心配しなくていいわ。今年から放課後の補習授業は二時間から一時間になったの。あとは、図書館を午後七時まで開放して自学になったわ」
「そうなんですか」
部長の説明に、同じく二年生の浦上薫さんが言った。去年の三年生は部活が終了する午後六時頃に顔を見せに来るだけだった。
「今年から試しで行なうそうよ。二年生のみんなの朝の自習が、他の部にも広がったからと思うわ」
沢村さんがつけ加えて言った。
「隣の天文部や、文芸部、漫画研究会も真似をして自習。それが今のところ、ほとんどの部がしているわね」
岡さんも早朝練習の写真を撮りにいこうとしたさい、その《変化》に気がついたことを言った。
「積極的に自習をしているから、自主性にまかせ、学校が指定の参考書等を一括購入して、最低、三回読み、問題を解くことを目標と決めたんだ」
増田先生がつけ加えた。午後六時近くまで補習をするより、自発的に学習する習慣がつくと、活発な質疑応答もでき、授業もしやすいとも言った。
「そういうことで、僕たち、三年生も六月を過ぎても、これまでどおり新聞製作に携われるから、回数が増やせるんだ」
竹本さんが壁掛けのカレンダーを持ってきた。数字に赤い円で囲み、下に《発行日》と記入している。
「もし、これが決まったら、発行日はこの通りになるんだ。基本は一日、十日、二十日。その日が休日や祝日ならば、月曜日か、翌日にずらすんだ。そして、青で囲んだところは、この日に印刷をして配布するんだよ」
月めくりカレンダーをホワイドボードに取り付けている磁石付きフックにとりつけ竹本さんは説明した。
「緑色で囲んだのは編集会議なんですね」
若葉さんが言った。竹本さんは《その通り》とうなづいた。
「山下君のように体験取材や、定期的に撮影している岡さん、三原君に、大橋さんのように、部室にいない日もいるから、みんなで集まる日をつくったわ。ここで、発行される新聞の内容や、企画を提案するといいわね」
沢村さんもカレンダーの緑色で囲んだ部分を指し示す。発行日の翌日がその割当となっている。それに、日曜日に一か所円がついている。
「この日曜日の円は」
浜中君が手を挙げて質問した。円は再来週の日曜日につけられている。。
「編集会議というより、例えば、それぞれお弁当を持って、近くの海老楽公園にピクニック、街の中心部にあるボウリング場に行ったり、普段の勉強や部活を忘れて楽しみましょう」
沢村さんが答えた。
「いいですね。夏は、俺の家の近くの砂浜で、海水浴なんでどうでしょうか」
きれいな遠浅の砂浜がある近くに浜中君の家はあった。釣りができる防波堤もあり僕と忠に、一度はおいでと誘われている。
「名案だね。あそこはよくも釣れるからね」
お好み焼きの話になると、童心に帰ったような竹本さんの表情があった。
「竹本さんは釣りをするんですか」
父と休みがあれば釣りをするから、僕も彼から聞いたことがある。
「下手の横好きかな。父や、中学時代の友人とたまにいくんだ」
「同じですね。では、最初の日曜日の集まりは釣りにしましょうか」
提案する僕に、竹本さんは、
「よし、次回は、深江町の防波堤で釣りを兼ねたピクニックにしよう。釣りが出来なくても大丈夫。砂浜もあるし、風景もいいから、写真撮影も最高だよ」
を言って、部員みんなに諮った。《賛成》の意見が出た。まずは日曜日の日程が決まり、次に月三回の発行も異議がなく決まった。
「発行回数を決まったわね。では、一番の議題《新聞をどうしたら読んでもらうか》にしましょう」
沢村さんは次の議題に進めた。彼女や、竹本さんの一番の悩みだからだ。
「みんながんばって取材。そして、浜中君が入って紙面が洗練されたけど、読まずに机の中に入れっぱなしはいいとして、すぐに丸めてごみ箱へは、僕もつらいんだ。ごみ箱を見て、僕の力不足を感じるんだ」
すぐに丸めて捨てられていた、先日発行された新聞を竹本さんが見せた。
「私のクラスなんか、すぐに紙飛行機にして窓の外に飛ばした男子生徒がいたわ。落ちた先が、授業で武道場へいく松村先生の頭に当たったから、《誰だ。紙飛行機を飛ばしたのは》と言っていたわね」
岡さんが悲しそうな表情で語った。注意する前に、先生の声がしたという。
「あの先生の声は、それだったのね。それで、その生徒どうなったの」
稲佐さんが先生の声を聞き、校舎の視線を向ける姿を見ていた。
「松村先生の声が聞こえて、びっくりして席で小さくなっていた。私が《次の休み時間に、松村先生に謝っておいたほうがいいよ》と忠告してあげたわ」
「僕が職員室に増田先生のところに行ったとき、しきりに松村先生に頭を下げていていたんだだね」
竹本さんは、増田先生のところへ、新聞の発行計画の紙を持って職員室に来ていた。《あいつ、先生になにかしでかしたな》と思いながら見ていたという。
「前回の新聞、読まずに紙飛行機にするほど、文化部特集はつまらなかったのかな」
松山さんが腕を組み、天井を見ながらため息をついた。同じプレハブに同居している、天文部の特集だった。
「え、あれが。松山さん、山下君と一緒に取材しに行って、よい出来だと思っていたのに、がっかりだな」
若葉さんが口を開く。すこし落ち込んでいた。それは僕も同じだった。彼と僕は天文の話題が大好きで、初めての文化部取材は天文部にしようとまで誘われ、取材は楽しく、話も弾んだ。記事も三人で話し合いながら書いた。
「記事がつまらなかったのではなくて、読者が意外と《活字に親しんでない》と考えると、何かいい案が浮かぶわね」
沢村さんが《紙飛行機》にされた新聞の件から、読まれる案の糸口を出した。活字を読むといえば、教科書か参考書。それ意外はスマートフォンの画面を凝視している生徒を良くみる。あれだと、本を読むなどの《活字に親しむ》時間さえなくなってしまう。
「いま、学校で流行の話題も記事に出すと、いいかと思います。例えば《バンドA》とか・・・」
田中君が小さな声で、遠慮がちに言う。彼が自ら意見を言うのは初めてだと思う。同じくファンの三原さんと大橋さんも《いいね、しようよ》と言った。
「俺、資料整理していて感じたんですけど。来年は東高創立六十年ですよね。写真、録音テープ、ビデオテープ等の貴重なものがあります。その中から、これはと思う写真をコラムとして載せたら、読んでもらえるかと思います」
林君も提案した。そのほかにも、佐野さんは、《隣の文芸部、漫画研究会から、テーマは向こうに任せて、短編または長編の物語の連載を頼んではどうでしょう》の案も出てきた。竹本さんはそれぞれ、ホワイドボードに書き留めている。
一通り意見や案が出尽くした。十以上の企画を書き出している。それを見て沢村さんが、
「楽しい紙面になるわね。この中からすぐにできるのは、生徒の流行調査、写真コラムはいけるわね。創立六十周年の準備も秋から始まるようだから、その前段で載せて行きましょう」
「流行の調査は、私たちがします」
美佐子とそれに佐野さんと松山さん、松山沙織さんが名乗りでた。
「僕も、入っていいでしょうか。音楽のことなら書けると思います」
田中君も同じく名乗り出た。
「任せるわ、初めての企画だから、別の日に打ち合わせましょう」
沢村さんの提案に、希望した五人は、《はい》と答えた。提案した中から、二つの新しい企画が決まった。
「連載の件は、文芸部と、漫画研究会の部長と、僕が打ち合わせるから、決まってから、またここで計画を練ろうか」
竹本さんは、これら部と調整を諮ることで、漫画または小説の連載の企画も了承された。沢村さんより、
「この他の企画も、新聞を読んでもらうにはいい提案だから、具体案を煮つめて、次の編集会議で話し合いましょう」
のまとめの一言で、一番の議事が終わった。
=> 5
三番目の議事なった。僕がホワイトボードの前に立ち、企画の説明を始めた。
「近々、放送局主催の野球大会があります。この結果で甲子園出場校がある程度予想できます。その取材なんですが、今年はエースの伊良林投手の仕上がりも最高と聞きました。もっと、臨場感あふれる記事にしたくて、ふだん僕がしている《体験取材》の手法を取り入れようと思います」
企画書は、このように書いている。
《
一 大浦監督、丸山主将の野球大会、甲子園予選への意気込みと、仕上がり。
二 ベンチ入り選手の紹介とインタビュー。
三 エース伊良林投手との、三球勝負。バッターボックスは山下。
》
稲佐さんが紙を見て、僕に質問をする。
「伊良林の球、私も見たけど、怖いほど速かった。山下君、野球の経験はあるの」
「はい、川野君と、キャッチボール、バットの振り方など、教えてもらいました。軟式ですけど、硬式は初めてですから、昼休み、大浦先生に事情を話して、投球練習場を借りました。先生は、他の人が入れないようにしてもらいました」
「昼休み、部室に来ないなと思ったら、そういうことだったのね」
美佐子が言った。昼休みは部室に来ることが多い僕の姿を見なかったから、午後の授業前に《どうしたの》と聞かれたくらいだ。
「俺は中学時代、投手をしていました。慎一郎から頼まれて、三球勝負の予行演習をしていました」
忠も僕の説明の補足をした。野球部を辞めても、体を鍛える、素振り、壁に向けてボールを投げる等、ずっと続けているトレーニングを続けていた。
「川野君も速い球を投げることができます。全力で投げてもらって感覚をつかみました」
「そこまで準備しているなら、山下君ならきっと取材できるわね。私も、しっかり取材するわね」
稲佐さんが《任せて》のポーズを見せて、僕を見た。その姿に勇気をもらっている。伊良林さんは百八十五センチ、僕は、百五十センチを超えたばかりの身長差があり、《無理では》と反対されるのではないかと思っていた。
「山下君ならできるわよ・・・たしか、数年前」
沢村さんが手帳を開いて、野球部の資料を見ている。僕もその先輩を知っている。
「沢村さん、住吉洋二さんでしたたよね」
「そうだったわね、私たちの二つ上の先輩で、山下君のような体格の投手だった。甲子園にも出場したわ」
「僕たち新聞部も総出で、出発のようすから、試合前、試合中の様子を
取材して、現地で特集号発行までしたね」
竹本さんも感慨深そうに当時のことを思いだした。住吉洋二さんは、彼が三年生、つまり二年前に、甲子園に導いたチームの一員だった。新聞記事等で知った体格は僕とほぼ同じで、その投球の鮮やかさで、初の八強入りを果たした。二年前、いじめを忠や美佐子たちに知れた直後、まだ自信が不足していた僕に、高校野球中継を見ていた僕は、同じ体格の選手が大きく躍動する姿に、とても勇気づけられた。テレビでしか見たことはないけど、彼のように活躍したいとも思ったこともある。
「竹本さん、僕らも迫力ある写真を撮って、記事にしたいです。ぜひ、この企画やりましょう」
三原さんが、立ち上がって言った。
「伊良林の仕上がりもぜひ見てみたわね。私もして欲しいわ。もしかしたら、彼、住吉さんのことを思い出すわね」
岡さんもやる気に満ちあふれている。彼女も住吉さんの活躍ぶりを実際にみてカメラに収めている。
「ありがとうございます。新聞部の名に恥じない取材をします。よろしくお願いします」
悪くて反対されると思っていたこの企画。思いのほか受けが良かった。
「次号は、三球勝負を含めた、野球部の特集をしましょう。カメラと記事担当以外のみんなも、総合体育大会の取材、甲子園出場した場合の取材発行態勢の確認として、野球部を取材しましょう」
沢村さんはそういうと、回りから拍手が出た。この企画は、新聞部の総力取材の態勢確認を含めて実施されることになった。
「私も、今からわくわくしている。取材日が決まったら、様子を見に来るよ。顧問だから、部員たちの頑張りようを見届けないとな」
増田先生が初めて口を開いた。それから講評を語った。
「発行回数を月三回にする提案、俺は不安だった。議事の進行を聞いているうちに払拭(ふっしょく)した。一年生も積極的に発言して、部の雰囲気に慣れたと感じた。野球部の取材で、近々行なわれる大会の取材の自信をつけて、《読まれる新聞》を作って行こう」
次に竹本さんが立ち上がり、
「監督と、悟や義徳に、日程を明日打ち合わせるから、なるべく早く取材を実現しよう。山下君をはじめ、みんなはこの日は、大会本番と意識で取材をしていこう。わくわくしているのは、先生もだけど、僕も同じだよ」
「竹本さん、僕も打ち合わせに、同席してもよろしいですか」
「もちろん、山下君の体験取材だから、ぜひ、説明して欲しい」
「ありがとうございます」
僕は頭を下げる。それと同時に若葉さんが手をあげた。
「それならば、明日、この部室で、全員参加して打ち合せをしましょう。それならば、初めて取材する一年生も感覚がつかめると思います」
「若葉君の言うとおりだ、明日、放課後、ここで打ち合せができるように調整するよ」
竹本さんがOKのサインを出した。
「先生、明日も打ち合わせの参加お願いします」
沢村さんが明日も出るように促す。先生は快く了承した。
「編集会議はここまでね。きょうは、これで帰ってもいいし、宿題や予習復習をしてもいいわ。お疲れさまでした」
編集会議はこれで終わった。午後五時を過ぎたばかり、六時まで予習や復習をしましょうと、鞄から教科書やノートを出すもの、若葉さんはノートパソコンを開いて、連載記事の続きを書き始めていた。増田先生は、明日の授業の準備をするとのことで、職員室へ戻って行った。
「山下君、川野君、若野さんこちらに来て」
沢村さんが資料庫に収めてある、ファイルと、カセットテープ、CDを取り出した、ラジカセの電源をいれてカセットをセットした。
「これ、山下君たちのお父さんが、甲子園予選で準優勝を記録した写真や、テープ。CDは創立五十五周年の記念行事で編集した録音構成になっているわ。実際には、これにスライドショーがついて上映していたの」
写真は、東校生抱った頃の、父や母がいた。野球部での話、お好み焼き店での写真入り色紙の場面を思いだし、どんな学生生活を送ったのだろうの思いが、日増しに強くなっていた。当時の新聞を開き、沢村さんは再生ボタンを押した。
《
「いい試合でした。あと一歩及びませんでしたね」
聞き手は竹本さんの父だった。カセットレーベルに《インタビュー竹本》の文字が記入されていたからだ。
「出場を逃して本当に申し訳ない。監督や仲間たちがよくやったと健闘を称えていただき、《みんなのおかげで自分はいる》をはっきり感じました。後輩たちがこの悔しさをバネにすると思います」
》
お父さんも、僕と同じ考えで仲間を信じて、感謝していたんだ。だからこそ、同窓会にはよく呼ばれ、当時の友人や野球部の仲間との親交が続いている。高校生の父のインタビュー録音を聞きながら、この取材は、《みんなのおかげ》があってできるんだ、期待に添えるよう、体験取材は期待に添えるものにしよう。僕はそう心の中で誓った。
=> 6
夜、ベッドに横になると、両親の十八歳のだったインタビューの録音を思いだしていた。当時の新聞、それに部室には、予選の決勝戦が録画された中継放送のビデオテープも残っていた。これは若葉さんたちが、パソコンを使って動画として変換していたから、部室の大画面テレビにつなぎ、みんなと視聴した。二十数年前の出来事が、いま現在のこととして感じられた。父をはじめとした野球部は輝いていた。惜しくも準優勝に終わっても、信頼で結びついている姿に、僕も、新聞の仲間たちを信頼し、信頼されるようにしよう。
翌朝、部室に入ると、二年生、沢村さんと竹本さん、それに丸山さんに伊良林さんが座っていた。忠は見るなり、僕の小さな体の後ろに隠れて震えていた。
「山下、おはよう」
丸山さんが僕に声をかける。伊良林さんも同じくあいさつをした。僕もすぐに《おはようございます》とにっこりと笑って返した。
「忠君、震えなくていいよ。恨みっこなしなんだから」
「あの場面を思いだしてしまったんだ。慎一郎、心配させてすまん」
忠も、丸山さんたちに、《おはようございます》のあいさつをした。
「川野君も取材に来ると聞いたんで、俺たち見て、あの場面を思い出さないかと、翔太と話していたんだ」
「朝、悟が部室に来て、僕に川野君が取材に来るのかと尋ねられたんだ。心配無用だと言っていたんだ」
穏やかな口調で言う竹本さんの《心配無用》で、忠の表情が明るくなった。
「はい、竹本先輩の言うとおりです。しっかり取材をしますから、よろしくお願いします」
「俺も、川野君の期待に添えるように、山下君との三球勝負、全力投球するから」
「はい、俺もよい写真を撮ります」
「ところで、山下君、詳細な打ち合せは昨日言った通り、放課後にするんだけど、取材日は、僕がお好み焼きミーティングをする金曜日でどうかと意見が出ていたところなんだ」
「そうなんですか」
「この日は、放送局主催の野球大会への意気込み、沢村さんと一緒に聞く予定だから、この日でもいいかと思ったんだ」
「近いほうがいいなと思っていたところでした。金曜日にやりましょう」
来週以降かなと思っていたところだった。それが、今週の金曜日になるとは驚きだった。
「山下に合う野球着をロッカーを探していたら、これが出てきたんだ」
きれいに洗濯された、ふだん練習で使う野球着を丸山さんが差しだした。
「よく、準備できたね。山下君のような体格の部員はいたかな・・・」
竹本さんはそこまで言うと、何かを思いだしたようだ。
「悟、よくこれがロッカーに残っていたね」
「普段は、予備の薬やテーピング、資料などを入れているロッカーも開けてみて見つけたんだ。俺も、まさかあの先輩が練習着を残していたはと驚いたんだ。甲子園に出場したユニフォームは、他の部の楯や賞状と一緒に、校長室の中に展示されているから」
「あの、住吉先輩の練習着なんですか」
驚く僕に、伊良林さんが、《住吉》と刺繍された部分を見せた。間違いなく彼が使っていたものだ。
「先輩が部員だった頃の練習着は、胸元あたりにマジックペンで大きく名前を書くのが普通なんだ。インクでにじむのがあまり好きではなく、このサイズは自分しかいないからと、名前の刺繍を入れていた」
丸山さんが当時のことを語ってくれた。住吉先輩が名前の刺繍を入れてから、甲子園まで出場でき、八強入りしたという《験(げん)をかつぐ》ために、すべての部員がそれに倣(なら)っているともつけ加えた。
「これを着て、三球勝負して欲しいんだ。体操服だと《様(さま)》にならないから」
伊良林さんのお願いに僕は、《ありがとうございます》を言って深く頭を下げた。憧れ、自信と勇気をもらった先輩の着ていたので、体験取材ができるとは。この取材で、先輩方の期待を裏切ってはならない。
「お膳立ても揃ったわね。あとは、放課後の内合わせで詳細を決めましょう」
時計を見ると朝礼まで十分を切ろうとしていた。沢村さんが気づいて、みんなを促した。ここにいた人々はそれぞれの教室へ向かった。
席に着くと、隣に座っている、川口徹(かわぐちとおる)君が声をかけた。彼は北中学出身で野球部だ。忠と親友とであることを知って話しかけ、今では友人として仲良くなっている。
「キャプテンから聞いたんだけど、山下、野球部へ体験取材に来るんだって」
「うん、放課後、具体的に打ち合わせるんだ」
「野球経験はあるの」
「うん、川野君から教えてもらったんだ。でも、硬式は初めてだから、少し緊張しているんだ」
「日程が決まったら教えてよ」
「うん、わかった」
授業が始まり、いつものような日課が過ぎて行った。英語の《要点プリント》はしっかりノート整理して書き写し、中村先生の質問には的確に答えられた。
このノートをはじめ、各教科のノートは、スマートフォンのアプリケーションで写真を撮り、自動整形して電子化して保存して整理分類している。この方法、若葉さんから教えてもらった。高校入学と同時に、スマートフォンに切り替え、若葉さんたち二年生と、学習法について話していたさいに、《ノートを写真で保存すると、いつでも見返せて便利だよ》と、アプリケーションを使った実例を見せてもらった。使ってみると、実に便利。取材ノートを撮影分類し、時間が開いたときに見返すこともできる。
新聞部に入ってしばらくたって気づいたことだけど、生徒のほとんどがスマートフォン持っている。何をしているかといえば、時間が開けば、チャットアプリそれにゲームをしたりしている。前者のアプリケーションで、誰もがメッセージのやりとりを頻繁に行なっている。新聞部の仲間も入れている。先日、若葉さんに大変失礼な発言をして傷つけてしまい、僕への非難に使ったのもこれだった。実際は、若葉さんが紹介したアプリケーションでノートを撮影し、分類または整理を行ない、チャットアプリは、連絡やノート交換に用いている。
昼休みは、一緒に体育館に行き、取材の目玉である、三球勝負の最終確認を行なっていた。
「伊良林先輩の球はこうだから、フォームはこのようにしたらいいぞ」
忠が、バットを振る格好を見せる。きょうは、位置の確認だから、制服のままだ。
「うん、ここを直したらいいんだね」
「これなら、先輩の速球も打てるかもな」
岡さんたちが撮影していた、伊良林先輩の投球フォームの写真、動画などを取材のために持っている小型のデジカメのSDカードに複写し、何度も再生し、頭の中でスイングしている場面を再現していた。
「慎一郎、様になってきた。部室に戻って、動画を見て確認しよう」
「そだね、戻ろう」
部室に戻り、大画面の液晶テレビに動画を映し、何度も投球の場面を確認した。相手に失礼がないように、準備は念入りに行なった。これは父にも、そして、沢村さんも言っていたことだった。
=> 7
放課後、いよいよ打ち合せが始まった。増田先生、大浦先生、野球部から丸山と伊良林さんも出席している。
若葉さんが、大画面の液晶テレビにノートパソコンをつなげていた。テレビの電源を入れると、画面にはプレゼンテーションソフトで入力した議事が映し出されている。昼休みに、若葉さんたち二年生が作っていたようだ。
《
野球部取材
■取材日 今週 金曜日の放課後
■取材目的 野球部の特集記事。甲子園予選、運動部の総合体育大会の取材態勢の確認。
■取材設定
甲子園大会での試合中と想定。
■取材方法
一 大浦監督、丸山主将へのインタビュー
放送局主催の野球大会、甲子園予選への意気込みと、仕上がり。
二 ベンチ入りレギュラー選手のインタビュー。
レギュラー紹介。大会へ向けての豊富など。
三 エース伊良林投手との三球勝負。
勝負前の投球練習撮影。バッターボックスは山下。
勝敗については、ヒット以上が出れば山下の勝ち。三振またはボールに当てられなかった場合、伊良林の勝ち。
■役割分担
(体験取材)山下
(監督へのインタビュー)三年 沢村、竹本。
(レギュラーインタビュー)三年 稲佐。二年 浦上。一年 林、田中。
(部員インタビュー)三年 油木。二年 若葉。一年 松山。
(マネージャー等のインタビュー)二年 松山。一年 佐野、桜田。
(写真)三年 岡。二年 三原、大橋。 一年 川野、浜中。
》
画面が映し出されると、沢村さんが画面を指さしながら説明する。まず、一通り画面に表示されている箇条書を読み上げた。
「これは、山下君が先日提出した企画書を元に、私と翔太さん、それに三年生のみんなと話し合っての案。もし質問があったら、遠慮なく聞いて」
真っ先に手をあげたのは、田中君だった。
「僕・・・、レギュラーの先輩方にちゃんと聞けるか不安です」
あの遠慮がちな表情になっている。それでも、会議で真っ先に意見を言えるようになったのは《進歩》だ。
「初めての取材だから、不安な気持ちは分かるよ。金曜日の取材は、本番に向けての予行演習も兼ねているから、失敗しても気にしないで。僕も一年生の頃はよく失敗したから」
竹本さんが、田中君の不安を落ちつかせた。理解すると不安から明るい表情に戻っている。
「竹本先輩の言うとおりでした。ここに書かれている内容には賛成です」
「部長、部員のインタビューは、既にきまっているんですか。そうでなければ、僕たちで選んでいいですか」
油木さんと若葉さんが尋ねた。
「任せるわ。何人か選んで、一年生の松山さんにもインタビューの経験を積ませてあげて」
「分かりました、僕たちに任せてください」
忠も手をあげた。
「部長、取材設定では《甲子園大会》での取材するとの想定になっています。ならば、もう少し臨場感を持たせましょう」
「川野君の言うとおりだわね。応援団と吹奏楽部も、放送局主催の野球大会に向けて調整しているから、当日は、グラウンドで練習するように、部長の話しておきましょう」
「僕が、応援部と吹奏楽部の顧問と部長に、この会議が終わってから、すぐに話に行って来るよ」
竹本さんが、メモを取り出し書き込んだ。
大浦先生が口を開いた。
「新聞部が《甲子園出場》を想定して、山下君との伊良林との三球勝負か。新聞部の熱意と期待を裏切らないように、甲子園に行けるように勝ち抜かないといけないな」
「監督の期待に添えるように、出場を決めてみせます。レギュラーメンバーにも当日は、試合を想定した守備練習するように、会議が終わってから話すよ」
「悟、ありがとう。いよいよ、本番らしくなってきたね」
僕が提案したこの企画。話が進み、伊良林さんの速球を間近に体験して記事にするから、甲子園に出場したと仮定しての想定練習に広がっている。それならと僕も発言した。
「みなさん、企画が広がって、提案した僕がとても驚いています。画面に出ている案で賛成です。レギュラーも守備につきますから、取材設定の部分と三球勝負のルールを、次のようにしたらどうでしょうか」
ホワイトボードのところに行き、僕が思いついた設定を書き込んだ。
《
■設定
九回裏 二アウト二塁。両者無得点。
■伊良林先輩との勝負
実際の野球ルールに沿う。ヒットが出て二塁走者が生還すれば、山下の勝ち。それ以外は先輩の勝ち。
》
「これだと、もっと臨場感もでます。実際の試合でも、よくある場面です。ここの野球部で投手をしていた父も、予選の決勝で負けたのもこれでした。先輩の球を打ち返せるよう、川野君とフォームの確認もしました。最後まで粘り抜くという意味で、僕が考えた設定でもよろしいでしょうか」
「もしかして、あと一歩で初出場を逃した山下さんは、お父さんだったの」
大浦先生が尋ねる。年齢も父ぐらいだから、知っていると思う。
「はい、先生のおっしゃるとおりです。中学卒業の日に、父から話してもらいました」
「そのサヨナラヒットを打ったのが、俺なんだ。世間と言うのは本当に狭く感じる」
「西校の出身だったんですか」
あの決勝戦の録画を見ていて、最後の打者の名前が登場したさい、《大浦康彦(おおうらやすひこ)》の字幕が表示されたから、僕は先生ではないかなと思っていた。
「言うとおり。西校を出て、大学時代も野球を続け、体育教師になった。監督は東高に赴任してから。ところで、増田先生、新聞部のこの企画、ぜひ、実現しましょう」
「大浦先生が乗ってくれるかと少し不安でした。金曜日は、有意義な部活動にしましょう。審判は私がします」
増田先生も、大浦先生がこの企画に協力するかを心配していたようだ。安堵した表情が見て取れた。
「先生たちも、取材を了承してもらえたから、金曜日は、大いに取材を楽しみましょう」
沢村さんが会議の締めの言葉を言うと、仲間たちは《はい》と答えた。僕が言い出した企画、大きくなったけど、期待を裏切らないように、金曜日は全力で勝負に臨もう。
会議は一時間ほどで終わり、竹本さんはすぐに応援部と吹奏楽部に行き、今回の取材の内容を伝えに、部室から出て行った。丸山さんたちも、すぐに部員を集めて説明するためにグラウンドへと、それぞれの場所へ戻って行った。
## 第七章 三球勝負
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三球勝負の企画は、僕の体験取材と、新聞部の甲子園出場を仮定した取材と新聞発行の予行演習に広がった。会議終了後、竹本さんのすばやい調整で、応援部と吹奏楽部の顧問と部長は話に乗った。協力が得られると知ったのは、翌朝、いつものように自学している、二年生から聞いた。
「山下君、竹本さんの話では、応援部も吹奏楽部も、当日は、放送局主催の野球大会の応援の、最終確認に合わせて来るそうよ」
大橋さんが、朝、校門で竹本さんと、ばったり合い、二つの部の協力が得られたことを直接聞いた。
「本当ですか」
竹本さんの交渉力は本当に感心する。僕も見習わないと。
「うん、今までは、前日に野球部の試合形式の練習を遠くからみながらだったけど、きのうの会議の内容を知らせたら、ぜひ、お願いしますだって」
「あとで、竹本さん、それに応援部、吹奏楽部にお礼を言いに行きます」
「いつ、あいさつに行って来るの」
松山さんが僕を向いて言った。彼も昨年、予選大会前後の応援部取材を担当して、記事を書いている。
「できれば、昼休みにしたいと思っています」
すると、自学中の油木さんが、僕たちの輪に入ってきた。
「僕が二つの部の部長とは友人なんだ。今から、メッセージ送っておくよ」
「ありがとうございます。そこまでしていただいて」
「山下君、かしこまらなくていいよ。《いて良かった部にしよう》と、翔太も言っているから、お互いを信じていこう」
「はい、ありがとうございます」
「油木さんありがとう。きょう、昼休み、三つの部の部長と、打ち合せをする予定なんだ。どうだい、弁当もって、中庭に行こうか」
「ぜひとも。中庭で昼休み、食事ながら打ち合せするよと、メッセージ送っておいた」
「中庭近くの席は、場所が限られているから、僕と沢村さん、油木さん、それに山下君で打ち合せにいこう」
昼休みは僕を含めた四人と、三つの部長が打ち合せをすることになった。応援部は城山裕二(しろやまゆうじ)さん、吹奏楽部は白鳥和代(しらとりかずよ)さんが、決められた時間前に中庭のベンチで待っていた。
「やあ、城山さんに白鳥さん、待たせてごめん」
竹本さんが声をかける。同時に、野球部の丸山さんもやってきた。
「みんな集まったわね。まず、お昼にしましょう」
沢村さんが中庭近くの購買部前に移動を促した。ベンチとテーブルがいくつか並べている。まずは、雑談をしながらお弁当を広げた。もちろん、僕の自己紹介も兼ねるのも忘れなかった。
「はじめまして、一年の山下慎一郎です。野球部の《体験取材》の企画を考えました。よろしくお願いします」
「村井を投げ飛ばした写真入りの新聞見たよ。強いんだな」
城山さんが、まず最初に言った。
「あれはまぐれです。今は、投げられてばかりいます」
白鳥さんも、体験取材の記事を話題にする。
「綾乃はとても強いでしょう。普段の練習をたまに見ることもあるから」
「はい。大村さんには全く歯が立ちませんでした。僕はもっと強くなりたいと感じています」
ある程度、話が進んだところで、
「金曜日の、野球部取材なんだけど、さっき伝えたとおり、大会出場の応援練習も兼ねてはどうだろうか」
竹本さんが、本題に話を振り向けた。
「伊良林も調子いいから、甲子園に出るのは、今年はうちか西高かとうわさされているから、本番に向けての練習をしようと考えていたところなの」
近々、応援部と合同で練習をする予定だと、白鳥さんは明かした。
「翔太から聞いて、今年の新聞部は、意気込みが違うなと感じたんだ。よし、金曜日は、本番だと思って練習しよう」
城山さんは既に乗り気になっていた。その気持ちが白鳥さんにも伝わったようで、《もちろんよ》の合図を示しながら、
「きょう、音楽室に、応援部のみんなを呼んで欲しいの。新しい曲で演奏するから、金曜日に向けて、振付けと音を合わせましょう」
「うん、部員たち連絡するよ」
城山さんはスマートフォンを取り出し、《放課後、音楽室集合》を入力し、一斉に送信した。
丸山さんが、取材要領の紙を見ながら、
《
■設定
九回裏 二アウト二塁。両者無得点。
■伊良林先輩との勝負
実際の野球ルールに沿う。ヒットが出て二塁走者が生還すれば、山下の勝ち。それ以外は先輩の勝ち。
》
僕に、設定の準備ができているのかを質問をした。
「伊良林にこの案を伝えると、あいつは《この試合形式の設定は、去年、予選で北高にまさかのサヨナラ負けに似ている。俺が打たれて、先輩方に申し訳ないと悔しい思いをしたんだ。当日は真剣勝負でいくよ》とも言っていた。山下、野球準備はできているのか」
「はい、この設定は、僕の父がここの野球部のエースだった約二十五年前、あと一歩で初出場を逃した場面です。伊良林さんも去年のあれもテレビで見て知っています。この勝負は、伊良林さんに自信をつけられたらという考えです」
「よく見抜いていたな。実は大会が近づくたびに、あのサヨナラ負けの記憶が蘇って、球に精細を欠き始めていたんだ」
「住吉先輩のユニフォームを借りた日に、伊良林さんが冴えないと思っていたんです。もしかしたら、去年の負けが残っているのではないかと感じました」
「だから、義徳に自信をつけてもらいたいがために、実戦を想定した《体験取材》にしたんだね」
竹本さんが、編集会議で提案した取材要領の《真意》を理解したようだ。
「川野君も、カメラで野球部を応援するとも言っていました。彼の悔しさもこれで晴れると思うんです」
丸山さんは、僕の方を見つめ、少し間を置いて、
「ありがとう。これで川野とのことも、伊良林の去年の悔しさも、金曜日の取材で消え去ると思う」
「金曜日は、僕も全力で勝負します。遠慮せずにいきましょう」
丸山さんと僕は固い握手を交わした。その姿に、竹本さんは眼鏡を取り目頭を押さえている。この姿は何度目だろうか。彼は涙もろいのだろうか。
「翔太さん、山下君の思いを裏切らないように、私たちも全力で取材をしていきましょう」
沢村さんが、竹本さんに思いを伝えた。眼鏡をかけると、冷静な表情が戻っている。
「うん、僕も同じだよ。みんな、当日の取材、よろしくお願いするよ」
昼休み終了ぎりぎりまで、僕たちは金曜日の取材について、打ち合せを続けていた。話が賑やかになると、飲み物も欲しい頃だと思った。いつも竹本さんからお好み焼きをごちそうになっているから、お返しの意味で、購買部から、僕が飲み物を購入して配った。沢村さんと、竹本さんはミルク入りコーヒーが好物と明かしてもらった。ミルクコーヒー。僕と、沢村さん、それに竹本さんとのある話を持ち出したさいにも登場する。
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いよいよ取材当日の放課後を迎えた。各部も、当日の練習の内容の打ち合せや準備も整った。グラウンドの三塁側にある、通常は保護者や後援会の人たちが練習の様子を見るための場所、正確に言うと球場の観客席に、応援団と吹奏楽部が揃い、新しい曲に合わせ、応援の練習を始めていた。グラウンドと言っても、隣の大学の野球チーム、他校との練習試合、時には地域の野球、ソフトチームに貸し出しすることもあるから、設備が整っていた。
野球部も、レギュラー選手がすでに守備練習を始めていた。良くみると、対外試合用のユニフォーム。丸山さんたちの意気込みが肌で感じとれた。彼らの目が活き活きとしている。
それ以外に、三脚にビデオカメラ、または、ビデオカメラを担いで撮影している生徒もいる。放送部の人たちだった。写真または録音の記録は新聞部、映像の記録は新聞も必要に応じてしていたが、主に放送部が行なっている。竹本さんがそこにも呼びかけていたようだ。新聞部と同じように独自で番組を作り、または取材して校内放送で放映している。相互の結びつきは強く、合同の編集会議も行なっている。
僕たち新聞部も、この前決めた分担に従い、取材活動の準備を始めていた。
そして、取材の中心となる《三球勝負》。僕も憧れの住吉先輩の練習に使っていた野球着を着て体験取材に臨む。ロッカールームを借り着替えようとすると、川口君が僕を呼ぶ。
「山下、丸山先輩から、これを使って欲しいって」
「これ、試合用のユニフォームだよね。よく、僕に合うのを用意していたね」
「うん、監督と丸山さんが、本番を想定して練習をするから、練習用の野球着では失礼だろうと言っていたんだ。俺もユニフォームの刺繍を見て、まさかこれ思ったんだ」
刺繍を見て僕も驚いた、《住吉》の名前が施している。これは、校長室にある甲子園に出場したときに着ていた、ユニフォーム・・・。
「校長室にある、住吉先輩のユニフォーム。記念として先輩が寄贈して、展示しているあれだよね。え、ここまでしていいのかな」
「まだ、着替えていないのか。三年生も準備が終わる頃だぞ」
声は大浦先生だった。様子を見にロッカールームに来たようだ。
「はい、いま着替えます。ところで、先生、このユニフォーム・・・」
「これか、住吉が実際に着てプレイしたユニフォームだ」
「校長室にあった、あれですよね。本当にいんですか。万が一、破ったりしたら、僕、怖くて着替えられません」
「山下の体験取材のことを話したら、校長も《今年の新聞部は、おもしろい取材をするね》をおっしゃって、快く使って良いことになったんだ」
「そうなんですか。憧れの大先輩のユニフォームがまさか着られるなんて思っていませんでした」
「ならば、すぐに着替えて、準備運動から始めよう」
「はい、すぐに来ます」
住吉先輩が着ていたユニフォームに着替える。サイズもぴったりだ。一昨年、いじめが消え、テレビの中で、大活躍した姿に勇気づけられた。いま、それを身につけているとは思いもしなかった。よし、悔いのない取材をしよう。住吉先輩の勇気が伝わってきそうだ。
グラウンドに出ると、大会が開かれているような熱気を感じた。編集会議、打ち合わせて、本番を想定した取材にしようとなったけど、実際にしてみると、迫力に圧倒されそうだ。僕が出てきたことが分かると、大きな歓声が上がった。
「山下が、住吉さんのユニフォームを着ると、まるで、東高にいたころを思い出すな」
まず、丸山さんが言う。伊良林さんも、去年、予選の中継に映った、あの精悍な表情になっている。
「偉大な先輩と思って、全力投球するから」
「はい、僕も、住吉さんに負けないように、打席に立ちますから、よろしくお願いします」
体験取材が始まった。準備運動から始まり、グラウンドをランニング、体が温かくなったところで、何本か走り込みを行なった。野球部の練習は忠からも聞いていた。そして、いよいよ、僕が打席に立つ取材に入ることになった。
グラウンドには大会に出場するベンチ入りの選手が集まった。円陣を組み、かけ声をあげる。これは試合に行なう《気合い入れ》。僕が九回裏の東高の守りを想定しているから、特に気合いの入れ方が違っている。二塁走者は、野球部で駿足(しゅんそく)の三年生、ベンチ入りしている城栄哲哉(じょうえいてつや)さんが担当することになった。百メートル十一秒を切るタイムを持っていて、野球部一の盗塁を得意とする選手だ。
僕が打席にはいる前、三年生の守備練習、伊良林さんの投球練習が始まった。最初は、肩ならしから、そして次第に球の速度が上がってきた。すぐに、全力投球できる状態になった。テレビ映像と実際の球は全く違う。南高との練習試合で百五十キロ超えしたと、沢村さんの取材メモで知っていたから、どんな球だろうではなく、竹本さんが《怖くて、バッターボックスに立つなどは考えられない》言うとおりだと思った。僕も、体験取材するんではなかった、《怖くてできません》と、その場から逃げたくなりそうな怖さを覚えた。
ふと、《住吉さんも、僕と同じように最初は怖かったはず》が脳裏に浮かんていた。体格差をもろともせず、輝かしい成績を残したんだ。胸に手を当てると、なぜだが勇気が湧いてきた。《これは、伊良林さんに自信をつける意味合いもある、僕が弱気になってどうする》。さあ、僕も打席にはいる準備をしないと。
バッターボックスの外で、素振りの練習を始めた。忠とよく野球をして遊んでいた。また、一緒に体も鍛えている。野球は最初は遊びだった。面白くなってくると、僕の希望で、バットの振り方から、球の投げ方、受け方も本格的に習っている。忠が全力で投げるためを受けることもできるようになり。また、打ち返すこともできるようになった。その経験の積み重ねがあるから、きょうの取材が実現したのだ。よし、落ちついて行こう。
バッターボックスに立った。気がつくと応援部と吹奏楽部は、新しい曲ですでに応援を始めていた。ベンチには控え選手、それに監督である大浦先生、それに校長先生まで。いつのまにか、生徒たちがたくさん集まっていた。野球部の体験取材は他の部には知らせてなかったはず、話が広がって集まったのだろうか。
「慎一郎、緊張しているか」
審判役に買って出た増田先生が僕に声をかける。深呼吸をしてから、
「はい、最初は緊張より、怖くなりました。でも、今はありません」
「わかった、遠慮せずに思い切って行け」
「はい」
マウンドにいる伊良林さんの方を向いた。よし、いつでも来い。
増田先生の《プレイボール》の声でいよいよ、僕と伊良林さんの《真剣勝負》が始まった。
その頃、新聞部のみんなは、打ち合せ通りうまくいくか、インタビュー、状況の記録、写真撮影を行なっていた。岡さんと忠はは、一塁側から僕と伊良林さんを、大橋さんと浜中君は、外野から打席の方を、三原さんは、応援部と吹奏楽部を含めたグラウンドにレンズを向けている。
打席に立ったとき、《山下君、義徳に負けるな》の竹本さんの声が聞こえた。沢村さんも《かっ飛ばせ》の声も。二人は勝負の応援をしている。写真以外の他の仲間も、応援部の中に入り、応援に加わっている。とてもうれしかった。涙も出てきそうになった。
伊良林さんが、サインに対して首を振っている。去年の予選大会での北高にサヨナラ負けを喫した場面に近い想定、あの試合の場合は、サインに対し、何度も首を振り、うなづいて投げた球が打たれた。きょうは、次のサインでうなづき、振りかぶった。いつ球が飛んで来ても、心の準備は出来ている。
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第一球、伊良林さんの手から球が離れたと思った瞬間、音を立ててキャチャーミットに収まった。球が風を切る音も聞こえた。直球だった。あとから聞いた話では球速は百五十キロを超えていた。すごい、これが西高のエースと甲乙つけがたいと評される投球を目の当たりにした。竹本さんが怖いと言うのも、充分に理解できる。彼の表情も球も冴えている。
「ストライク」
増田先生の声が聞こえた、応援の歓声、生徒たちから拍手が僕の耳に、飛び込んでくる。球の早さと威力に、何もできなかった。
「どうした、山下。怖くなったのか」
伊良林さんの声だ。怖いのも少しあった。このユニフォームを着ていた住吉さんがついている。怖くない、この勝負にはぜひ勝ちたい。
「いいえ、怖くありません。お願いします」
本番通りだから、城栄さんも三塁を狙って盗塁をしようとする。牽制球を投げるとあっという間に戻る。伊良林さんがサインにうなづき投球を始めた。よし、今度は打つ。球が手元から離れた。カーブで来た。前のような見逃しで終わらせてはならない、バットを思いきり振った。同時に、城栄さんも三塁へ向かって盗塁を始めた。大きく振った風切り音が聞こえたと同時に、キャッチャーミットへ、すばやく捕手である丸山さんが立ち上がり三塁へ投げた。既に盗塁が成功していた。二球目は大きな空振り。ツーストライクとなった。
「慎一郎君、がんばって。もう少しで当たるところだよ」
美佐子の声が聞こえる。彼女は取材を忘れ、声援を送っている。
「惜しい、慎一郎君、絶対、当てて行こう」
若葉さんも大きな声で応援している。松山さんも、それに浦上さんも。先日、僕の若葉さんへのとんでもない失言で、新聞部の信頼が揺らぎかねない事態を起こしてしまった。きょうはしっかり役目を果して、失言を許していただいたお返しをしよう。なんと村井さんまで見に来ている。無言で見ていても、僕には《悔いのない取材してこいよ》の気持ちが伝わってきた。僕は観客席のほうを向き手をあげた。
丸山さんが《タイム》を要求し、増田先生はタイムを宣告した。マウンドに守備についている選手が集まっている。三球目はどのように投げるかの打ち合わせようだ。伊良林さんは。うなづいている。時間にして約三十秒ほど過ぎて、再び選手たちはそれぞれの守備についた。
泣いても笑っても三球目が、お互いに取ってこれで最後になる。伊良林さんは球威がある。同じような要領では、三球目も空振り三振。当てられずに、僕は勝負に負けるどころか、打席で何も出来ずに終わってしまいそうに感じた。伊良林さんの性格だと、直球勝負でくる。それを狙って行こう。
増田先生の《プレイボール》で再び勝負が始まった。サインは送っていないようだ。さっきの打ち合せで、投げる球も決めているはずだ。すぐに投球動作に入る。あのポジションは、僕の予想通りの球で来る。球が手元を離れた。ものすごい勢いで飛んでくる。うなりが聞こえてきそうだ。
球が離れて打席まで飛ぶ〇・五秒にも満たない時間、伊良林さんの豪速球は怖くなるほど早かった。最後の球もそうだった。彼の渾身の一球は直球だった。球速を測っていたマネージャーも表示された数値を見て、顔色を変えた。百五十五が表示されていたからだ。監督である大浦先生も驚きの表情を見せていたと、取材メモと忠から教えてもらい知った。
「よし、もらった」
僕にはその球が、なぜが止まって見えた。有名なプロ野球選手も《球が止まって見える》の発言を野球の歴史という本で呼んだ記憶がある。まさに、その通りだ。バットも球を捉えた。打ち返す音と、手には激しい振動が伝わってきた。グラウンドは静まり返ったような気がした。激しい振動に僕は倒れてしまった。でも、これではいけない。すぐに立ち上がり一塁へ向おうとした。
「アウト」
増田先生の宣告だった。打ったものの、キャッチャーフライになり、丸山さんが捕球したのだった。この勝負は伊良林さんの勝ちになった。静まり返っていたのは気のせいと思っていたけど本当だった。僕が丸山さんや先生のほうを向き礼をしたあとに大きな歓声が上がった。
伊良林さんが僕のところへ飛んで来た。
「さっき打った時に倒れたけど、大丈夫か」
「はい、僕は何ともありません。最後の球はものすごかったですね」
「俺も、あの球はいままでの中で、見たことがなかった。もし試合に出せれば、北高、西高打線も手が出せない出せない」
丸山さんも驚いている。守備についていたレギュラー選手、走者だった城栄さんも打席に集まってきた。
「伊良林と、住吉先輩が勝負しているのかと思ったほどだよ」
興奮気味の城栄さん。他の選手たちも異口同音に、住吉さんとの勝負しているようだったと言っている。
「伊良林さん。あの球だったら、どこにも負けません。勝ち抜いて、甲子園までいきましょう」
僕は伊良林さんに率直に感想を述べた。彼は手をさしのべてきた。
「住吉さんと勝負をしているようだった。それに、俺もこの真剣勝負で、去年のサヨナラ負けの悪い記憶が吹き飛んで行った。山下の言うとおり、勝ち抜いて一緒に甲子園へ行こう」
僕と固い握手を交わした。忠が喫煙を《密告》したと疑われ、僕が止めに入り蹴られてしまった。危うく、大会出場が吹き飛んでしまう事態にならずに、こうして今は、体験取材が出てきている。本当に良かった。僕たちの姿を見て、観客席の応援部を始めとした人たちから、健闘を称える拍手が湧き起こっていた。少年漫画雑誌の野球漫画で出て来るような展開だった。丸山さんに伊良林さんは漫画の主人公の以上、いやこれまでみた野球選手で一番格好良かった。
「去年の悪夢は消えたな」
インタビューするために来た、沢村さん、竹本さんの前で大浦先生は言った。沢村さんが、伊良林さんの去年味わった《北高にまさかの敗北を喫したいやな記憶》の立ち直りを尋ねた。
「サヨナラ負けから、ようやく立ち直りましたね。きょうの想定練習ではっきりと伊良林投手の自信が見えました」
「この想定練習は、山下君が考えたそうだね」
「はい、悟や義徳からは、取材の申し込みはありました。先日の編集会議で彼が提案しました。川野君と練習もしていたそうです」
「山下君もずいぶん剛胆(ごうたん)だな。伊良林の自信も戻り、レギュラーの顔も試合に勝ちたいと意欲へと変わっている」
「私も、先生のおっしゃるとおりです。近く行なわれる、大会に優勝して、予選へはずみをつけましょう」
インタビューがある程度進むと、ベンチで固唾(かたず)を飲んで見守っていた校長先生が声をかけた。
「長い教師生活をしているが、きょうのような体験は始めてだった。私もどちらに軍配が上がるか、ワクワクしていたんだ。新聞部はこのような面白い取材をしているのかね」
沢村さんが、《面白い取材》の回答をする。
「他の部に参加した《体験》を記事にする取材法は、約五十年前に当時一年生の新聞部員が始めたそうです。文章もうまくてお手本にもしています。私たちは《伝説の新聞部員》なんて呼んでいますけど」
「ここに赴任してから、こんなにたくさんの部を巻き込んで、取材したとは記憶していないが」
「残っている資料の範囲では、山下君の取材法は初めてだと思います」
「いやあ、楽しかった。また、このような取材があったら。私もぜひ呼んで欲しい」
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レギュラー選手、それに僕は、いったんベンチに引き上げた。写真担当の岡さんを初めとした仲間も集まってきた。
「慎一郎が、伊良林さんの球を当てるとは思いもよらなかった」
忠は驚きを隠せない。岡さんは撮影したたくさんの写真の中から、伊良林さんの三球目と、僕がバットに当てる写真を表示させた。さすがは彼女のプロ並の腕前だ。先ほどの勝負の迫力と興奮が伝わって来る。
「伊良林さんの写真は、私が新聞部へ入ったときからよく撮っていたわ。きょうの山下君との体験取材での投球は今までにない出来だった」
ボールが離れた瞬間を表示させ、岡さんが語った。彼女は、《相手に伝える写真を撮るならば、綿密な下調べが必要ね》を、一年生への写真講座を最初に開いたさいに語った。野球をはじめ、運動部での選手の情報、スポーツのルールなど綿密に調べた撮影ノートを肌身はなさず持っている。沢村さんと組むことが多いためか、取材などの情報を小さなシステム手帳に記録していると、彼女から教えてもらい、岡さんの取材スタイル合わせている。彼女は大きな単語カードを持っている。ここには各部の情報、スポーツのルールの要点などが書かれている。また、カメラの動画機能を利用して、彼女自身が取材日、目的、要点など、風景を録画しながら話し、それを取材メモとしても使っている。
「岡とは、一年のころから取材されているから、変化が分かったようだね」
「もちろんよ。これだけ投げられれば、予選どころか、甲子園で存分に東高野球部の活躍が撮影できそうだわ」
力こぶを見せる仕草をした。忠が、自信がある場合にでる、僕に取っては見慣れたポーズ。岡さんも忠に影響されたのだろうか。最近、よく見せるようになった。撮影は体力を使う。体を鍛えているせいもあって、腕の力こぶはとても盛りり上がりたくましかった。
「期待を裏切らないように、俺は練習を精進して行くから、一緒にいこう」
ここまで話したところで、僕はもう一つの目的を実行することにした。これは打ち合せ、編集会議にも出していなかった。思いがけない《贈り物》をするための、丸山さんたちに持ちかけた。
「丸山さん、川野君を《体験取材》という形で、グラウンドに戻すというのはどうでしょうか」
「山下君も、柔道部の練習の参加しながら取材に参加しているんだよね。村井から聞いたんだ」
「はい、中学から柔道をはじめて、高校も友人から誘われたんですけど、考え抜いて《体験取材》を思いつきました」
「なるほど、みんな、山下君の考えなんだけど、どうする」
伊良林さんはじめとした、ここにいる野球部の仲間には異論が出なかった。忠は、この提案に再び驚いた。一度、いさかいで辞めた野球部に、僕が柔道部で始めた《体験取材》の形で戻ることが出来るからだ。
「本当に・・・いいんですか」
忠が恐る恐る丸山さんに尋ねた。彼は笑顔の表情でうなづき、
「ぜひ、カメラで野球部を応援して欲しい。山下君のように《体験取材》で練習にも参加して欲しい」
「ありがとうございます。俺、先輩たちから疑われ、二度と野球に関わるもかと決めていました。きょうの取材で、カメラでしっかり応援して行きます。練習にも時折参加します。よろしくお願いします」
深く頭を下げる忠。真から喜んでいる表情だった。中学時代、追いつめられた僕を助けてもらった幼なじみの一人、その恩返しが出来た。
「ならば、川野君に、啓介と三人で《野球部班》を作ったらどうでしょう」
大橋さんが提案する。三原さんは《もちろんだよ》を言い、沢村さんも、
「野球部班、それは名案だわ。川野君の野球の経験があるから、充実した紙面ができるね。写真と解説を担当してもらいましょう」
と、歓迎した。竹本さんは、眼鏡を取り、ハンカチで目頭を押さえている。
「翔太さん、どうかしたの」
「うれしいんだ。悟や義徳が山下君や川野君と意見の対立があって、一時期どうなるかと思っていたんだ。仲直りして、信頼が深まったのは、彼らのおかげだよ。ありがとう」
「いまはこの通り、わくわくする想定練習の取材もできたわね。一年生を最初に迎えた日、楽しい部になるといったけど、その通りになったわね」
涙ぐむ姿の沢村さんを僕は初めてみた。
「沢村、きょうの取材企画は成功だったな」
増田先生が言った。
「はい、途中、取材を忘れて応援をしていました。それでも、取材の分担の確認ができました。これで、予選や総合体育大会の取材も万全です」
「野球部と新聞部の距離も近くなったな」
いままで、監督の大浦先生と丸山さんくらいしか話す機会がなかった。たったいま、野球部班として結成した三人と浜中君を初めとして、初めて取材する一年生の仲間とベンチ入りしている選手が気兼ねなく話すところを見ながら、大浦先生も沢村さんに話した。
「私も驚いています。ここまでいけたのは、山下君や川野君のおかげだと感じています。彼らがいて、新聞部との距離が縮まりましたから」
「彼らには感謝しなければいけないね。沢村さん、取材終わったら部室で話したことがあるんだ。いいかな」
「翔太さん。いいわよ」
きょうの《体験取材》はこれで終わり・・・。いや、僕と忠に丸山さんと伊良林さんが声をかける。
「川野、練習着ロッカーにのこっているんだったよな。山下君も、せっかくだから野球部練習の体験取材もしていこう」
「はい、喜んで。よろしくお願いします」
「俺、すぐに着替えてきます」
「私たちも引続き、撮影取材を続けましょう。川野君、カメラ預かっておくから、行ってきて」
岡さんが、忠のカメラを預かった。深く一礼をして、ロッカールームへ走って行った。何週間ぶりにグラウンドで《体験取材》の形として戻れる。
「ところで山下君。これからも、時間があれば野球部の取材お願いするよ」
丸山さんが僕に言った。中学時代、勇気をたくさんいただいた、住吉先輩が練習したグラウンドだ。継続的な取材のお願いはとてもうれしい。
「はい、喜んで。お願いします」
「住吉さんの、練習着、山下君にあげるよ」
「本当ですか。ありがとうございます。僕、大切に使います」
丸山さんたちに頭を下げた。野球部の人たちも、《慣れてきたら守備の体験もできるね》と、練習着をあげることを歓迎した。この練習着は、僕の大切な宝物になり、以降、野球部の取材を僕が行なうときには、練習着に着替えて、練習に参加する取材形式が定着している。
「山下君って、本当に不思議だよ。先日はあんなにいがみあったのに、今では仲良くなっている。義徳、そう思わないか」
「俺も、言おうと思っていた。ずっと友人だった気がしているんだ」
・・・中学時代、僕はいきなり仲間はずれにされ、加藤や山本に絡まれ、おもちゃ扱いされていた。忌まわしいいじめで、僕の心は傷つけられ、早まるところだった。いや、早まらなくて本当に良かった。こうして、人間関係の輪が広がって行くのだから。
「山下君、どうした。顔色悪いよ」
伊良林さんが心配そうな表情でみている。
「僕、不思議なのかなって思っていたんです」
丸山さんが肩をたたきながら、
「気にしない。川野君も来たから、練習していこう」
「はい、川野君と、練習に入って取材をします」
野球部のきょうの取材の手法。成功によって、他の運動部にも広げて行くきっかけにもなった。写真を撮影、顧問や監督、主将や注目選手のインタビューのみから、新聞部と他の部の《意思疎通》が深まり、普段の練習でも気兼ねなく取材ができるようになった。記事の深みも出てきて、読まれる新聞へ一歩も二歩も前進した。相乗効果として、竹本さんが行なっている《お好み焼きミーティング》も自発的に参加を呼びかけ、かつ、それぞれの顧問・監督の先生も部費の予算から一部補助が出るようになり、彼の記事に深みが増した。
僕と忠がそのまま練習に加わり、他の新聞部の仲間たちもあと一時間ほど、取材または一年生へ取材の練習を行なうことになった。部室近くにあるベンチに沢村さんと竹本さんが座り何か話している。僕もそれを見ていた。新聞発行の打ち合せをしているのだろうと思っていた。
「きょうの取材は、僕は感激したよ。川野君の野球部でのいざこざも解決したからね」
「翔太さんの言うととおり。山下君の企画で一、二年生も取材がんばっていたわね。積極的に動いて、結束も強くなった」
「それでね、沢村さん。僕はこの取材をふと見て思ったんだ。次の部長を山下君に任せてもいいのではと。きっといい新聞部ができるよ」
「いさかいや対立が起きるけど、必ず仲直りをしてつながりが深くなる。それに謙虚で誤りがあっても取り繕ったり、隠したりせずにすぐに謝れる。翔太さんの言うとおり、新聞部を任せてもいいと思うわ」
「それまでは、現在の発行態勢を整えた二年生たちから、若葉さんか松山さんのどちらかに任せたいなと、四月に入ってから思っていたんだ」
「二年生からの反発がでないかしら」
「うん、沢村さんの言うとおり、僕もその心配があるんだ。でも、架空新聞の事件から、山下君と二年生の距離はぐっと近かまり、友達から今ではお互いを認め合い尊重している。だから、彼を選んでもいいと思うんだ」
「わかったわ。翔太さんがそこまでいうなら。私も賛成する。二、三年生たちをこれから、三塁側のベンチに集めて、次期部長の件を諮るわね」
「ありがとう。それに、僕が、山下君を気にかける理由があるんだ」
グラウンドでは僕と忠が、引き続いて《体験取材》。つまり、通常の練習に参加することになった。先輩方といざこざをおこして以来だ。一か月近くぶりのグラウンドだった。忠は水を得た魚のように生き生きしている。まずは準備運動をはじめ、何回かグラウンドを疾走し、体を温める。僕たちは、一年生たちが球を拾いをしている場所へと向かった。
その頃、取材を終えた三年生は、二年生も集めて三塁側のベンチへ向かった。部室で打ち合せをするよりここで行なおうと言う竹本さんの提案だった。一年生は野球部の練習を自由にみて良いということで解散となった。僕らは、三塁側のベンチにいる仲間たちを、取材と新聞発行の記事の打ち合せをしているのだろうと見ていた。美佐子たちは一塁側から声援を送っていた。
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守備、打撃練習をベンチ入り選手が行なっている。僕たちはその球拾いに参加するために外野へ向かった。一年生や二年生たちがかけ声を上げながら、飛んでくる球を拾っている。
同じクラスで野球部の川口徹(かわぐちとおる)君と、同じく野球で忠と同じ三組の三芳治雄(みよしはるお)君が、僕に外野での球拾いの要領を教える。共に東中学出身。僕がこの二人と話すようになり、友達になったのは中学校三年生入ってからだ。
「伊良林先輩のあの球を打ち返すとは思わなかったよ」
川口君が驚いている。
「先輩方から、新聞部から、バッターボックスに立って、伊良林先輩の速球を体験する取材があると説明があったけど、まさか、山下君があの住吉先輩が着ていたユニフォームで現われるとは思わなかったよ」
三芳君も興奮気味にだった。大会用のユニフォームは、基本ベンチ入りレギュラーにしか与えらない野球部に所属するすべての部員の憧れだった。
「僕も、驚いたんだ。校長先生が了承して、見に来るなんて、まったく予定がなかったことなんだ」
「まるで、大会のようだったよ。山下、野球できるとは意外だった」
「忠から、教えてもらったんだ」
「山下君、先輩の球、怖かったよね」
「・・・怖くなかったと言いたいところなんだけど、三球目の球は特に怖かったよ。プロの選手のようだった」
「慎一郎、スピード測っていたマネージャーが驚いていたんで、聞いたんだ。百五十五の数字が出ていたんだ」
「え、そんなに出ていたの・・・」
僕は絶句し、怖さのあまりへなへなと座り込んでしまった。
「怖いものなしの山下君も、伊良林さんの球はさすがに怖かったみたいだね」
僕の姿を見て三人は笑い、《うん、怖いものは結構あるよ》を言い、僕も笑った。内野からこちらへ球が飛んで来たという声がした。すぐに僕は立ち上がる。球が飛んでいるのを確認し、落下点をあたり予測し受けた。外野にいる野球部の人たちから歓声が上がった。
僕たちが球拾いに参加している間。三塁側のベンチでは、沢村さん、竹本さんが二、三年生を集めて何かを話している。
「きょうの取材、お疲れさま。予想以上の成果が上がって楽しい取材ができたわね。翔太さんがみんなに提案したいことがあるの」
沢村さんがそういうと、竹本さんが立ち上がり、みんなのほうを向いた。
「取材楽しかったね。今年はたくさん一年生が入部して、楽しい新聞部になると話していたんだ。いさかいもあった。でも、お互いを尊重し、親しく話せている。僕は、この取材を企画した山下君のおかげだと思っているんだ」
「私もそう思う。村井を投げ飛ばした取材を見て、これは面白い新聞部になるなって感じた」
稲佐さんが真っ先に語った。三年生のみんなはうなづきながら聞いている。
「山下君が、僕に言った《風に飛ばされにくい》から、取り返しもない事態になりかけたときは、どうしようかと焦ったんだ。彼は、すぐに失言を反省したあとは、二年生の仲間とも、取っても仲良くなっているんだ」
若葉さんも先日のいさかいを振り返った。
「あんなひどい紙を作って、僕を許してくれないかと思っていたんだ。山下君は許してくれた。それに、気がついたら以前からいた友達のように仲良くなっていたんだ」
「私も、啓介をそそのかして、やってはいけないことをしてしまって、彼を傷つけてしまった。退部か停学になるか覚悟していた・・・」
三原さん、大橋さんも若葉さんのいさかいから、新聞部の存続にかかわる紙を作ってしまったことを振り返り、反省した。
「あの気持ち良いほどの明るい表情、誤りを認めたらすぐ謝る姿は、僕も見習わないと」
油木さんもいままでの出来事の感想を述べている。
「新入生が入って馴染むまで、私を含めて夏休みが過ぎてからのようだった。山下君をはじめとした一年生は、馴染んで尊重しながら活動しているわね」
岡さんも入部から今までの体験を思いだしていた。夏休み、新聞部は他の部と同様、合宿所を借りて三日間の合宿を行なっている。今までの授業での復習。記事の書き方、写真撮影講座、東高周辺の名所旧跡の巡り。そして、恒例の肝試しなど、内容が濃い合宿を終えた頃に、一年生はようやく部の雰囲気と、人間関係が深まっている。
「師匠の言うとおり、合宿で私たちも馴染んで、遠慮なく話せるようになっていたわね。冷静な副部長が肝試しであんなに驚くとは思わなかった」
「大橋さん、僕も、意外と臆病なんだよ」
「あの驚きようで、驚かす役の私が腰をぬかしてしまったわ」
稲佐さんが笑いながら言った。竹本さんの顔が赤くなり、
「あのときはごめん。楽しい思い出だったね。それで、これは僕からの提案なんだ。和気藹々(わきあいあい)として、まとまったのは山下君の存在が大きいと思うんだ。沢村さんの後を任せたいと思っているんだ。もちろん、彼女とも話したんだ」
「さっき、翔太さんが私のところに来て、《山下君に部長を任せたらどうだろう》と言ってきたの。私も、少し不安がのこっている。それより、彼の熱意が私にも伝わって、部長の件は了承したわ」
二人へ視線が集まっている。竹本さんは《意外と臆病な面》から、いつもの冷静できりりとしまった表情になっている。
「新聞部に多大な貢献をしてもらった二年生を差し置いて、入部間もない彼をいきなり部長に《推戴》することに不安もあるんだ。でも、これは山下君の人間性と、僕のある考えから来ているんだ」
沈黙の時間が流れた。実際は一、二分の時間。ここいる仲間たちには、長い時間が過ぎ去っていることを共有していた。
「副部長の提案に驚きました。まさかと思っています。でも、言うとおり、彼の人間性のおかげで、野球部、応援部、吹奏楽部を巻き込んだ、すばらしい取材が出来たんです。僕は、山下君の力となって、新聞部をもっと魅力的な部にしたいです」
二年生の松山浩輔さんが、竹本さんの提案を受け入れ、次期部長の件を賛成した。若葉さんも、賛成の立場として。浩輔さんの意見を補強する。
「副部長、山下君の件、二年生の仲間が反対や拒否をすると思いますか。一年生の成長ぶりは、僕たちも向上するきっかけになりました。松山君と同じ、彼の能力が発揮できるよう力となります」
「私も同じく彼の力になりたいです。ここまでの活躍ぶりで、彼は大きく見えています。部長にふさわしいです」
浦上さんも部長に推すことを強く勧めた。
松山さんや浦上さん、それに若葉さんの影響は大きい。二年生の強い《結束》は、三人の揺るぎない信頼と友情からきている。
「二年生の私たちが、山下君を補佐するという形で、副部長を引き受けるのもよいわね」
竹本さんに提案する大橋さん、彼は《よい案だ》と手をたたいて歓迎した。
「部長の後は誰が引き継ぐのだろうと思っていたわ。翔太さんの案と、それを快く引き受けた二年生の意見を実現すると、私たちも安心して任せられるわ」
岡さんが次期部長と副部長の案を歓迎した。ほかの三年生も彼女と同じく賛成だった。
「ありがとう。反対意見が出たら、僕は説得しようと思っていたんだ。新聞部を選んで本当に良かったと感じているんだ」
「副部長のもう一つの考えってなんですか」
三原さんが手を挙げて質問をする。
「一年九組の加藤、山本知っている」
竹本さんの回答に、彼は思いだしたように、
「あの東中時代からの《ワル》ですよね。中学では授業中に大騒ぎし、先生を困らせ、同じ学年のワル仲間と、スーパーやコンビニで万引き、暴走族と関わりを持ち、近くの河川敷で西中の同じような連中と乱闘事件を起こしたり。よく、東高に合格できたと思いました」
竹本さん、それに、三原さんと大橋さんは東中出身。あの加藤と山本の悪びれて、やりたい放題の行為は、いやと言うほど見てきている。
「私もなんで、合格したのか不思議でした。制服もだらしなくきて、東高の印象を悪くしないかとおもっているわ」
大橋さんも、あの二人がなぜ、入試に合格したのか疑問に思っていた。なぜなら、授業をサボる。妨害するなどで、成績もひどいと噂されていた。
「真面目に勉強したから、それとも頭が良かったからのどちらかと思う。彼はそれ以外にも、何人かに陰湿ないじめしているんだ」
「私も、加藤の仲間の女生徒を使って、一年生の女子生徒に嫌がらせを見ていたのを見たわ」
岡さんも言った。彼女も東中学出身だった。
「村井の弟がいじめられたとき、あの二人に絡まれていないかと、僕にも相談をしていたんだ。幸い違っていた。彼らは自分より小さな体格の男子生徒をもてあそんでいたんだよ。服を脱がせて見せ物にしていた時は、僕は止めに入ろうとしたんだよ。その前に、男子生徒が怒鳴りつけ、回りがちりぢりになったんだ」
「翔太さん、もしかして、山下君もそうだったの」
驚く沢村さん。彼女は東高がある海老楽市の別の中学出身だったから、加藤と山本の中学時代の素行が悪かったことは初耳だった。
「また、あいつらと思ってみていたんだ。その見せ物にされていたのが山下君であることは、彼が入部して、しばらくたってから気づいたんだ」
「じゃあ、東高に合格したのは、彼をつけねらうためだったの」
「・・・浦上さん。たぶん、そうなんだよ。若野さんや川野君が守っていると僕には感じたんだ。彼らは陰湿で卑怯だから。若葉君たち二年生と山下君がいさかいを起こしたことがあったよね。二人が牙をむかないか不安だったんだ」
「わかった。だから、副部長、山下君を部長に推すんですよね」
浦上さんは竹本さんの考えが理解できたようだ。他の二年生も同じだった。
「ありがとう。彼の誰とでも仲良く出来る能力、謙虚な点を、あのろくでもない二人につぶさせてはならないんだ。みんなが守れば手出しはしない。大切な仲間なんだから」
「僕も、太っていることでいじめられたことがあります。彼の痛みは分かる気がします。副部長の言うとおり、僕たちの卒業まで守って行きましょう」
若葉さんが立ち上がって言った。並々ならぬ決意だった。
「私からも礼を言うわ。ありがとう。これで私、それに翔太さんは安心して部長を山下君、副部長を二年生のみんなに譲ることができるわ」
気丈な沢村さんの目が潤(うる)んでいる。反対や疑念が生じるかと思っていた彼女。その不安は取り越し苦労だったようだ。
「部長、山下君に、部長の交替の件、いつ言いますか」
油木さんが言う。通常なら部長、副部長の交替、引継ぎは六月の総合体育大会の終了後に、編集会議を持ち決定することになっている。
「あした土曜日の部活で、きょうの取材をもとに新聞作りをするから、発行作業が一段落した頃に、翔太さんと山下君を中庭に行ってから話すわね」
「沢村さんの言うとおり、僕が彼に話すから、引き受けたら合図するから、みんなで祝福して欲しい」
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三塁側ベンチで僕のことが話し合われている間。三球勝負の体験取材に引き続いて、忠と部の通常練習に参加している。いさかいをおこして退部した忠が、久しぶりにグラウンドに戻り、喜びを体で表していた。
「山下君、ノックを受けてみる」
二塁走者をかって出た、三年生の城栄さんが声をかける。
「はい、お願いします」
僕はすぐに、その練習をする場所へ走って行った。忠も、僕のあとに受けることになっている。
「三十本ほどするから、無理はしなくていいよ。一、二年の部員が後ろにいるからね」
「はい、それではお願いします」
三年生の岩川治(いわかわおさむ)さんが、球を上げ打つ。初球は、受けようとすると間に合わず、後ろに転がって行く。二球目、うまく捕球した。三球目もグローブの中に球を収めることが出来た。
「その調子」
「ありがとうございます。百本でもいけると、励みになりました」
「百本、行ってみるか」
コツをつかみ、うまくいくと楽しい。三十本以上でもいけると確信した。次の球も、それに次の球も確実に捕球できた。
「川野、山下君は、本当に野球の経験はないのか」
僕の動きをみた丸山さんが尋ねた。
「はい。ありません。小学校は、この街の少年サッカークラブ、中学では二年生から柔道をしていましたから。野球は俺と慎一郎の二人で遊びでしていただけです」
「まるで、住吉さんが練習しているように見える」
「伊良林先輩、慎一郎が住吉先輩の甲子園での活躍をテレビで見て、憧れ、勇気づけられたと言っていました。中学に入り、九組にいる加藤や山本に、ひどくいじめれて、早まろうとしたいことありました。住吉先輩の奮闘ぶりを見て、慎一郎は変わりました」
「あいつらに絡まれていたのか」
丸山さんが声をあげた。伊良林さんをはじめ、三年生のレギュラーの半数以上は、東中の野球部に所属していた。
「はい、入学して、慎一郎はクラスの全員から無視され、孤立していた彼にあの二人は絡んで来たんです。恥ずかしいいじめがきっかけで、俺たちも分かったんです」
「俺たちが中三の頃、あいつら一、二年生の部員に因縁をつけて、けんかをしかけたこともあったんだ。悟もあの二人とにらみ合いした経験あるよな」
「自分より体格が小さな者には因縁をつけたり、いじめていたからな。監督にも入ってもらったこともある。まさか山下君がやらているとは思わなかった」
「俺も同じだ。あいつら内申も学業も悪いはずなのに、東高へどうして合格できたんだと、疑問に思っているんだ」
「はい、先輩方の言うとおり、合格発表の日、俺も疑問に感じていました」
三人はどうしてあの二人が合格したのかを考えていた。
試験担当に見つからない方法で不正行為をしたという選択肢はあり得るのだろうか。合格した理由を考えるより、丸山さん、伊良林さんは、二人から僕を守りたい考えに変わって行った。
「義徳、山下君のこの取材のおかげで、去年の北高のサヨナラ負けの苦い思い出が消え去った。だから、俺たちの大切な《友人》を守ってあげないとな」
「言うとおりだ。川野とのいさかいを起こし、食ってかかった山下君を、足蹴りしてしまい、俺たち、大会に出場がダメになったと頭の中が真っ白になっていたんだ。彼は、《転んだことにしてください》と監督に頭を下げていた。おまけに、俺の苦い思い出も消し去ってもらった・・・」
「川野、大切な友人のためにも、あの二人からは守るから。これからも、機会を見つけて、野球部への取材に来てもらえるように頼んで欲しい。もちろん、川野も同じだ」
「はい、ありがとうございます。慎一郎も喜ぶと思います」
三人が話している間、僕はノックを受け続けている。要領をつかむと本当に楽しい。住吉さんもこのグラウンドで同じような感じだったんだろうな。
「結構、やるな。もうすぐ百本だが、ほとんど受けている」
城栄さんも、岩川さんも感心している。ノックがうまく行って、ここまでできるんだと、僕自身に感心していた。
「残りもお願いします」
百本のノックが終わり、忠に交替した。忠は《お願いします》と大きな声をあげ、守備についた。
丸山さんが僕を呼んだ。
「きょうの取材は楽しかった、ありがとう」
「僕こそ、無理なお願いを引き受けていただき、ありがとうございます」
「義徳もあの苦い思い出は消えたよ。前も言ったと思う。一緒に甲子園に行こう」
「はい。僕も新聞や、取材を通じて応援します。ぜひ、行きましょう」
「山下君、三球勝負、また、やってみるようか」
伊良林さんが僕に言った。勝ち負けを外しても、百五十五キロの直球を今度こそ打ち返したい欲が出てきている。
「放送局主催の大会が終わって、予選までの間に、取材をしますから、ぜひ、やりましょう。今度こそホームランを打ってみせます」
「こいつ、俺は三振にしとめるから」
お互いに笑った。いつの間にか、僕と先輩方は親しくなり、信頼で結びついている。後に、沢村さん、竹本さん、忠から、あのいさかいをきっかけに《大切な友人になっている》と聞かされた時は、とてもうれしかった。
「ユニフォーム姿、似合っているな。それに伊良林の球を打つとは驚いた」
村井さんが僕たちに声をかけた。三球勝負の間、ずっと見守っていた。
「はい。伊良林さんの速球をことは、記事にします」
「ノックを受けている山下の身のこなし、最初の掛かり稽古で、鮮やかに投げ飛ばした理由が分かったよ。俺も、もっと精進して強くならないとな」
「あれは・・・僕が、その・・・」
「俺が《おチビちゃん》と言わなくとも、互角に戦っていた思う。勝ち抜き戦では、山下のような相手とも戦うことある。《油断はしてはならない》と教えてもらったのさ。ありがとうな」
「いえ・・・僕こそ。《チビ》と言われて、理性を失う僕の《欠点》が分かりました。先輩方のおかげで、この性格を治していけそうです」
「山下なら大丈夫。そう思わないか、丸山に伊良林」
「村井の言うとおり、自分で理解し、治そうと決めている。というか、とっくに治っていると思うよ」
言うとおりだ。治っている。若葉さんとのもめごとで、わざわざ僕の家に来てもらった村井さんから諭されたころから、小さくて痩せているという、抱いていた《劣等感》は消え去っている。僕がこうして一つ成長できたのも、《みんなのおかげ》だ。
## 第八章 自分らしく
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土曜日。休日の午前中に昨日の野球部での取材をもとにして、次回発行の新聞製作になっていた。取材が終わったあと、部室に集まった仲間たちに、沢村さんが伝えたのだった。
昨晩、自宅で予習復習を済ませ、感想を書いたシステム手帳、バッターボックスに立ったあの場面を思いだし、ノートを開きあれこれと思いつくまま記入して行った。筆が進むたびに、取材の場面が浮かんで来た。ある程度書いたところで読み返し。さらさらとノートに文章を綴って行く。一通り書き終え、読み返し、パソコンを開き文章を入力した。気がつくと時計は、深夜一時を回ろうとしている。僕の企画がどのような紙面になるのかわくわくしながら床についた。
休日の部活は、午前九時半からお昼までが基本だった。新聞作り、他の部への取材など、二年生が自学を始めたのをきっかけに、毎週、土曜日の午後から二時間を予習復習の学習会に使っている。
「おはようございます。昨日の原稿ができました」
若葉さんに原稿を保存したメモリカードを渡す。
「ありがとう、部室に来てから書いても良かったんだけど、出来ているなら推敲(すいこう)だけの作業になるね」
「はい、あの興奮を覚めないうちにと、仕上げました」
メモリカードをノートパソコンに挿入し、文書ファイルを開いた。表示された文章を一通り読み終えると、
「よく書けているよ。僕がバッターボックスに立っているかのようだ」
松山浩輔さんも若葉さんのところへ来て、パソコンの画面の見る。
「良輔のいうとおりだ。僕もきのうの三球勝負の雰囲気が伝わって来る」
「ありがとうございます。臨場感が伝わるかどうか不安でした」
「読み合わせをして、間違いがなければ、そのまま使えるよ」
若葉さんはすぐに印刷をマウスで選択し、読み合わせる分と、沢村さんと竹本さんにみせる分を用紙に出力した。
「これは、僕が書いた原稿だよ」
浩輔さんの書いた原稿がパソコン画面に出力される。さすが文芸部などから、文章の書き方指導の依頼や、最近は、官庁の募集小論文で賞を取り、ネット小説大賞で、二次選考まで通過した実力の持ち主だ。
「選手や、応援部、吹奏楽部の息づかいが伝わってきそうです。この書き方、僕も取り入れたいです」
「山下君なら、きっとものにできるよ」
一方、岡さんを中心とする写真班は、別のパソコンを大型の液晶テレビにつなぎ、撮影した写真についてどれを選ぼうかと話し合われていた。
「慎一郎との三球目のこの写真はいいですね」
岡さんが撮影した、百五十五キロの球を放った瞬間の写真。大橋さんが僕がその球に当てた瞬間。三原さんと浜中君は、別角度の写真など、紙面のトップを飾る写真を選んでいる。
「みんな、私の《指導》のおかげか、力作ぞろいね。私は、川野君が撮影した山下君と伊良林投手の固い握手をしているところがいいと思うわ」
岡さんが、忠が撮影した写真を大写しにする。
「取材企画を象徴する写真。岡さん、これトップに使えるわね」
画面を見た沢村さんが言った。
「部長が言うとおり、新聞部との距離が近まり、川野君が体験取材でグラウンドへ復帰できて、伊良林先輩のサヨナラ負けの苦い記憶が消えたのすべてをこの一枚で表してますね」
大橋さんが沢村さんが示した写真の感想を言う。岡さんも《沢村さんの言うとおり、これは使えるよ》と言った。浜中君も三原さんも、《これを先頭にもって来ると、誰もが呼んでもらえる》を言っている。
「・・・みなさんに俺の写真を選んでもらえてうれしいです」
忠は初めて撮影した写真を新聞、それもトップに使ってもらうことに喜びを示した。そのほかの記事に使う写真は、大画面テレビに写しだしている、それぞれの写真を用いることにした。
佐野さん、桜田さんもやってきた。
「この写真のすべて印刷してください。壁新聞にも使いたいです」
「わかったわ、すぐに印刷するね」
岡さんはパソコンを操作し、新聞紙面に使う写真を印刷した。壁新聞用の記事は彼女たちと、三年生が用意している。読み合わせも終わり、模造紙に配置するだけだ。てきぱきとした作業で、佐野さんは写真を仮止めし、桜田さんが鉛筆で見出し、記事を書いている。浦上さんと浩輔さんも手分けして鉛筆で書き込んでいる。林君、田中君は壁新聞の作り方の手ほどきを受けている。
新聞紙面の写真が決まった。次は僕や、浩輔さん、それに沢村さんと竹本さんを始めとした三年生たちが書いた記事を印刷し、二人一組で読み合わせる作業に入った。パソコンがなく謄写版を使っていた頃は、原稿用紙に書き、読み合わせながら、相手が赤鉛筆で誤字または、ここは修正した方がよいと話し合いながら記事を完成させていった。その作業が今でも続いている。
僕と沢村さんが組んで、プリンタから出力された記事を読み合わせながら、入力誤りなどを見つけ、ここは修正したらいいと話ながら、お互いの記事を完成させた。沢村さんの書く文章はとても優しくかつ的確に物事を捉えている。お手本にしたい書き方だ。
記事の点検が終了すると、若葉さんと浜中君がパソコンを操作し、あらかじめ作った紙面レイアウトに文章を流し込んで行く。架空新聞《浜中新聞》をみて、作り方を若葉さんと話し合いながら、紙面の見栄えのよい割付を研究し、きょうの発行分から新紙面にすることになっている。あっという間に割り付けられ、版下ができあがった。
「部長、副部長、山下君、版下ができあがったよ」
プリンタから印刷されたばかりの版下を取り出し、若葉さんと浜中君が僕たちを呼んだ。
「新しい紙面を飾るのにふさわしい記事になったわね」
「沢村さんの言うとおり、みんながとても積極的に動いたからできたんだよ。みんなのおかげでこの新聞は完成したんだよ」
「この企画を組んで本当に良かったと思っています。感謝しています」
《みんなのおかげ》。これは僕も忘れることはない言葉だ。仲間となって、一つのことをやり遂げるには、みんなの協力、それに、すべての人が《みんなのおかげ》であると感謝しなくてはならない。それが欠けると、どんなに良いものが出来たとしても、何かした不足したものになると、僕は感じている。
「壁新聞、できたわ」
佐野さんたちが作っていた壁新聞もできあがった。仲間たちがすべて集まる。
「山下君と伊良林投手の握手の場面を真ん中に配置して、岡先輩たちが撮影した写真を、グラウンドの図に配置してみたわ」
桜田さんができあがった壁新聞の説明をする。
「このレイアウト思いつかなかった」
現在の二年生が壁新聞を担当するまで、油木さんと稲佐さんが壁新聞をおもに作り、新入生が入るまでは、浦上さんと浩輔さんの四人態勢だった。
「私も、彼女たちが配置している姿を見ている内に、見て楽しい壁新聞の作り方があるのねと、感心していた。よい刺激になったわ」
浦上さんも、見て楽しい壁新聞だと評価した。
「それでは発行責任者の山下君、ここに印鑑を押して」
壁新聞には発行責任者の印鑑を押した後、職員室に行き、掲示板の掲載許可をもらう。それは月曜日の朝にもって行き、許可が下りれば昼休みに貼ることができる。中学の卒業式に記念品として出た印鑑を持ってきていた。朱肉を付け、丁寧に壁新聞の発行責任者の文字の下に捺印した。残るは新聞の印刷だ。ここまでで約二時間、時刻は十一時半を回っていた。
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新聞が刷り上がり、職員ごと、クラスごとに分け終えると、一、二年生が手分けして職員室前の配布箱へ向かった。
「山下君、お疲れさま。初めての企画が紙面になったね」
沢村さんが僕の企画から取材、新聞作りの一連の流れをねぎらった。
「ありがとうございます。みんなの協力がなければできませんでした」
「こんな新聞作りが楽しかったのは、山下君の企画のおかげだよ。新聞配布や部室の片付けがあるから、僕たち、ちょっと休憩しに行こう」
「そうね、翔太さんは、新聞ができあがると、購買部前の自動販売機でミルクコーヒーを買って飲んでいるわね」
「うん、僕の好物なんだ。できあがったときの一杯はうまい」
「まるで、ビールを飲んでうまいという、大人みたいだわね」
竹本さんはお好み焼きの他に、ミルクコーヒーが大好物だった。意外と味にうるさく、購買部前の紙カップ式の自動販売機のそれが一番だと言っている。
三杯分購入すると、沢村さん、僕に手渡した。
「ありがとうございます」
「じゃあ、山下君、ベンチに座りながら、いただこうか」
三人は購買部前のベンチに腰掛け、まずはコーヒーを口に運んだ。《うまい》を声を上げ、また一口と飲んでいる。
「山下君。ここに誘ったのは、お願いがあってなの」
沢村さんが話を切り出した。僕へ何かお願いがあるようだ。
「うん、次の部長の件だけど、そろそろ決めたいと思ってね。考えた挙げ句、山下君になってもらいたいと思ったんだ」
《えっ》と声を上げ、二人の顔を見る。部長のお願いだなんて・・・・。
「山下君なら、きっといい新聞部ができるよ。僕は確信しているんだ」
「僕には、荷が重すぎます。それに、二年生の先輩方を差し置いてなんてできません。先輩方の功績を考えたら・・・」
「やっと入部してもらった二年生たち。現在の発行態勢を作り上げた高い能力はとても評価している。しかし、山下君が入部してからの姿を見ていると、部長にふさわしいと僕は思うんだ」
「翔太さんが、山下君を部長にしたいと、野球部の取材がある程度進んだ頃に話しかけてきたわ。ふと、今までのことを考えてみたの。いさかいがおきても、仲直りができて、しかも、結びつきが大きくなっている。過ちを認めたらすぐに謝ると言う謙虚さがある」
「君の人間性なら、誰とでも信頼を築づくようになっている。これは、大きな財産だよ。もっと伸ばして欲しいんだ」
「・・・僕に、そんな人間性なんてあるんでしょうか・・・」
「もちろんあるとも、村井とあんな親しくなっているのを見てから、君には何か輝くものがあるのではと感じていたんだ。悟や義徳も、《山下君といると楽しくなる。以前からいた親友のように感じている》とも言っているんだ。若葉さんの件だって、普通ならこじれて、新聞部の活動どころではなかったんだよ」
「・・・先輩方はとてもよい人で尊敬しています。中学時代、二年生の始めの頃までは孤立して、僕は《嫌われる存在》しかないと思っていたんです。寂しさに襲われていたし、それに・・・僕・・・あの二人が・・・」
中学時代のあの孤独だった頃、あの二人に絡まれ、恥ずかしいいじめにもあったことなど次々と記憶が流れてきた。涙が溢れそうになっている。
「一年九組にいる、加藤と山本だろう。僕も東中学だから、あいつらの卑怯さは見ているんだ」
「加藤と山本の影は今でも怖いんです。まさか、東高に入学できるとは思いませんでした」
「僕や友人も、彼らの卑劣ないじめを見て止めようとまでした。でも、あいつらの回りには柄の悪い連中などがいて、手が出せなかったんだ。服を脱がされて見せ物になっていた一年生を見つけて、《やめろ》と怒鳴ろうとしようともしたんだ。声を出す前に別の生徒が怒鳴って、いじめは止んだんだ」
「・・・僕がいじめられるのを見ていたんですか」
「入部してしばらくたって、あのいじめは山下君だったと分かったんだ。僕がもっと早く行動しておけばと、悔いているんだ。ごめん」
竹本さんが頭を下げる。彼が謝るとはとんでもないことだ。
「竹本さん、それは違います。怒鳴ったのは同級生の真田君です。後から、僕に《とても怖かった》と明かしてくれたんです。謝るなんてとんでもないです」
「きのう、二、三年生を集めて、山下君を部長にする話をしたわ。反対意見もでるかと不安になった。二年生のみんなは、《私たちが山下君の支えるから》と全員が副部長として、働くと買って出たわ」
「そうなんですか・・・・」
「僕は、あの二人から守る方法として、君を部長にすることも考えていたんだよ。たくさん人と仲良くなれる君には近寄れない。ならば、僕たちが支えていこうと。山下君のその能力はあいつらに踏みにじられることはさせない」
二人の僕に対する熱い気持ちが伝わってきた。沢村さんや竹本さんと知り合ってから、その人柄に、一人っ子の僕に、兄や姉がいたらという願望を重ね合わせている。竹本さんは僕の忌まわしい体験を止めようと言う気持ちも働いている。ならば、村井さんにも話したように、僕の中学時代に経験したつらさを聞いて欲しい気持ちが高まっている・・・。
「中学の頃の、つらい話、聞いてもらえませんか・・・」
「もちろん、つらくなったらいつでも止めていいわ」
心の奥に押し込んでいた、加藤と山本から絡まれたこと、先生に相談しても親身にならなかったことを、竹本さんも目撃していたあのいじめ、親には絶対に話せない、加藤や山本からの辱めなどすべて話した。。途中、涙が止まらなくなることがあった。二人は最後まで話を聞いていた。
「僕や沢村さんに、とてもつらい話を打ち明けてもらってありがとう。山下君を中心に、僕たちや二年生の仲間、それに君達の親友で、これからも楽しい新聞部を作っていこう」
「私からもお願いするわ。分からないことや疑問に思ったら、遠慮なく聞いていてね。山下君は《みんなのおかげで、自分がいる。私の力で、みんなのためになる》姿をこれからも見せて欲しいの」
僕が日頃、思っている《みんなのおかげで自分がいる》を沢村さんも思っている。尊敬する諸先輩方が僕を信じている。気持ちに応えて《僕の力で、みんなのために》新聞部にいて良かったと思うような働きをしよう。
残ったミルクコーヒーをすべて飲み干してから、二人に視線を合わせた。
「はい、僕は新聞部を選んで本当に良かったと思っています。部長の件・・・お受けします。まだまだ未熟者ですが、よろしくお願いします」
「ありがとう。部長の仕事といっても、山下君はこれまでどおりに、体験取材を続けて行くといいわ。意思疎通と、結束力を高めて、《伝統の文化部》にふさわしい活動をしていきましょう」
「沢村さんの言うとおり、伝統の文化部に恥じぬように、楽しい新聞部を作って行きます」
「僕たちのお願いを引き受けてもらって本当にありがとう。新聞部をよろしく頼むよ。山下慎一郎部長」
竹本さんが合図をすると、一斉に仲間たちが出てきた。
「おめでとう、山下部長」
二年生たちが僕のところへ集まり祝福する。一年生もその後に集まって来る。三年生の岡さん、油木さん、稲佐さんは、沢村、竹本さんと一緒になり、祝福される僕たちの姿を見守った。
「彼なら、よい部を作ることが出来るわね」
歓迎される僕の姿を撮影した後、岡さんが言った。
「山下君の姿を見ていると、加代が部長に選ばれた場面を思いだした」
稲佐さんが言った。沢村さんも前の部長や副部長から信頼を得て、僕が選ばれたと同じ場面で選ばれた
「うん、僕たちが、尊敬する部長や副部長と同じような場面で、部長を選ぶとは思わなかった。いま思うと、副部長をお願いされてあっという間だった、三年生も卒業まで山下部長をもり立てて行こう」
忠が桜の木を背景に集まるように言っている。部長就任の記念撮影だ。三脚にカメラをセットしてファインダーをのぞく彼が僕に言った。
「慎一郎、固くならない」
「そだね、はりきっていこう」
セルフタイマーをセットし終え、忠もみんなのところに駆け寄る。十秒ほどしてシャッターが切れる音がした。
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こうして僕は東高創立から続く《伝統の文化》、新聞部の部長に就任した。一年生の部長は初めてだった。記念撮影も終わり、部室に戻ると顧問である増田先生が僕たちを出迎えてくれた。
「慎一郎、部長就任おめでとう」
「ありがとうございます。どこまで行けるか分かりませんが、みんながいて良かった部にして行きたいと思います」
頭を下げる僕に先生は僕の肩をポンとたたくと、
「肩の力を抜いて行こう。高校生活は短いようで長い。それに硬いままでは慎一郎らしさも失われる」
「そうですね。先生の言うとおりにしたいです」
《
一年生で部長になった僕は、後から考えると、《抜擢》の言葉にふさわしかった。東高校が創立すると同時に出来た新聞部。その長い伝統の中で、一年生からの部長ははじめてだった。諸先輩方の積み重ねてきた歴史を感じながら、僕は僕なりに、入部から今日までしてきたことを大事にして、精一杯部長を務めていこう。
》
「でも、何からはじめようかな」
夕方近くまで、増田先生が部長と副部長就任祝いということで、あのお好み焼き店でちゃんぽん麺入りのお好み焼きを食べながら、沢村さんと竹本さんのこれまでの部長、副部長をねぎらい、僕も、新しい態勢での活躍を誓った。誓ってはみたものの、何からはじめたらよいか迷っていた。
部屋に戻りベッドに転がり天井を見つめた。中学時代、生徒会の副会長の経験は貴重だった。それでも自発的に、誰かに推されて立候補したとは違う。手を上げるものがなく、くじ引きに近いもの。忠の応援演説で爆笑を取ってしまって、一年生の候補に大差をつけて当選・・・。
今回は違う。僕を尊敬する先輩方が信頼して推してくれたんだ。忠、三原さんや大橋さんの野球部取材の記事が増えていくから、それを中心に発行していこうかな。まもなく放送局主催の野球大会も始まる。総合体育大会もあと二週間。どのような取材をすればいいかな・・。いざ、長に立つと、あれこれと考えが輻輳(ふくそう)してしまっている。月曜日からの部活は、本当に大丈夫なのだろうか。考えれば考えるほど不安が募っている。
「慎一郎。入るぞ」
父が呼ぶ声がした。きょうは、土曜日出勤、かつ、定時で帰ってきたようだ。
「どうした。何かあったのか」
「・・お父さん。僕、新聞部の部長に選ばれたんだ」
「部長とは驚いたな」
「心配なんだ。人をまとめられるかなって」
ベッドから起き上がって、父の顔を見た。そういえば、異動があって最近忙しい、高校に入って帰宅が午後七時前になるから、話す機会が少なくなった。何かしら老けたように見えた。父さんも会社で苦労しているんだ。
「俺もそうさ。人の上に立つのは、責任も出てくるし、部下も気配りしないといけないな」
「うん、わかっている」
「そうだな、自分らしさを失わず、常に話し合って、決めるところは決める。これでいいんじゃないかな」
心配するより、してみなければ分からないんだ。沢村さんも、先生も《自分らしく》を言っていた。
「お父さん、ありがとう」
「高校に入ってから、慎一郎が明るく積極的になったから、心配無用だ」
笑顔でうなづいた。中学時代、僕が、いじめられていること、特に加藤や山本から、忌まわしいやられかたなど、親には一切話してなかった。隠していたのが本当だ。あんないじめをされれば、恥ずかしくって話せない。それに、屋上から飛び降りようとして孝浩君から諭されたと言うものならら、どんなに心配させるだろう。小さな時は、病弱で病院を行ったり来たり、熱を出し救急車で運ばれたり、親には苦労や心配ばっかしかけている。だから、いじめの件だけは固く封印している。
「さあ、ご飯できているから、着替えて」
夕食、父や母に部長に選ばれたことを話す。
「慎君が、新聞部の部長になったの。私たちが高校生の頃は《文化部の花形》で部長になると言うことは、とても名誉だったわね」
「うん、同級生の竹本は、部長になったと俺のところに飛んで来たな」
「父さん、野球部のインタビューを受けた竹本さんは、部長だったの」
「その通り、あのサヨナラ負けを喫した日、インタビュー緊張したな」
「この前、そのインタビューテープを聴かせてもらいました。雰囲気が伝わってきました」
「あ、あれ、今でも残っていたのか」
「はい、そのテープを音楽ファイルに変換してもらいました。竹本さんの息子さんから、よろしく伝えてくださいと言っていました」
「翔太さんといったね。彼がも新聞部だったんだね」
「はい、副部長をしていて、とても優しくてよい方です」
「礼儀正しくて、気配りのある子供だと、昔、竹本の家を訪れたときに感じていたんだ」
「部の中では、いつも気配りが行き届いていました。彼のようで信頼できるようにがんばりたいです」
「まずは、力を抜いて、慎一郎らしく行けばいい。さあ、俺の青春時代の声を聴こうか。なつかしいな・・・」
「はい」
スマートフォンに保存されている、父と竹本さんとの、甲子園予選の決勝後のインタビューを録音したファイルを再生した。父も母も感慨深く、かつ、遠く過ぎ去った青春時代に帰っているようだった。
「あなたの、《甲子園で投げる姿を見せられなくてごめん》が、昨日のことにように思えたわ」
「あのときは、東高が初出場できるかと、回りも大きな期待を駆けていたんだよ。それがかなえられなくてね。申し訳なくてね」
「野球部の仲間や、監督、それに後援会の人たちが、《よくやった》と称えていたわ。その新聞は私はいまだに持っているわよ」
父や母は、僕が持ってきた、録音を聴き終えると、高校時代の話に花を咲かせていた。僕も両親の年齢になった頃、これから僕たちが作って行く新しい新聞部の記録を、子供たちに披露すると、このようになるのかな・・・。
二人の姿を見て思い、僕は話が終わるまで、両親の話を聞いていた。
夕食後、部屋で父や先輩たちの言葉を考えているうちに眠ってしまっていた。真夜中、部員たちから責められる場面で目が覚めた。
沢村さんや竹本さんに《部長推したのは間違いだった》の言葉に僕は驚き、また目が覚め。これを何回か繰り返した。《あんなに説得したのになぜ》とも思った。また、似たような夢を見たときには、本当は《どっきり》で僕を脅かすために、呼んだのだとも思った。
寝ついてからすぐに、若葉さんが烈火のように怒っている表情が飛び込んで来た。《やっぱり許さない》と怒鳴っている。僕は何度も謝っても、彼から殴られそうな場面で飛び起きた時は、寝汗をかいていた。四時半を指し示していた時計で、夢だ。何もなかった。良かったと胸をなで下ろしていた。
空が明るくなり始めていた。きょうは日曜日、沢村さんと竹本さんが、新聞ができあがった《打ち上げ》として、仲間全員で街の中心部にあるボウリング場に行こうと決まっている。カラオケとどちらがいいかと希望を募り、ボウリング多かった。
九時に忠が家にくるというから、あと、四時間とちょっと。きょうの予習と、復習してなかったんで済ませよう。体を鍛えるのも忘れずに。
机の上には、取材の構想などをしてまとめているノートと、小さなシステム手帳に視線が行った。これまでの考えや取材のメモが書かれているページを読むうち、僕は、ペンを取り出し、ノートの新しいページに、
《部長第一日目 自分らしくやっていこう》
の文字を大きめに書いていた。自然と自信がついてきた。
次の行からは、野球部取材と総合体育大会の記事をどのように作っていくかの考えが湧いてきた。先日の体験取材のように割当表の素案も。それを数ページに書き留めていた。週明けにみんなに提案しよう。
ここまで終わって、いままでの不安が嘘のように消えた、さあ、予習復習もやらないと。
勉強が一段落した頃、雀の鳴き声が聞こえ始めた。陽が射しこみ始めた窓に目を向けた。澄み切った空の青さが、とても鮮やかで、このような美しさは初めてだと感じた。
-> 平成二十九年九月二十九日 第二版
-> 作 藤堂俊介
新聞部長山下慎一郎 抜擢 完